前回の続きである。
「多羅」とは、「タラ」と呼ぶ。
任那の北西部に位置しており、その国境線は「新羅」に接していた。
つまり、任那の都市国家の中で、「新羅」の影響が大きい国であるということが言える。
さて、ここで少し考えてみよう。
息長氏の話を思い出してみよう。
息長氏は、天皇家とイコールかも知れないほど極めて皇族に近い存在であり、神功皇后ともゆかりのある氏族である。
また、新羅との関係性も見え隠れする。
なんとなく、「多羅」との関係が怪しいと思えるのである。
実は、神功皇后の本名は、「オキナガタラシヒメノミコト」である。
以前ブログで述べたように、「オキナガ」は息長氏のことを指す。
問題は、その次の「タラシ」である。
これは、「多羅」出身ということを言っているのではないか?
(つづく)