王様の耳は驢馬の耳

王様の耳は驢馬の耳

言いたくても言えないことをここで言ってやる。

言いたいことを言おうじゃないか。はぁと
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 突然、chat(チャット)GPTなるものがメディアを賑わせた。おそらく機能の高くなったchatGPT4が公開されたからであろう。chatGPTはGPTという人工知能を搭載した対話型人工知能のひとつであってOpenAI社が提供するものである。chatGPTのように人間と対話しながら何らかの知見を示してくれるものをGenerative(生成力のある)AIと呼ぶのが妥当なので、以下生成AIと呼ぶことにする。
 今、メディアで騒がれているchatGPTとはOpenAI社が開発した生成AIである。生成AIにはchatGPTだけではなく、BingAI、perplexityAI、Bard、Midjourney、Stable Diffusion等、開発者や用途によっていろいろある。chatGPTがすべてなのではなく、生成AIの一つに過ぎない。今後はあらゆる場面でいろいろなタイプの生成AIが語りかけてくることがあたりまえになってくるだろう。それを押しとどめることはできないし、そのレベルでの批判や非難は建設的ではないのでやめた方がいい。
 ただ、確認しておくべきことは、生成AIはまずAIに厖大なデータを学習させているということである。そして、どういうデータを学習させたかは「企業秘密」である。これは生成AIと会話していると徐々にわかってくる。
 よく、生成AIがまちがった発言をしていることを指摘して勝ち誇ったかのような発言をしている人を見かける。ある大臣クラスの政治家が「自分は衆議院議員なのに参議院議員だと説明された」と言っていたが、それはまだいい。僕の親しい教育学者は、明治から大正期に活躍した教育者で自由教育を提唱したとされ、もっともらしい著作のタイトルが列挙された上に、あろうことか私生活では芥川龍之介の妻と不倫関係に陥り、子までなした、と説明されてしまった。しかもその子の実名(?)まで書き出してくれたのである。これには爆笑してしまったが、まさに翌日、このような私生活については一切反応しなくなった。おそらく何らかの指示が人間によってなされたのであろう。
 こうした誤情報を平然と語るしくみに「非常に話し上手な『知ったかぶりの人物』と話しをしているような感じです」(太田邦史東京大学教育・情報担当理事「生成系AI(ChatGPT, BingAI, Bard, Midjourney, Stable Diffusion等)について」https://utelecon.adm.u-tokyo.ac.jp/docs/20230403-generative-ai)という識者の感想が出ている。太田氏は「その後精度は上がっている」とは言っているが、「知ったかぶり」であるというこいつの性格は変わることはない。知ったかぶりは〈知〉の内容に責任を持たないAIの基本構造だからだ。そして、このことは生成AIについて考えるときに重大なポイントの一つである。
 生成AIの特徴は膨大なデータを学習してその成果をもとに人間と対話するということだ。以下、その対話を時折参照しつつ説明していこうと思うが、対話なので毎回同じ答えが機械的に返ってくるわけではない。そのあたりも対話型である特徴であり、興味深いところでもある。BingAIなどは問い詰められると、「ちがう話題にしましょう」などと話をそらしたり、一方的に打ち切ったりする。その辺りに奇妙な親近感を感じることはある。
 で、まずはAI自身の学習について「AIにおける学習とはどういう意味か」と問うてみた。chatGPTの答えは「AI(人工知能)における学習とは、データや経験を通じて知識やパターンを獲得し、それに基づいて新しい状況や問題に対処できるようになるプロセスを指します。この学習プロセスは、一般的に「機械学習(Machine Learning)」と呼ばれる手法を用いて行われます。」と言う。
 それは過去問を繰り返し練習する受験勉強のやり方とよく似ている気がするので、そのように問うてみた。そうするとchatGPTは「AIの学習プロセスは受験勉強における学習と一部似ている点があります。どちらも、知識やパターンを獲得し、新しい状況や問題に対処できるようになることを目指しています。例えば、教師あり学習は、受験勉強で過去問を解くことに似ています。過去問を解くことで、試験で出題される問題のパターンや解き方を学び、新しい問題に対処できるようになります。」と回答してきた。
 先般聞いたところでは、とある地域の中学校三年の三学期にはほぼ授業らしきことは行われていないらしい。代わりに入試対策のためのドリルをひたすらやらせているということだ。この教員たちにとっての授業がこのようなものだとしたら教職などは生成AIに取って代わられ、教員の仕事は今の仕事量から授業を除いたものになるだろう。まさに教員の働き方改革に貢献してくれるのかもしれない。
 ところで、五月二十六日に政府のAI戦略会議は「論点整理」をまとめた。この会議はたった二回の会合で論点をまとめたというから、熟慮を重ねた「論点整理」とは言えないのかもしれない。とは言え、この文書の中で示された「懸念されるリスクの具体例と対応」を見てみよう。
  ①機密情報の漏洩や個人情報の不適切な利用のリスク
  ②犯罪の巧妙化・容易化につながるリスク
  ③偽情報による社会の不安定化・混乱させるリスク
  ④サイバー攻撃が巧妙化するリスク
  ⑤教育現場における生成AIの扱い
  ⑥著作権侵害のリスク
  ⑦AIによって失業者が増えるリスク
 で、五番目の教育現場について考えてみる。教育現場では「生成AIが宿題に使われ適切な評価が損なわれる、また作文やレポートに生成AIを使うことで生徒・児童の創造力等が低下する懸念がある」ということだ。要はレポートを生成AIに書いてもらうというやつだ。実はこれまでもインターネット上にある文章からの引き写し=パクリというのはかなりあった。その意味ではパクリ行為がより便利なツールを得たことによって若干進歩したに過ぎない。教育上の問題としては「いまさら」の問題なのである。自分のレポートは自分の頭で考えて自分の手で書けということを今まで以上に徹底させることなのだが・・・。
 この傾向はネット検索の普及や生成AIの所為というより、現在の学校での学びのあり方に問題があると言えよう。まずは学校における試験という制度の持っている悪弊でもある。試験にカンニングが付き物であったのは試験制度が合格・及第・進級・進学・就職というゴールを持つがゆえである。それがインターネットの発達や生成AIの登場によって少数派から多数派へと移り変わろうとしているだけである。そこに〈教育〉が不足していたことを思い知るべきである。
 AIの学習と人間の学習との違いについてBingAIに問うたところ、「AIは目的や効率を重視して学習するのに対し、人間は感情や想像力などを持って学習するという点」が異なると返してきた。ここで言う「目的や効率」は受験と受験勉強のことと考えればいい。そこには「感情や想像力など」は無用だというAIのスタンスがある。
 昨今では受験というものが子どもたち自身の問題と言うより親や教師の問題になってしまっているのではないか。大学教員の経験から来る実感でしかないが、学生たちの進路選択が自分の意思より親や教師の意見に左右される傾向が強くなってきているようだ。親や教師の関心は元は子どもの人生を豊かなものにしたいというところにあるのだろうと思う。しかし、そのための手段としてゲームのようにいくつものイベントをクリアしなくてはならない。その大きなものが進学であったり、就職になる。そして、進学なり就職のための対策が本人以上に親や教師にとって重要事項となってくる。かつてある学校の校内研修で「学力」について話したことがある。歴史的に日本の学力は子どもの現実から離れ、点数主義に傾斜してきたという内容だったと思う。その内容に不満だったのか、最後に校長が「それでも、被差別部落の子どもたちをとにかく高校に入れる学力は必要ですね」とまとめてしまった。同和教育に熱心な校長ですら学校での学びを進学のための手段としてしか考えていなかったことに少なからずショックを受けた。この校長にとって学力は進学のために消費される使い捨ての商品=消費物という認識であり、そうした消費物を学びから疎外されがちな被差別部落の子どもたちに与えることが子どもたちへの支援だと考えていたことに驚いたのである。「解放の学力」などというものが同和教育の中で論じられていたころであったが、そういう「理想論」より現実のイベントクリアを選ぶのが学校現場だったのだ。
 前述の入試対策にドリルばかりさせるのがそうした学力観の典型であろう。かくして、子どもたちは学校で学ぶ〈知〉を単に学期ごとの試験をクリアし、入学試験をクリアするための情報や技巧といった消費物に貶めることになる。子どもたちの学びは人生の血肉になるものではなく、ひたすら消費されていくものと化している。血肉になるはずの青春時代の努力や経験もガクチカ(学生時代に力を入れたこと)という隠語になった段階で一片の消費物となってしまった。
 たとえば人物を見極めようと面接をしても受験生はそろって覚えてきた文字列を暗唱するだけだ。対話にならないのだ。この段階で知ったかぶりでも対話ができる生成AIに軍配は上がる。
 消費物であるから、子どもたちにとって学びは生身の自分とは無縁のものでしかない。学びに向き合う自らの主体というものは無いか限りなく薄いものになる。当然〈知〉を内面化する必要はないから、自分の頭を使ってレポートを作成する必要はない。その場をクリアできる文字列があればいい。だから、平然とパクりをおこなうのである。だからいくら自分の頭で考えて、自分の手で書けと指導しても、消費物以上の意味を教わっていないのだから子どもたちは、いや学生も、国民も〈知〉を使い捨てるのである。
 BingAIにこのことを問うと「AIは、そのデータやルールの意味や背景を理解することはできません。AIは、その分野における問題を解決するために学習しますが、その分野に対する興味や好奇心を持つことはできません。」「AIは、データやルールを数値や記号として処理することはできますが、それらが何を表しているのか、どのような文化や歴史や社会に関係しているのかを理解することはできません。AIは、問題を解決するために学習することはできますが、その問題に対して感情的な関心や知的な探究心を持つことはできません。」と返ってくる。生成AIは自らが人間になれないことを知っている。
 しかし、興味、好奇心、文化的歴史的社会的背景の理解、感情的関心、知的探究心・・・こうしたものを学校教育の現場に取り戻さなければ人間らしさは失われ、生成AI以下の存在に堕ちていくだろう。現代的人間疎外とはこういうことなのではないか。
 

 たかだか地方の公立中学校で話してもらったゲストティーチャーについて文部科学省が市の教育委員会に問い合わせてきたというあり得ない事態が起きた。もし読者諸氏のお身内の子どもが通っている小学校なり、中学校の特別授業や講演会の講師について文部科学省が問い合わせをしてきたとしたらどう感じるだろうか。
 地方の教育委員会や、小・中学校にとって本省の課長補佐というのは雲の上の人に近い。品のない例で恐縮だが、上部団体の役職を名乗って強(こわ)面(もて)のお兄さんから電話がかかってきたとしよう。
「あんたのとこで、うちをワケありでやめた前川と仲良うしとるらしいが、どういうことやねん?わかりやすう説明してくれますか?」
と猫なで声で話しかけてきたら、どういう受け応えをするだろうか。けっこうびびるだろう。本省の課長補佐というのは学校現場からすればそのくらいの存在感はあるということだ。本省の名前で話しかけるというのは現場にとってはそういうことなのだということをを知った上で、強面のお兄さんならば次のように言うだろう。
「兄貴と相談したうえでやな、細かいことをメールで訊きたいんや。十五項目だけどな、これは世話になっとるその筋からも言われているこっちゃ。まあ、親分は知らんことやけどな」
 それであらためて叮嚀な十五項目の質問のメールが来るという状況は決して心易いものではない。
 まあこのことが親分の耳に入る。親分は言うだろう。
「誤解を招きかねない面もあったようだ。事実関係を確認するにあたっては誤解が生じないよう十分に注意すべきだ」(「文科相、局長注意 前川氏講演調査」朝日新聞DIGITAL2018.03.16)
とおとなの見解を示し、子分、もとい初等中等教育局長には
「表現や手法に気をつけるよう」(同)注意するだろう。
 そして、
「せやけどな、文科省が学校の教育内容について教委に問い合わせることは一般的にあることだ」(同)と問い合わせること自体は悪いことではない旨を主張するのだ。
 それで、舎弟、もとい教育課程課長が世話になっているその筋の方々、つまり赤池誠章とか池田佳隆といった国会議員も、自ら
名乗ることを恥じらいもせず、「立法府の一員として、(法令が)どう運用されているかを確認するのが我々の仕事」と述べる。そして「文科省への圧力は否定した」という。
 以上が組、いや文科省が名古屋市立中学校と同市教育委員会に対してとった一連の行為だ。此処に登場する人たちが反社会的勢力の方々と全く同じ行動様式をとっていることに気づかれたであろう。ただ、この事件を反社会的勢力に擬したパロディとして嗤って済ますわけにはいかないのである。
 第一に文部科学省の官僚、具体的には国会議員からの意見を承って動き回った教育課程課長、その相談を受けた初等中等教育局長、そしてその指図を受けて名古屋市教育委員会に問い合わせた課長補佐、この官僚たちの節操の無さである。(第一次安倍内閣が全面改訂した)教育基本法には「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない。」と記されている。これは旧教育基本法が「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。」としていた文言を多くの批判の中で改訂した部分である。「教育は、不当な支配に服することなく」というのは同じだが、「国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきもの」というくだりは削られている。それは教育行政が行政一般からは独立しているという理念を体現している。独立と言うときに、「不当な支配」とは政治的権力を指すことになる。しかし、当時の安倍政権は教育行政の独立を好ましく思っていなかったから、「不当な支配」を国外政治勢力であると枉げた解釈をした上で、削ったのである。そう変えはしたものの「不当な支配」が何かについては答えが出ぬまま今日に至っている。が、教育が不当な支配に服してはならないということは明記されたまま生きているのである。
 そして、教育基本法は教育行政は全国的な教育の機会均等と教育水準の維持、地方自治体は地域の教育の振興という役割分担を行うものと定めている。「不当な支配」の一つはこの役割分担を崩す行為を指すことになる。課長補佐氏が自分の行為を「不当な支配」ではなく、「今回は表現や手法に問題はあったが、問い合わせは一般的なことだ」と文科大臣の見解通りの考えを本音として持っていたとしたら、それは文科省の職員としてはとんでもないことだ。なぜなら今度、道徳が教科化される。その理由はいじめの解消であった。そのいじめという行為はいつもいじめっ子が
「ただ遊んでいただけ」
「ただ質問しただけ」
 そういう言い方をしていじめをごまかしていくところに特徴があることはいじめかか係わった者なら誰でもわかっていることだ。それを本省の官僚が言ってはおしまいだし、思ってもいけない。大臣にその認識がないのはあきらめるとして、官僚がいじめっ子の手先をつとめてしまうとはなんとも情けのない話である。
 第二に、教育行政(文部科学省―教育委員会)に対して政治権力が口を差し挟むことがなによりの「不当な支配」なのである。旧教育基本法はまさにそのことに縛りをかけていたのであるが、新たに改訂した教育基本法に於いても、「不当な支配」は不当な支配であって、政治権力の体現者である国会議員が指図をして圧力をかけることは絶対に許されることではないのである。
 責任ある立場の人間が責任を負わなくし手法もまたこの世には存在する。
 またまた反社会的勢力のようなものを引き合いに出して恐縮だが、かの清水次郎長に対して、子分の小政が吐いた啖呵を聞いてもらいたい
  …親分、人を見てものをいってやってくンねえ、失礼ながらあんな者二十、三十の首が
  欲しかったら、お前さん行かなくったっていゝ、お前さん火鉢ンところへ坐って、腕組
  みして天井見て独り言入ってくれい、なア黒駒一家の首が欲しいなアと、こういってくンねえ、わっしゃァこっちではっきり返事をする、あゝそうですかっていうから、・・・・(二代広沢虎造『清水次郎長伝 次郎長と玉屋の玉吉』
  TEICHIKU RECORDS CO.LTD)
 小政は次郎長親分のつぶやきを察して自分がいっさいの面倒を引き受けて親分の望みを果たす。いわば忖度したのだ。清水一家だから話は「かっこいいぜ」で済むのだが、国会議員と文科省の間で、もしくは安倍首相と課長補佐の間でこのような関係が生じているとすれば、それは責任を弱い者に押しつけることに外ならない。それは別件でこの政府がやっていることを見ればわかるだろう。
 ところが愚かな安倍チルドレンは日本国憲法に準ずる戦後レジームの代表的存在である教育基本法を改訂したことで、教育行政を政治権力の支配下に置けるようになったと勘違いしたのであろう。それが赤池誠章とか池田佳隆といった国会議員が「名乗ることを恥じらいもせず」と先に表現した理由である。事件が発覚したとき文部科学省の官僚に圧力をかけた何者かがいただろう、という推測が飛び交った。そしてその何者かは決して姿を現さないだろうと思ったが、なんといけしゃあしゃあと名乗り出たのである。明らかに彼らは自分のしたことを「不当な支配」だとは思っていないのである。ここは財務大臣に倣って、
「それは文部科学省の判断でやったことだろうよ」
とシラを切るのが権力を持つ者の常道であった。
 それがいいと言っているのではない。この連中には自分の権力の行使が不当であるという認識が微塵もないのである。犯罪者が犯罪を犯罪だと思っていないということなのである。その無自覚さと言うより罪に対する無知さに対して嘲笑よりも恐怖を覚えるのである。そしてまた、このような無知な議員の恫喝で唯々諾々といじめに荷担してしまう官僚が出てきたことが恐ろしいのである。
 日本という国家のあり方や、それを維持している法的規定などについてまったく無知なまま幼稚な国粋主義と安倍一族へのおべんちゃらに等しい忖度を以て弱者をいじめていく無知なる者による暴力の跋扈が此の国をまずい方向に持っていくのではないかという危惧であり、それはもはや恐怖に近い段階に来ていると言いたい。かつて天皇制中央集権国家であった大日本帝国時代にその国家の権力を握るや天皇すらも蔑(ないがし)ろにし、傍若無人に振る舞ったあげく、国家を破滅にまで追い込んだ歴史が繰り返されないことを祈るばかりである。
 一方で、そこにほころびも出てきている。先般、財務省の書類改ざん事件で自民党の和田政宗議員が太田理財局長を誹謗して顰蹙を買った場面があった。これもまた無知な議員と政権の影を見た気がした。考えようによっては財務省の官僚たちは安倍政権を守るために改ざんを行っていたとしか考えられないのだが、それを暴言で非難したこの状況に無知な議員のような発言や行動が出てくれば、「責任を押しつけられる筋合いはないだろう」という反発は当然出てくるだろう。
 今回の事件に際して名古屋市教育委員会も中学校長も文部科学省の圧力に対してひるむことなく正論で回答していた。そして問い合わせの意図はことごとく打ち砕かれていくのである。そのやりとりは公開されたので、是非参照されたい。ひとつだけおもしろいやりとりを紹介しておく。
                                                                               
│12 前川氏を講師で招いた際の交通費や謝金の支出はあったのかどうか、あった場合│
│それらの金額はいくらか。また、それらの経費はどこから出ているのか、具体的にご│
│教示ください。また、同氏以外の外部講師の交通費や謝金の扱いはどうなっているか│
│も合わせてご教示ください。                                                 │
 おそらく不適切な金が動いたと想像したのであろう。これに対する回答は
〈名古屋市教委の「笑顔いっぱい絆づくり推進事業」の一環として、交通費込みで、五万円を執行しました〉
というものである。これは他の講師とまったく変わらない。質問を考えた側(邪推するに現場に疎い国会議員ではないかと思うが)は当てが外れたのではないかと思う。学校現場では所定の金額しか出せないという事情を知っていれば、こんなことは聞くことはないと思われるのだが、あえて聞いたということは彼らが普段しているのが裏金を使ってかなりの金額を支払う、いや受け取っていることの証であろう。決して特別扱いはしていないのが学校という現場なのである。想像力の無い無知な人間の質問というのは自身を映す鏡となってしまったということである。ここは嗤っていい。
 さらに四月になって名古屋市教育委員会が逆に文部科学省に対して調査の趣旨を問う質問状を送ったという(朝日新聞DIGITAL2018.04. 02)。ここは名古屋市教育委員会に喝采を送ろうではないか。
 

 五月六日にアメリカンフットボールの日本大学と関西学院大学の定期戦が行われたが、その際に発生した日大の選手による悪質タックル問題が世間を騒がせている。本日(四日)のテレビ情報では日大理事長はこのまま時間を稼ぎ、ほとぼりが冷めた頃、理事長らの退陣を要求した教職員組合のメンバーに対しての報復人事を行うのではないか、という推測をしていた(テレビ朝日系列)。「ほとぼりが冷めるまで」という発想が日大執行部にあるかどうかは定かではないが、そういうことが起きないようメディアも市民も見守っておく必要があるだろう。なぜならば、この国では「ほとぼりが冷める」という悪しき慣行がそれなりに国民の常識となっているからだ。
 「ほとぼりが冷める」という言葉を覚えたのは昔のやくざ映画ではなかったかと思うのだが、大学という〈知〉の空間でそのような認識があるとすればそれは哀しいことである。テレビでそのように評したのはメディアの人間であって日大の人間の口から発せられたわけではない。だからこそ、日本大学がそのレベルでの報復人事なんぞを起こすことのないよう、日本大学の最低限の〈知〉を信じたい。
 今回の事件で見えてきた日大の執行部体制の醜態は五十年前の日大闘争を彷彿とさせる。日大闘争時の古田会頭は柔道部主将から日大職員となり、トップに登り詰めた。そこは変わっていないし、強権的な支配体制であることも変わっていない。ていうか、日大闘争で「(日大)当局側は、体育会の学生らに働きかけて暴力を振るわせ、運動を妨害させていた」とし、「日大当局は学生運動を抑え込もうと、闘争後も体育会の学生を利用してきた職員として採用され、大学運営を長年担ってきた人もいる」(『週刊朝日』2018.6.15)と「私大事情に詳しい教育関係者」の声として週刊誌では説明している。学生運動はその後沈滞していくわけだが、体育会の学生が職員となり、出世していくコースが定着しているのは田中理事長、内田前常任理事などの存在から容易に推察できる。
 このことについては多くのメディアが語っているし、日大の内部事情を批判する立場にもないからこの辺でやめておこう。それよりもこのような体質は日大だけではなく、日本の教育における問題であるので、ここでは今回表面化した体育会系の体質について考えてみよう。
 日本におけるスポーツは多くが大学から始まった。始まったというより、近代スポーツは大学を通して輸入されたのである。『東京大学百年史 通史(一)』の記述によれば「明治維新以後の日本に、近代スポーツが移植されたのは、外国人教師の活躍に負うところが多い」(八九五頁)ということで、「英国人の図学教師バーBarr, W. が工部大学校(東大工学部の前身―河東注)に運動会を起こそうと主唱して、自らもクリケットとフットボールを指導した」(同)というのが最も古い記述なので、明治十年代のことである。外国人教師たちはスポーツで何かをしようとしたのではなく、新しい国家である日本の若いリーダーたちに紳士の嗜みとしてのスポーツを伝えようとしたのである。
 もとい近代スポーツは英国で始まったとされる。「それ以前には、例えばフットボールなどは農村や都市の住民たちの民族的な遊戯であった。これをパブリック・スクールあるいはケンブリッジ、オクスフォード等の大学のエリート学生たちが吸い上げ、まず学校内でクラブやルールをつくり、その後、これらを統合した組織、ルールをつくるという経過で近代的なスポーツの形態を整えた」(渡辺融「近代ベースボールの成立 ―近代の中のスポーツ―」東京大学公開講座『スポーツ』所収)ということである。つまりはジェントルマン=エリート層の嗜(たしな)みないしはエリート層の自己形成のために近代スポーツは生まれた。そしてそれが日本の近代エリートを養成する大学や中等教育機関に持ち込まれたのである。だから当然自主的な組織であり、エリートとしての自己形成というカタチをとっていた。スポーツが教育であるというのは、それが未来のリーダーたちが身につけておくべき教養として学んでおくべきことであるがゆえに「教育」だったのである。
 中等教育では例えば都立日比谷高校の前身である東京府立第一中学では明治十八~十九年頃にAS会という自治組織を作ってスポーツ団体をまとめていた。ちなみにASとはアスレチック・スポーツの略である。そしてこういう学生スポーツの組織はその後学友会とか校友会といった学生・生徒と教員の団体で運営されていくことになった。教員と生徒が同じ団体を形成するところに紳士の社交場としての意味があった。
 このような紳士の嗜みという発想はほどなくぶちこわされる。一つはメディアによる学生スポーツの商品化である。六大学野球や、甲子園での中等学校野球大会など学生・生徒のスポーツを新聞社や始まったばかりのラジオ放送が利用することで歪めていった。そうしたメディアの戦略の中で勝利至上主義が芽生える。ヨーロッパでは紳士のたしなむアマチュアスポーツは単に競技技術を磨くプロフェッショナルの上に位置したものであったが、日本ではアマチュアのプロフェッショナル化という現象が起きてしまったのだ。
 さらにスポーツの教育化という事象が発生する。これは戦時体制下に入って、野球は適性スポーツとして弾圧され始めたことに端を発する。これは早稲田の初代監督であった飛田穂洲という人物によって作り上げられた。飛田は野球に対する弾圧をはねのけるために、野球を「野球道」として位置づけたのである。野球道としての精神は猛練習によって培われる、母校のために戦う母校愛は国家愛に置き換えられ、いろいろなタイプの選手たちがあるときは我が身を犠牲にして送りバントを遂行し、それぞれの身にあった力を合わせて敵と戦う国難に殉ずる軍隊によく似たチームをつくり、戦争のように敵と戦うのだと主張して軍部から野球を守ったのだという(桑田真澄・平田竹夫『野球を学問する』新潮社)。そして野球による人間形成を叫んだのである。聞こえはいいが、従順に戦争協力をする兵士の育成の論理でしかない。だからスポーツによって兵士たるべきスキルを学んだのである。
 このように日本の学校スポーツは紳士が身につけておくべき素養という近代スポーツの性格を捨て、教育という美名のもとに人間を戦争に駆り立てるように変形させていくツールとして発展した。戦後になってそれが義務教育一般に展開したときに勘違いをした指導者たちは教育者面(づら)をして勝利至上主義の旗を掲げ、生徒たちを暴力的に支配し、敵に勝つ手駒として動かす快感の中に浸ることになっていったのである。生徒たちはそうした教師(コーチ、監督)の支配を受けながら従順な兵士としての人間形成を強いられることになるのである。
 かつて人権・同和教育に熱心な教師と部活をめぐって意見が対立したことがある。彼らはとても人権教育にも生徒の指導にも熱心な人たちであった。いろいろと課題を抱えた子どもたちは中学生くらいになると生活が乱れ、荒れていく。そうしたときに熱心な教師たちは部活で生徒たちを鍛え、ともに汗を流すことで、彼らを立ち直らせていった。だから部活は教育活動としてはとても重要な機能を持つというわけだ。そう語る教師たちの顔はその成果ゆえに自信に満ちていた。それはそうだろう。彼/彼女にとって従順な兵士を育てたわけだから。
 中には優勝請負人を自称して学校を渡り歩く(ように見える)教員も義務教育の学校にいる。どういう教科の教員であるかが評価されているのではなく、特定のスポーツの指導者であるということがレーゾンデートルとなっているのである。もはや教員免許状の必要な教員であることをやめた方がいい。
 話を戻すと、いわゆる体育会系という人間のタイプがある。スポーツを通して人間形成ができるというのならばさぞかし立派な人格者になったのかと思いきや、多くは「頭が筋肉」と言われる人物評がなされることが多い。つまりは兵士として人格形成がなされたと言うことだ。彼らの上意下達の行動様式は絶対的支配関係で成り立っている。そこで形成される人格はどういう道徳性を持つものだろうか。道徳が特別の教科として教科化され、小学校では今年から、中学校では来年から道徳が教科として子どもたちは学ぶ。道徳で求めている内容は現代の「平和で民主的な国家および社会の形成者」を育てるものであり、そこには上意下達の徳目はあがっていない。
 百歩譲って保守派の大好きな伝統的価値観である五倫五常の徳目にしても上意下達はない。せいぜい君臣に義あり、長幼に序ありという程度だろう。われわれだって年長者は敬うし、上司と部下の間は人間としての信頼関係がある。しかし、内田前監督がすべてを部下である井上コーチや(勝手に暴走した)選手の所為(せい)にすることはどう考えても君臣の義に反した行為にしか見えないし、田中理事長が知らぬ顔をして引っ込んでいるのも五輪五条に悖るばかりか、学習指導要領の内容項目にもそのような行為を認めるものはみあたらない。
 内田前監督ははじめの頃のインタヴューでは
「すべての責任は私にある」と立派なことを言っていたが、具体的に自分がやったことはすべて否定し、部下や選手の所為にした。総論的に「すべての責任は私にある」と言うのは、上司が頭を下げれば落とし前がついて、それで済むだろうという世間を舐めたパフォーマンスでしかなかった。具体的な責任のある行為が自分にまわってきたとき、
「信じてもらえないでしょうが、私は言ってません。」
というような責任逃れをする。そのような行動はいつの時代の道徳も認めてはいない。なにしろ学習指導要領では「うそをついたりごまかしをしたりしないで,素直に伸び伸びと生活すること。」(小学校版〔第1学年及び第2学年〕二学年)と戒めているのである。
 悲しいことにこの人たちはスポーツによって人間形成をされた人たちである。つまりは兵士をつくるようにスポーツを通して教育された結果なのだ。そうした教育は今や義務教育にも蔓延している。
  誤解の無いように言わせてもらえば、私自身、長い間体育系サークルの顧問をしていた。学生たちは皆、スポーツを愛する素敵な連中である。なにしろ、人間としての教養として当該スポーツを学び、楽しんだ仲間たちだからである。中学校の部活も試合は近隣校との対抗戦ぐらいにしておけばいい。義務教育なのだからかつての紳士教育ではない。市民の教養としてスポーツを身につけていく方向を求めるべきだろう。
 今回の事件で、不幸にして加害者となってしまった日大の宮川泰介君はほとぼりが冷めたならもう一度アメフトを楽しめばいい。既にあのインタヴューをおこなって市民として成長したはずだ。その段階で市民の嗜みとしてアメフトを楽しむ権利を得たのだと言えよう。

 教員免許更新制を廃止する方針が政府内で固まったという。これはそれなりにニュースであった。萩生田文科大臣になって、大学入学共通テストにおける英語民間試験の導入、記述式問題の導入が相次いで頓挫した。そして、2009年度から開始された教員免許更新制を廃止するという。
 安倍内閣の教育政策の尻拭いを萩生田文相がしているかの感があるが、加計学園と縁の深い(元加計学園千葉科学大学名誉客員教授)萩生田氏にその役回りが来たのは単に運が悪かっただけだと思いたい。
 教員免許更新制が具体的に教育改革の目玉となって登場したのは小渕内閣のときにつくられた首相の私的諮問機関である教育改革国民会議がまとめた報告「教育を変える17の提案」(2000年12月22日)の中で「免許更新制の可能性を検討する」という文言が書き込まれていた。この「17の提言」には教育基本法の改定がしっかり書き込まれていたし、後に芽を吹く火種がばらまかれていた。
 教員免許更新制はそれ以前からもたびたび話題に上っている。古くは1983年に自民党文教制度調査会・文教部会が発表した「教員の養成、免許等に関する提言」の中で触れられていたらしい一。その後、臨時教育審議会でも議論され、教育改革国民会議で具体的提案となって登場したものである。
 「17の提言」では教員の評価について、「効果的な授業や学級運営ができないという評価が繰り返しあっても改善されないと判断された教師については、他職種への配置換えを命ずることを可能にする途を拡げ、最終的には免職などの措置を講じる」としたうえで、「採用後の勤務状況などの評価を重視する」として、「免許更新制の可能性を検討する」とした。特定の教師に不適格者のレッテルを貼って排除する、という思想に基づいている。これは同じ「17の提言」に書き込まれた「問題を起こす子どもへの教育」に通ずるものがある。「一人の子どものために、他の子どもたちの多くが学校生活に危機を感じたり、厳しい嫌悪感を抱いたりすることのないようにする」と多数派の子どもたちの教育を優先する視点に立ち、「問題を起こす子どもへの対応をあいまいにしない」として、いわゆる「問題を起こす子ども」を「出席停止」などの手段で排除するという思想であって、教員免許更新制案と共通する新自由主義的弱い者いじめと言ってもいい発想に基づいている。
 このような考えは、巷間、保守系にとっては教育改革のひとつの課題とはなっていた。
 1996年2月に実施した讀賣新聞の調査二では「教師の質が低下した」という声が46%あると指摘した上で、その理由を「教育者としての責任感が薄い」61%、「児童・生徒への観察力が乏しい」38%、「児童・生徒への影響力や指導力がない」36%、「教育者としての職業倫理を持っていない」「何事にも熱意がない」各32%という形であげている。
 一方、教師の質が「良くなった」としたのは4%に過ぎなかったが、その理由は「知識や学力の水準が高い」33%、「教育者としての責任感を持っている」32%、「何事にも積極的に取り組む熱意がある」30%、「児童・生徒の人権を尊重する」23%などであったという。
 「よく勉強し、人権意識も強くなった」という点はささやかだが評価されているのだが、教師との距離感のような「責任感、存在感、倫理観」において不評であったという数字であったと読める。これは教員は自ら専門性の向上について努力している者がいることを認めた上で、教員として不適格な人物がいるという世論があることを強調した結果となっていた。この不適格な人物を排除することへの期待を暗示するものであった。
 教育改革国民会議の発足後すぐに小渕首相は急逝し、この「17の提言」は森喜朗首相に提出されたものであった。「17の提言」は、教育基本法の改定を目的とした内容のものであり、その路線の中に教員免許更新制が位置付いていたと見ておく必要がある。それは先の『讀賣』の世論調査の流れから導き出された答案であり、後に「教育基本法改正、教員免許更新制の導入-。戦後レジームからの脱却を掲げる安倍政権の教育再生は、日教組にとって『戦後教育の一翼を担った教組の解体をもくろんでいる』(日教組関係者)と映る」三という安倍政権による教組解体工作として非難される構造のものだろう。教師として不適格な人物を取り除くための免許更新という考え方になる。
 ところが、この提言で示された教員免許更新制は翌月まとめられた「二十一世紀教育新生プラン」では先送りされ、2001年11月の中央教育審議会で見送りとなった。不適格な人物を取り除くという側面での免許更新制については、(1)免許状授与の際に人物等教員としての適格性を全体として判断していないことから,更新時に教員としての適格性を判断するという仕組みは制度上とり得ない。(2)人物等教員としての適格性を客観的に判断できるようなメルクマールがあるのかという難しい課題。(3)一般的な任期制を導入していない公務員制度全般との調整の必要性等,制度上,実効上の問題などの理由によって、更新制は無理という判断であった。
 そこで、別に取って付けられた更新制採用の視点は「教員の専門性の向上」であった。これは先の『讀賣』の調査によればささやかながら教員の現状は評価されているもので、敢えて更新制採用を必要とするべきものではなかったのであり、まさしく取って付けた視点でしかなかった。尤も、これについても教員にのみこれをおこなう制度的に無理があるという判断であった。
 それが数年後に息を吹き返したのである。2004年10月小泉内閣の中山成彬文科相は「今後の教員養成・免許制度の在り方について」なる諮問を中教審におこなった。中山は日教組を目の敵にしている政治家であったことはよく知られている。その中山が教員免許更新について「教員免許状が教員として必要な資質能力を確実に保証するものとなるようにするとともに,教員一人ひとりが常に緊張感を持って,自己の資質能力の向上のために一層研鑽を積むようにするためには,教員免許制度を改革し,教員免許更新制を導入すること等について,検討する必要がある」という理由で諮問をおこなったのである。
 この諮問に対する答申は小泉政権終盤の2006年7月に提出された。この答申では「更新制の導入により、すべての教員が、社会状況や学校教育が抱える課題、子どもの変化等に対応して、その時々で必要とされる最新の知識・技能等を確実に修得することが可能となる。」という取って付けたような意義を与えられていたが、趣旨として「いわゆる不適格教員の排除を直接の目的とするものではなく、教員が、社会構造の急激な変化等に対応して、更新後の10年間を保証された状態で、自信と誇りを持って教壇に立ち、社会の尊敬と信頼を得ていくという前向きな制度である」といった方針の転換というより、詭弁を弄することで再出場させることにしたのである。ここでの大きな勘違いは〔研修を受ければ「自信と誇り」を持ち、「尊敬と信頼」を得られる〕という彼ら(!)の教育観であった。
 この教員免許更新制は教職大学院と抱き合わせで具体化した。このことは大きな意味を持っている。なぜならばこの抱き合わせの中に彼ら(!)が誤解している教師像があらわれているからである。
 今、誤解していると書いた。「目指している」ではなく「誤解している」と書いたのはそもそも彼ら(!)に教師及び教育に対する見識というものが欠落しているから、ということであって、彼ら(!)が悪意を以て教師像を描いていたとは決めつけたくないからである。
 大きなまちがいは教育の成果を数値化し始めたことによる。古くは1961年の全国一斉学力テストの実施である。この学力テストに対して日教組は「中学校をテスト準備、予備校化し、知育偏重、民主的教育を破かいするものである」四と位置づけ、反対闘争を展開したのであった。また、この時、日教組がどこまで理解していたのかは分からないが、受験競争は激化し、子どもたちの輪切りはとどまるところを知らず、現在に至っている。受験戦争と呼ばれたものは少子化と共に対戦相手がいなくなることで終焉を迎えてもよかったのだが、そうはなっていない。学習塾は健在でこの国の至る所に看板を見るし、受験産業は教育産業と名を変えて国の学力調査を引き受けるまでに成長している。
 背景には教育の成果の数値化を目的とする信仰といってもいい病魔が教育界を浸潤しているからであると言っておきたい。数値化された成果物は一種の商品であると言ってもいい。教育が商品化されれば、学生は消費者化し、授業は授業料に見合った(学生が喜ぶ)甘い味付けになり、学力は下がり、教育は崩壊するという五。実際、学校では成績という数値化された教育の成果のみ年にが問題とされ、そのツケは低学力の子どもたちに回されてくる。なぜならば、その子たちには低い数値という量のみが押しつけられ、学びの質はまったく与えられない。さいわいにして高い数値を得たものであっても、数値信仰から抜けられず、大学での学びに堪えられない学生は増えている。たとえば、高偏差値の大学でまともな卒論が書けない学生が増えている。それし「最近では,単なる提出物程度に考える者が増えてきた.そうするとより低い『お友だち水準』に合わせようとしてしまい,質の低下を招くことになる.」六というのはまさに大学教育が商品化され、卒論が単位数という数値で処理されるようになった結果だろう。
 数値化を推し進めてきたのは、教育の現場であり、そこには日教組の組合員もいた。彼ら、彼女らは善意を以て無自覚に子どもたちに数値を目標とする学びを教えてきた。だから「誤解」なのである。
 話を戻そう。抱き合わせとされた教職大学院は「実践的な指導力・展開力を備え、新しい学校づくりの有力な一員となり得る新人教員の養成」と「地域や学校における指導的役割を果たし得る教員として、不可欠な確かな指導理論と優れた実践力・応用力を備えた『スクールリーダー(中核的中堅教員)』の養成」(2006年答申)を目指すものとして構想された。教職大学院では他の専門職大学院と同様、一定数の実務家教員を置くこととなっている。実務家教員とは実際にその専門職に通暁した人間である。「新人教員の養成」ならそういう人物から学ぶことは意味があるのかもしれないが、「スクールリーダー」となるとこれは単に先輩教員から伝授される話になり、敢えて専門職大学院に行く必要性はなくなる。ならば、教職大学院はの役割は単に専門職修士の学位を入手するというに過ぎなくなる。
 自分の経験から言うのだが、かつて教育学系の大学院の門戸を教員を主とする社会人に開放したことがある。この時は研究能力のみを磨いてもらう場として学術研究の修業をしてもらった。実際に僕自身何人かには研究者としての資質を認めて博士号も出しているし、研究者として自立していった教員院生もいた。授業の内容も質も研究者養成のものであったし、そのことを社会人院生もそれを期待して食いついてきたものであった。
 しかし、教職大学院は前述のように専門職修士を取ることが次の教員としてのキャリアアップのための資格みたいなものになるのであって、それは商品となる宿命を持っているのである。教員免許更新制も何らかの講習を受ければ更新という商品を得られるというシステムである。そして、こうした商品は商品であるから安易に購入できる。教職大学院は授業料という料金であり、免許更新もまた受講料である。それと引き換えに資格という商品を手に入れているのである。
 ここでおさえておきたいのは教育や学びは権利であると考えたいということである。義務教育は中学校までで、義務教育には教育を受ける権利がある。それ以降の教育は権利ではないと考えている向きがあるなら、それは危険だ。知的好奇心が学術研究の原点であり、教員が己の教育技術を伸ばしたいと思うのも自然な向上心であって、それを満足させようとすることは誰にも止められない。つまりよりよく生きる権利なのである。
 その権利を商品化するから学術研究は金の取れる研究になったり、業績稼ぎのための論文執筆となったり、居眠りをしながら一方的な講話を聞いたりすることで免許が更新されるということになる。
 教員免許更新制が実現しようというとき、讀賣新聞の社説は「都道府県教委が実施する免許更新講習を最低30時間、受講すれば原則的に免許は更新される。仮に修了できなくても、後に『回復講習』を受ければ免許の再授与を申請できる。/ これでは、日ごろから自己研鑽(けんさん)を重ね、緊張感を持って免許更新に臨む教員などいないだろう。講習を聴いただけで更新される免許に『自信と誇り』を感じるだろうか。何より、国民の『尊敬と信頼』を取り戻すことにつながるのか。」七とこの講習が研修(研究と修養)からほど遠い存在であることを喝破していた。
 そして、教員免許更新制の廃止の方向が打ち出された後の読者の意見として次のようなものがあがっていた八。
                                        ◇高校教諭 三神智子 55(東京都葛飾区)
   政府は、「教員免許更新制」を廃止する方針だという。私は制度が始まった2009年度に更新した。日程を考え、講習先を探すのに苦労したが、専門分野の最新研究を学べて、刺激を受けた記憶がある。
   だが、10年後の2回目の更新の際に受けた講習は新鮮味が欠けていた。講師陣も決められたカリキュラムを淡々とこなしているような雰囲気だった。受講する教員間の年齢差も大きく、この状況が続くなら、あまり実践的ではないと感じていた。
 開始当初は気合いが入っていたのだろうが、10年も経てば講習をする方も受ける方もそれが自らの意欲から出るものではなく、売買される商品にすぎないことに気づいたということであろう。研修(研究と修養)は自立的活動でなければ意味はない。昨今言われるアクティブ・ラーニングも自らが学びの主体として問題を見つけ、解決するプロセスを重視する。たとえば大学で卒論を書くというのはそういう学びだった。しかし、金を払って講習を受けるだけのスタイル、金を払って先輩教員の自慢話を聞くこと、そういう学びの商品化が2006年の中教審答申「今後の教員養成・免許制度の在り方について」の描く教師像であった。いや、もっと直裁に言えば、教育というものについての見識のない文書であったと言ったほうがいいのかもしれない。
 さいわいにして教員免許更新制は破綻した。あまりにも無意味で無駄が多いことにさすがに文科省も気がついたのだろう。しかし、問題は教育に対する考え方である。戦後、「なすことによって学ぶ」という経験主義的な教育が試みられたことはあるが、ほどなく系統主義的流れに全体が取り込まれていってしまった。それを知育偏重という人がいるかもしれないが、知育偏重といえば知育に対して失礼である。知識注入指向と言ったほうがいい。この傾向は日本の近代教育には一貫して存在してきた。歴代天皇の名を暗誦させたり、教育勅語を暗誦させたりというのはその典型である。
 「17の提言」では「学校は道徳を教えることをためらわない」などと言って、道徳の教科化を提案していた。これも近年実施の運びとなった。この道徳もそうであるが、教師から児童・生徒へ教え込めばなんとかなるというレベルの教育観が政治的に押しつけられつづけてきた。そして、押しつけられたものの評価は数値なので、それらは商品と化して教育を腐らせてきた。何もかも教え込めばなんとかなる、道徳も教えればいじめはなくなる、というような愚かな信仰が教育現場に根をおろし、いまや取り返しのつかないところにまで来ているのだ。
 アクティブ・ラーニングというのはそうした学びの姿勢を転換する発想であったが、結果的に数値を高める効果に目が行けばそれでおしまいなのである。研究は自らの好奇心に基づいて問題意識を立てて取り組むから意味があるのであり、大学院はその研究の方法を学ぶところである。大学も学問を体験することによって自立した人間をつくるところである。その基本は義務教育や高等学校教育が担うところなのであるが、教員の研修を一方的な講習で済ます限り、それはなんらの効果ももたらさない。逆に子どもたちから「課題を解決するために必要な思考力,判断力,表現力等」九を剥奪することしかできない教師を再生産する。そして、教職大学院も然りであるし、道徳の教科化はいじめをなくすことより、いじめを隠蔽する体質を子どもたちの中に醸成することであろう。
 今回の教員免許更新制の見直しが単に教員の不満を解消する程度の認識によるものならば要注意である。もっと愚かな事態が登場しないとも限らない。まずは教員自身の体質改善から始めねばならないのだが、そこには教師自身の「主体的対話的で深い学び」十が必要なのである。
 

 手元に一冊の小説がある。門井慶喜『東京帝大叡古教授』(小学館)、おもしろい。主人公は東京帝国大学法科大学(当時は学部ではなく、法科大学、理科大学と称する分科大学という制度であった。各大学に学長がいるので全体のトップを総長と呼んでいたのである)の宇野辺叡古教授を訪ねてきた第五高等学校生徒の阿蘇藤太という青年だ。彼が宇野辺叡古教授と待ち合わせていた帝大の図書館で殺人事件に出くわしてしまうところから始まる。実は阿蘇藤太というのはその時に叡古教授からつけられた偽名である。
 ということで、殺されたのは叡古教授の同僚である高梨力衛教授だった。これを皮切りにさらに2人の博士(1人は学習院教授)が殺されるという展開であり、小説の中には夏目金之助やら徳富蘇峰やら桂太郎といった歴史上の有名人が実名で登場するのも実に楽しい。
 叡古教授は殺された3人にあと4人の東京帝大教授の名を並べて藤太青年に見せる。なんと彼らはいずれも二年前、明治36年6月に意見書を桂首相に提出した同志であったという。これは七博士事件ないしは首謀者である戸水寛人教授の名を取って戸水事件ともいう実際に起きた歴史的事件である。彼らはこの意見書を6月24日付東京朝日新聞に掲載して、耳目を驚かした。実際の七博士とは戸水寛人、寺尾亨、金井延、小野塚喜平次、富井政章、高橋作衛、中村進午(学習院教授)の七名である。で、小説で殺されたのは高梨力衛、鳥居久章、中倉金吾であり、あとの4人は実名で出てくる。おもしろいだろう。
 問題はこの意見書である。意見書は満洲問題に関してのもので、満洲を守るためにロシアに対する開戦を求めたものであった。これに対し、児玉源太郎文相は「大学教授として外交問題に対し意見を発表するが如きは決して黙許すべからずと云ふにありて目下処分策に内儀中の由」(東京朝日新聞1903年6月28日)と処分をほのめかしたが、省内の意見が割れて結論は出なかった。
 果たして、翌年2月8日露戦争は始まった。そして戦争中も「七博士一派」は戦争をするべく運動を続けていた。そうしたところ明治36年8月、文官分限令第十一条第一項第四号「官庁事務の都合に依り必要なるとき」という規程によって戸水寛人教授に休職が命ぜられた。この規程は読み方次第であるが、「少なくとも表面丈は予て風評ありたる懲戒的意味を含まざるものと見て可ならんや」(東京朝日新聞1905年8月25日)と法律の微妙な解釈のもとにおこなわれたものであったようだ。さらに中村進午学習院教授も9月30日付で宮内省より免官されている。
 これは帝国大学というものが「帝国大学ハ国家ノ須要ニ応スル学術技芸ヲ教授シ及其蘊奥ヲ攷究スルヲ以テ目的トス」(帝国大学令第一条)という規程に基づいており、「国家ノ須要ニ応スル」ということが政府の意向に従うということなのか、国家のために正論を吐くということなのかという判断の問題であった。
 中村博士免官の直後、残り5人の博士たちは文部大臣に抗議すると共に、文官分限令のようなあいまいな形で休職を命ずるのではなく、懲戒令で処分するべきだと訴えていた(東京朝日新聞1905年10月2日) 。
 一方、東京帝大は休職中の戸水博士を講師として嘱託し(同紙1905年10月4日)、事実上復職させた。京都帝国大学法科大学は学長、教授、助教授が連名で文部大臣に抗議文を渡している。そこには「あなたは毅然として学問の独立を保証し、国家権力の手から護るべきなのに、何も考えずに権力に忖度し、法令を曲解して公務員の身分を侵し、大学の教務を妨害した。まずは自分の務めとして戸水寛人に復職を命じ、過ちを認めるという雅量を示しなさい」(東京朝日1905年10月6日)と結んでいた。
 さらに山川総長は戸水休職問題が不当であると文部省に訴え、このままだと教授たちの大反抗があるだろうと告げたにもかかわらずまったく改めようとしない、そうしたら京都大学までが抗議してきたではないか。次は教授たちを応援せざるを得ないが、そうやって上司である文部大臣に逆らうのは本意ではないとして総長を辞職した(同紙1905年12月5日)。山川が辞表を提出したのは戸水の休職措置の直後であったという。つまり三ヶ月余の間辞表は留め置かれていたということになる。このことも東京帝大内では不信感となって積もっていた。
 また山川の意志を聞いた法科大学長穂積八束もまた、辞表を提出し、それを聞いた兄の穂積陳重博士も辞表を提出した。穂積陳重はこの一件に関し、文部省と大学の間で調整をはかる役割を演じていた。にもかかわらず、山川が辞職と相成ったためにみずからも辞表を提出したという。
 そうした動きの中で東京帝大の教授協議会が開催され、山川の後任となった松井直吉総長の辞職を求めた。総長は文部大臣が任命するものであったから、それを拒否したということだろう。松井総長はその勧告を受け入れ、辞表を書いた。さらに協議会では文部大臣、内閣総理大臣のそれぞれに当てて抗議書を提出したのである。
 その一方で、京都帝国大学法科大学では山川辞任の報を聞いて、学長以下全員が総辞職するとして、辞表を提出し、自体はどんどん大きくなった。
 そして遂に桂内閣は久保田譲文部大臣の辞職を以て問題の解決をはかることとした。さらに辞表を提出していた教授たちは辞表を撤回することで納まり、年が明けて明治39年1月29日には戸水寛人が復職となり、中村進午も2月3日付で東京高等商業学校(現一橋大学)教授に復職することになった。さらに大学の特別会計に改正が加えられて、財政的な自立の道が開かれた。「大学の独立」、いわば大学の自治の芽が生まれたと言ってもいいだろう。。
 この騒動の成果は学問の自由を世間に認めさせたということにある。ちなみにネタバレになるかもしれないが、『東京帝大叡古教授』の主人公阿蘇藤太は日本の戦争に終止符を打つ役割を果たしたとある実在の人物であったというオチがついている。
 それから七年後の大正2(1913)年今度は京都帝国大学で事件が起きた。5月9日付であの山川健次郎が再び東京帝国大学総長に任ぜられ、同時に京都帝国大学総長に澤柳政太郎という人物が任ぜられた。澤柳は文部官僚として次官まで上り詰めた人物で、東北帝国大学の初代総長を務めていた。一方で、教育学者として多数の著作も著している。また、後に成城小学校を創設して、大正新教育を展開した人物としても知られる。
 その澤柳が東北帝国大学から京都帝国大学へ総長として転任してきたのは、若い頃に群馬県尋常中学校や第二高等学校の校長をしており、その頃に紛擾事件を解決し、またその手腕を買われていた。元文相の久保田譲は「澤柳氏は人格といい手腕といい、大学総長としてまったく不足がない。殊に教育についての見識を持っており、京都帝国大学のような比較的新進気鋭の教授連の統御上にも都合がいいだろう」(東京朝日1913年5月10日)とその管理上の手腕を評価していた。久保田の談話にあるように当時の京都帝国大学ではいろいろと問題が発生しており、「当時総長の来任は京都大学教授連に一大斧鉞を加えんがために奥田文相の意をうけて来たという説がある」(東京朝日1913年12月21日)という風評があったし、まちがいないだろう。また、当時の政府は全省で人件費の削減を目論んでいたという事情もあった。ということで、澤柳は7月12日文科大学教授谷本富、理工科大学教授村岡範為馳、横堀治三郎、吉田彦六郎、三輪恒一郎、吉川亀次郎、医科大学教授天谷千秋の七名の辞職を公表したのである。ちなみに文科大学助教授であった西田幾多郎はおかげで教授に昇進したというエピソードもついてくる(東京朝日1913年7月13日)。
 そして、なんと先の七博士事件で先鋭的であった法科大学は1人も辞職者がいなかったが、法科大学教授会会議は教授の位置を保障すること、教授を削減するときは総長の専断ではなく必ず教授会議の議決を要することなどを要求し、澤柳総長と対立した。京都帝国大学にとっては教授の自由な研究を文部省は不穏当とみなしているのは公然の秘密だといわれ、もしその教授を罷免するとなったとき教授会は如何にこれを防ぐかということが教授会の憂慮するところであった。そして、「良き総長はその専制を良き意味に使用することができるが、官僚的な総長はそれを官僚的に使用することができる。澤柳総長が罷免する七教授を選ぶのに苦労したと言つているが、今まで京大外にいて京大のことを知らない澤柳が何を根拠に教授の能不能を断定したのか。教授たちはその判断の根拠を教授会に置くべきだと要求しつつある」(大阪朝日1913年12月26日)とメディアは見ていた。
 そして、年が明けた大正3年1月15日大阪朝日新聞は「京都法科大学総辞職」という号外を出している。それを見て、奥田文相は法科大学教授との会見がもたれた。この調停役には七博士事件に名を連ねた穂積陳重、富井政章がついていたのも因縁だろう。そして、総長も教授も全員留任すると言うことで手を打ち、「教授任免については総長がその職権の運用上教授会と協定するのは差し支えない」という合意を得た。これは教授人事は教授会が握る道筋となった。澤柳は四月にみずから職を辞し、後任にはいったん東京帝大の山川健次郎が兼任することになった
ものの、翌年には総長選挙が行われ、教授会の選出した荒川寅三郎が就任することとなった。
 この結果、学問の自由がもう一段階進んだと言える。教訓として言えるのはもとい「国家ノ須要ニ応スル」学問を国家の望む学問ではなく、そのためにはそれが自由であることを勝ち取ってきたということになる。
 20世紀初頭に起きた二つの事件は今回の学術会議任命拒否事件とよく似た部分がある。いずれも人事を以て学問を蔑ろにしようとしていた。不都合なものは根拠を示さずに消していこうという点でもよく似ている。それに対して教授たちはみずからの地位を賭して闘ったのである。そのことにより、状況は確実に前進したのである。そうした蓄積が今、学問の自由を語る基盤になっているということを忘れてはならない。また、メディアも闘っていたのである。大阪朝日新聞は「今、(澤柳総長の人事を)突っぱねなければ大学は官僚政治の下に屈従してしまう運命にある。泣き寝入りは極めて危険だ」(大阪朝日1913年12月19日)と警鐘を鳴らしていた。この官僚政治はまさに今の菅政権のあり方そのものである。
 先日、ラジオ番組の中で官僚出身で政治家経験者の大学教授が「学術会議問題のような優先順位の低いことばかり議論してないで、もっとやることがあるでしょう」みたいな発言をしていて、アナウンサーはありがたく同意していた。 まさに官僚出身の価値観が露骨に出ている。違っているのはメディアの姿勢であろうか。
 今、私たちは学問の自由という先人の勝ち取った財産を持っている。それが官僚政治的発想の中で押しつぶされていくのを指をくわえてみていてはいけない。優先順位は何よりも高いのだ。