氣遣い | 福地真也のAmeブログ

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こんにちは、前言撤回したら全ての前言が無になるのかが疑問で仕方ない福地真也です★



氣を遣う。



とはとても難しい事のように思います。



氣を使うのと氣を遣うのも違いますし。




氣を使うってのは、

自分のエネルギーを誰も求めてないのに放出する事。


と感じてて、




氣を遣うってのは、

自分の放出したエネルギーが誰かが求めてる部分にすっぽりハマる事。


と感じております。





要はいらぬお節介なのか

たまたまエネルギーの放出先が喜ぶ事だったのか。





はい。

この『たまたま』

ってポジションにくるものが大切です。




たまたまエネルギーの放出先が喜ぶ事、

なんて硬い言い方してるけど、

氣を使われた人が氣を使った人のした言動により【喜び、楽しい、嬉しい、清々しい】そんな感情を感じれたので氣遣いになった。





そこでたまたまをたまたまにさせないために

人の事を考えるわけです。





・これをしたら相手はどう思うか

・これをやったら相手はどう思うか




氣を使うのはあくまでも私、自分であり使うのは自分自身のエネルギー。


相手をそこに存在させてはならない。

(相手がエネルギー使ってくれる事もあるがエネルギーを奪ってはならない)


(エネルギーを奪う=エネルギーヴァンパイア)





相手を氣遣う。


ってのは相手の状況や環境などに思考を巡らせ、どこまでも寄り添う事。




そう、思っております。

(あくまでも個人的見解)






どうせ自分のエネルギーを使うなら相手が喜ぶ事にエネルギーを使いたいもんですね☆







※ちなみにですがエネルギーというのが


【意識圧】




忘れちゃならないのが(見落としがちなのが)


【時間圧】





両方めちゃくちゃ大事なので、両方をお忘れなく♪