『「40歳の壁」をスルッと越える人生戦略』(尾石春 著)

という本を読みまして。

 

ここんとこ数年の私の悩みは1つです。

ずばり、人生について。

一生に一度しかない、この自分の人生をどう生きるか。

今まではあんまりこんな悩みを持ちませんでした。

とにかく目の前のことに取り組めばよかったから。

仕事も、人付き合いも。

 

しかしもう、40歳目前。

家族もいます。

このまま自分の人生どうなるのだろうか、と。

 

仕事は嫌いではない。

自分の成長を感じられるし、給料もそこそこもらえている。

けど、自分達の仕事が世のため人のためになっているか、わからない。

これはまぁ、IT業界あるあるなんですけど。

世の中を便利に、なんて聞き飽きたきれいごと。

実際は利益主義のだまし合い。

自分達の作ったシステムで誰かが幸せになっているなんて、

この仕事している人達は誰も思っていない。

たまにそんなことを考えて、仕事が嫌になることもある。

 

そんなときに読んだのが冒頭の本。

「自分業を探そう」と。

自分が本当に好きだと思えること、人に負けないこと

「好き」を仕事に。

 

それこそ綺麗ごとかもしれない。

けど、本当に、このままこの仕事をして定年を迎えるのだろうか。

このモヤモヤを感じたまま、決してラクではない仕事に

全力を尽くせるのだろうか。

 

自分の「好き」とは何だろうか。

 

考えるまでもない。

 

今はまだ、その時期ではない。

子供達がもう少し大きくなって、もう少し手を離れたら、

動きます。

 

shinya、動きます。

 

副業、始めます。

 

 

bye

長くて、様々な展開があって
意味不明な夢を見た

そんな夢を見るのは久々だったので
無意味にも書き留めておこう



とある山の中の洋館

そこで大規模な飲み会が開催されていた

そこには知った面々が
大学時代の仲間達だ
だけどもいつメンより少し世代が低い
ちょっとアウェーな感じだ

これはたぶん、最近若い世代の後輩達が
ライブイベント開催して楽しそうだった
というインスタの投稿見たからだ

ずいぶん飲み過ぎた
気づいたら朝になってた
謎の洋館のダイニングテーブルで目覚めた
夜のことを思い出す
見知らぬ子供達と遊んでた記憶がうっすら
誰かの子供?小さな男の子と女の子

部屋に蝿が飛び回ってる
五月蝿い
タオルではたき落とす
…蝿じゃなくてオニヤンマだった
オニヤンマ好きな俺はすごく後悔する
庭に放してあげたけど、羽が一枚無くなってた

程なくして帰る
帰ったはずなんだけどまた山の中に戻ってきた
洋館の近くの空き地だ

だるまさんがころんだ
で遊び出す
メンツにダウンタウンの浜ちゃんがいる

全部が意味不明
まぁ夢なので

だるまさんがころんだ、なのに隠れる場所を探す俺

近くに古びた別の洋館が

たぶんこの辺はネトフリのピーキーブラインダーズの影響かなあ

洋館のフカフカのベットに包まって隠れる

すると、布団が動き出す
モゾモゾと

布団をめくると…

ゾンビだ
ゾンビが襲ってきた
撃退しようにも手強い
するとなぜかそこに朝倉未来が
彼の手も借りてなんとか撃退

どうやら話によると
昨晩遊んだ記憶の女の子はもういないらしく
このゾンビ?達に連れ去られたらしい

朝倉未来が言う

「これ、探しに行く企画ありなんじゃないですかね」


夢ってほんとに意味不明だからびびる

言葉にすると凄い


珍しく、鮮明に覚えてた夢でした

くだらねー


bye



最近、強めの地震多くないですか・・・

昔ほど地震にはビビらなくなりましたが、

地震雷火事親父というように、地震は天災の中でも最も恐ろしいやつ

正直地球の中のほうがどうなってるかとかわからないんで

ほんとにいつか全てをぶっ壊すような地震が来るかもしれない

そうなったら、今の生活や日常ってどうなるんだろう

 

それでも自分の住んでるところは大丈夫だろって

心のどこかでは思っているんですが

大きな被害をもたらす災害って、たいてい「まぁ大丈夫だろう」って気を抜いている

とこにドカンと食らうんですよね

 

心の準備だけはしておいたほうがいいのかな

 

毎日を大切に生きておくだけでもいいか

 

bye

人生には無限の可能性があります。
誰しもが最初はそうだった。
想い想いの夢を描いて。

そしていつしか人は、現実の渦に飲み込まれていきます。

この歳になると、
「何かやらかそう」って気持ちも無くなってきて
「人生楽しんで穏やかに生きよう」
ってなってきます。

もとい、自分にらやらかすほどの何かを
持ち合わせて無かったことに気づきます。

バリバリに働いてウン千万稼ぐ人もいますよ

でもそれは誰にでもできることではない
根性と体力だけで何とかなるもんでもない
いや、根性と体力だって人によって
ゲージの幅は違う

ようは、身の丈にあった生き方をしようと

別に諦めてるとかじゃないんですw

身の丈の中で、最大限に努力をしながら
前向きに、向上心は忘れずに
成長し続けたい

自分ではこれで良かったと思えるように

そんなことを考えて生きてきます

bye
今、10代に戻れたのなら
当時の3倍は人生楽しめるだろう


なぜなら、大人は楽しみ方を知っている

それが永遠に続くことではないことを
知っているため、ただその時を楽しめるから


「限りある時間の使い方」
という本を読んでハッと気付かされたこと


何かの見返りとして
楽しみを享受するスタイルだった10代
たしかに、あの時は掘れば掘るほど
楽しいことだらけの、宝の山だった

宝は無限に隠されていて
自分はずっと山にいられるものだと
思っていた

歳を取ると、そうでもないことに気づく

様々な制約、制限があり
時間も限られてものであると知る

交友関係、家族でさえ
永遠に続くものではないと知る

だからこそ、楽しみ方に気づく

気づいた方が良い

気づいたもん勝ち


先日水族館か行って感じたこと

大きな魚を見て大きいなーーとか
変わった形の魚を見て面白いなー
あの魚は綺麗だなー


…でも、テレビでも見たよね


今の時代テレビも綺麗だし
YouTubeでも観れるよね

そう思うと


あれ?


そこそこのお金を払ったのに、あれ?


違うんですよ


ただそこに「居る」

魚と共に「在る」

時間を共にし

ボーッと眺めてみましょうよ


何だか


心地良い



これが大人の楽しみ




ま、子供がはしゃぎ回るのでそんな余裕ほとんどないんですけどねーw


いつか1人でも行ってみたいな


bye