神は罰を与えるのか。 | 奇跡の氣功で才能を開花するヒーリング物語

奇跡の氣功で才能を開花するヒーリング物語

氣功師、整体師、養蜂家、カフェオーナーとして活動中。人々の才能を引き出し、ヒーリングで心身を整えるサポートを行っています。

今日のテーマは


『神は罰を与えるのか』

と言う意味深なテーマですが、

当たり前の事しか書いておりません。

 

 

 

まず「罰(バツ)」は

悪い行いに対するこらしめ。

 

同じ漢字でも読み方が違う

【罰(バチ)】もあり、これは

神仏のこらしめとしての、悪事に対する報い。

 

 

 

そうなると今回のテーマは

バツなのかバチなのか?

って事よね。

 

 

 

どうせなら二つともやっちゃいましょう。

 

 

 

神が与えるバツ

神が与えるバチ

 

の二つを。

 

 

 

 

そもそも神様ってどんな存在なのか?

というのは先日書いたのでこちらをご覧になってください。

 

 

 

 

 

 

 

 

これを順を追って読んでくれるパターンの人が意外と少ないのは理解してるので、

リンクに飛ばなくてもいいように簡単にまとめると、

 

 

『神とは循環である』

ってのを書きました。

 

 

 

 

別の言い方をすると自然の摂理。

 

 

 

人間界では、

他者に自我優先ではなく善我で良い行いをし続けると他者から良い事をしてもらえるようになる。

とかそんな感じ。

 

 

この時の注意点は

太郎くんにAの善行をしたとしても、太郎くんからAに対する良い事が還って来るという思い込みは放棄すること。

 

 

 

なので

他者に自我優先ではなく善我で良い行いをし続けると他者から良い事をしてもらえるようになる。

ってのの『し続けると』が重要になります。

 

 

 

物事は等価交換であり、

万物は出せば換えるものの、

 

ニンゲンの視点(自我意識)で考えると、

この時点で見返りを求めてしまってるので、

良い事はなかなか起きない。

 

 

 

でも、幸福度と言う観点から見ると、

しっかり等価交換で還ってきてる事がいつかは理解できる。

 

 

 

誰々に何々をしたのに何も起こらない。

とかは当たり前。

 

この時の問題は自分自身だから。

(後は運)

 

 

 

 

 

 

 

 

人間界ではなく、自然界だとしたら、

種が土に落ちて、太陽光だったり、温度だったり、水だったり、微生物だったり、振動だったりの条件が重なると『発芽』する。

 

発芽した種は芽を出し、その芽は茎となり、枝葉を出し、花を咲かせ、身を付け、種を生む。その種が土に落ち〜。これが循環。

 

 

他の生物も入れれば、

落ちた種を食べる鳥。

咲かせた花に集まるミツバチ。

実を食べにくる虫たち、実を採りに来るニンゲン。

とかとか。

 

 

 

ではその鳥の活動や虫の活動やニンゲンの活動を入れると、

一氣に自然っぽくなるよね♪

 

 

 

そんなそれこそ字のように自然の循環が起きてるの自然であり、

神様なんじゃないか?ってのが最近の自分なりの答え。

 

 

 

 

 

 

では、ようやく本題。

 

 

 

 

 

 

神が与えるバツ

 

循環が与えるバツとは。

バツは悪行に対するこらしめ、なので、

これは自然界ではなく人間界のルールだよね。

 

 

法とかそっち系のコミュニティーを存続させるためのルール。

 

 

 

ただ、天罰とかってのもあるじゃない?

それが、神が与えるバチに繋がってきます。

 

 

 

 

 

神が与えるバチ

 

では神はバチを与えるのか?

天罰とはなんのか?

 

 

となると、

自分の真上に石を投げると石が戻ってきて自分にぶつかります。

これが天罰や神が与えるバチです。

 

 

 

 

要は循環の中の当たり前です。

自然の摂理です。

 

 

 

令和4年8月、自分が住む青森県は豪雨に襲われ、

河川の氾濫が起きて、家の前の道路が川みたいになりました。

 

 

まだまだ修復出来てない場所がたくさんあり、片側通行の道もたくさんある現状。

 

 

 

ではこれは天罰なのか?

ある意味でそうだとも思うし、

そうじゃないとも思う。

 

 

 

例えば、超わかりやすく、

周辺の山の大部分で高木の伐採をしたとします。

そうなると、山の保水能力が落ちて、山に染み込むはずだった雨水がそのまま河川や平野部に流れつく。

そりゃ氾濫もするし、道路が川みたくなるリスクはあるよね。

 

 

でもうちの地域は山で伐採はほぼ行われていないと思ってます。

(正式な数字は現時点ではわかりません)

 

そうなると循環的に大丈夫な氣もするけど、

違うかもしれないし、

そもそも保水能力を超えた雨が降るとどうやっても無理だよね。

 

 

では、その観測史上最高とかって言葉に代表される、

記憶にないレベルでの大雨は循環なのか?

となると、

やっぱりそうかもしれないしそうじゃないかもしれない。

 

 

少なくとも、大雨の地域が作り出した原因のせいでの天罰ではないと思う。

 

 

きっと地球規模の全体での循環が行われるので、

A地点で何かやったからといって、A地点に何か起きると言う簡単な話ではなさそう。

 

 

 

 

A国で雨不足に悩まされてる一方、

J国では雨の量に悩まされるとかもありそう。

 

 

 

地球全体での循環。

 

 

 

 

それに、地球の長い時間、期間ではもしかしたら

異常気象と言われてるのも当たり前なのかもしれない。

 

 

 

そうなると、

やっぱり天罰ってのも無いと思う。

 

 

 

 

ってのが結論です。

 

 

 

 

ただし、高木を切りすぎたりしたら、

その地域では洪水や土砂崩れが起こる可能性は上がる。

 

それを天罰と言う人もいるかもだけど、

結局は人の視点での言語を使用した説明の中での事象。

 

 

 

 

やっぱり循環だよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

最後に言いたい事は、

 

 

ニンゲンの漢字は「人間」って書く。

小学2年生でも書ける漢字。

 

 

では意味は?

 

 

と聞くと、多くの日本人は「金八先生」に邪魔される。

 

 

「人という字は、人と人とが支え合っている姿を表したもの」

ってセリフが邪魔して、『間』まで考えが行きつかない。

(本当か?)

 

 

ただ、後年武田鉄矢さんは「よく調べたら、あれは自立している人の姿を横から見たものだった。うそついてました」と言ってるのは補足。

 

 

 

 

じゃ福地真也が思う『人間』と言う漢字の意味だけど、

 

 

人、人間、人類、とかって言葉に「人」って漢字は使われてて、

そもそも「人」の意味は、武田さんのでいいと思います。

 

人という、個人や他人や人類などの大勢を表す言葉が『人』

 

 

 

 

では『間』はなんだ?

間という漢字は「空間」「時間」「瞬間」や「眉間」「股間」「腰間」や「間合い」などなど。

 

 

見たらわかると思おうけど、

どこかの場所を指したり、

目に見えない場所を指したり、だよね。

 

『間』は物理空間にも情報空間にも存在してる♪

 

 

その中でも個人的に好きなのが『間合い』

戦国時代などの侍たちは自分の間合いにいかに入れるか?の情報空間の戦を仕掛けつつ、物理空間の戦で決着をつける。

 

今となっては殺人術なので、剣道や空手などの武道や格闘技に置き換えて考えても面白いかも。

 

 

 

やっぱり自分の『間合い』で戦いたいのよ。

最近の格闘技だと「距離」とか「得意なスタイル」って言葉で表現されるのかな?

 

なのでやっぱり侍たちがやってた『間合い』はとんでもないレベルだっと想像できる。

 

 

 

 

おそらく「エーテル体」や「トーラス」に入って来た者があれば瞬時に『間合い』という空間の振動数が変わり、その振動が伝わり、察知される。

 

おそらく熟練者になると、相手の意識の振動をキャッチして先に動き、心を読まれたかのように相手はやられてたと思う。

 

 

もうそうなると、

「何!?我の心を読んだ、、、だと!!?」

みたいな心模様なんて無いと思う。

 

 

おそらく、相手は勝った(斬った)つもりの意識のまま負けた(斬られた)んだと思う。

 

 

 

 

 

ちょっと脱線しちゃいましたが、

『間』って結構凄いの!

を伝えたかったんです。

 

 

 

その『間』が人にもついてるのが『人間』なの。

 

 

 

じゃあ、意味は自立した人と人の間って事?

 

 

 

それこそ、人と人とは支え合って生きていく。

みたいな事?

 

 

 

そこに対しては

(ようやく答え、自分の意見です)

 

 

 

人という存在は、

自然の循環の『間』に入れる地球上で唯一の存在である。

 

 

と思ってます!

 

 

 

 

これ、凄くない?

 

 

 

 

例えば、

「花」と「ミツバチ」の間に入ると、「花」を増やす事も「ミツバチ」を増やすことも出来る。

当然逆の「花」を減らしも出来るし、「ミツバチ」を減らす事も出来る。

 

 

 

以前、日本人は『自然環境』と「狼(ニホンオオカミ)」の『間』に入り、「狼」を絶滅させてしまった歴史があります。

 

個人的にこれは良くない方の『間』への入り方だと思います。

 

 

 

 

こんな感じで人はどんな生物と生物の『間』にも入れるし、

神様である自然や循環の『間』に入る事も出来る。

 

 

 

だからこそ人には『やり甲斐』とか『達成感』とかって感情があるのかな?

なんて思うし、

全部が活きる活動の事を「天職」と呼ぶのだと思う。

 

 

 

そう考えると、

これを読まれてるあなたは、

 

【何の『間』に入り生きていきますか?】

 

って部分を一度考えてみて欲しいと思ってしまいます。

 

 

 

 

 

 

という事で、

現段階での考えを言語化してみました。

 

 

もしかしたら数年後には変わってるかもしれないけど、

それもまた良しな世の中が増えて来て欲しいと願います。

 

 

 

 

では最後に、

 

 

あなたは

 

 

【何の『間』に入り生きていきますか?】

 

 

 

 

御拝読ありがとうございます。

 

※シェア、コメント最高に嬉しいです

 

※最近1番力を入れてる活動が『水耕栽培』です

 

 

(応援ありがとう♪)