古代の大和朝廷は、朝鮮半島に「任那(伽耶・加羅)」という植民地を持っており、日本府があった。
これは、教科書にも載っている日本の歴史の常識である。
しかし、私はそれは逆で、「任那」の植民地が日本であったと思っている。
私のこの仮説が正しければ、歴史解明のキーは朝鮮半島にあるはずだ。
「任那」という国について考えてみよう。
「任那」は、「タムロ」といわれる都市国家によって分割統治されていた。
主な都市国家には以下のような国々があった。
・大伽耶国
・小伽耶国
・金官伽耶国
・多羅国
・安羅国
これらのこれらの国々の領主は、親戚であり、合議制で国全体の政治を行っていた。
大伽耶国や金官伽耶国がリーダー的存在だったといわれているが、時々覇権は他の国にも移っていたようだ。
また、百済や新羅の影響も大きく、日本より両国に気を使うことのほうが多かったようだ。
この中の「多羅国」に注目してみたい。
(つづく)