「経験は思考に勝る」
この名言は、先日私が考えたものです。
名言、いや金言とも言うべきか。
職業柄もありますが、本質的に私という人間は、
思考派です。とにかくロジカルに。
何より「考える」ことを一番大切にしています。
その根拠は?目的は?
窮屈な人間ですね~
なので、自分の判断には一定の自信を持っています。
「なぜ?」と聞かれた際には、きちんとその回答を持っています。
しかし、それは全て自分の見えている世界
限られた空間の中での話。
「宇宙はなんでできた?あなたはなぜ生きている?」と
聞かれても、自分の範疇を超えた世界に対しては、
その答えを持ち合わせておりません。
それはなぜか。
「知らない」からです。
宇宙も人間の起源も、私の経験則ではなまじっか答えられない世界の
話だからです。
しかしながら、それは宇宙に限った話ではありません。
たとえば、先日ブログにも書きましたが、i-phone13の話。
指紋認証やホームボタンがないi-phoneを使ったことが無い私は、
faceIDの利便性に気づくことはありませんでした。
それどころか・・・・
最近会社のケータイをi-phoneSE第3世代に替えたのですが、
ホームボタンが使いづらいこと・・・・!!!!
あれだけ無くなったら困ると思っていたものが、
実は不便ですらあったことに気づいたのです。
それと同じ話が、車。
とうとう車を手に入れたのです私。
しかも奥さんのお父さんからタダで譲り受けるという!
それまでは、シェアカー一択でした。
都心近郊の暮らしで、車なんて要らないと。
金もかかるし、もったいないだけだと。
まさに「車のある生活を知らない世界」の話でした。
例のごとく私は、シェアカーシステム利便性やトータルコストの安さなど、
様々な理由でロジカルにシェアカーの良さを人々に説いておりました。
それが自分の狭い世界だけの判断だとも知らずに・・・
車のある生活・・・・
最高過ぎなんです・・・・
もう車のない生活を考えられないんです。
今までは、遠出するときだけ車を使っていましたので、
それを実現する手段の選択肢として、シェアカーorマイカーを比較していました。
だけどそれだけじゃ判断材料にならないんですよね。
近場の買い物や、雨の日の送迎、暇なときのドライブ・・・
車があるだけで湧き出てくる選択肢っていっぱいあるんです。
それに加え、幼い子供もいることも考えると、
毎回毎回電車で周りに気を使ったり
満員電車にベビーカーを押し込んだり
オムツやら着替えやら大荷物を常に持ち歩いたり・・・
これまで当然のこととして受け入れていたストレスが
車があることで一気になくなるんです。
もちろん、駐車場や渋滞という新たなストレスは出てくるのですが、
それらも判断材料に入れたとしても、やはり車のある生活はもう考えられないのです。
冒頭の金言に戻りましょう。
「経験は思考に勝る」
本当にその通りなんですよね。
とにかく、頭でっかちになって世界を狭めないよう。
何でもやってみて、考えよう。
bye