日本は大丈夫か:官僚接待問題の背後にあるもの | 舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

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 菅首相の長男による接待が、国家公務員倫理規定に違反するため、総務省幹部らが処分を受け、山田真貴子内閣広報官は辞職した。

 霞ヶ関は、そして日本の政治は大丈夫か。

 日本の官僚機構も劣化したと言わざるをえないが、日本政府全体のガバナンスが低下している。

 第一の原因は、安倍、菅と続く長期政権である。  

「権力は腐敗する、絶対的権力は絶対に腐敗する」というアクトン卿の言葉通り、8年もの長きにわたる権力が公正な行政を歪めることは必然である。加計・森友問題、「桜を見る会」前夜祭の経理などに見る通り、役人は権力者の意向に沿う方向で動く。いわゆる忖度である。

 政権をとる能力のない野党は問題であるが、政権党のほうにも、何があっても政権は失わないという奢りがある。不祥事が続いても、菅内閣支持率は40%前後を維持し、20%台という危険水準には落ちていない。

 私が閣僚として、安倍、福田、麻生の三首相に仕えた2007〜2009年は、野党が参議院では多数派を握るという「ねじれ国会」であり、常に野党に妥協を迫られる緊張した政権運営を余儀なくされた。そして、麻生内閣の下で行われた解散総選挙で、自民党は敗北して野に下り、民主党政権が誕生したのである。

「ねじれ国会」には様々な問題もあったが、政権側の奢り、官僚の忖度などはなかった。政治の安定という観点からは今の方が良いのかもしれないが、政治の緊張感という意味では、「ねじれ国会」時代のほうが利点があったと言えよう。

 官僚機構にしても、時の政権に左右されることなく、省庁として維持しなければならない原則や方針があるはずであり、それができなければ近代官僚制の基本が覆されることになる。政権交代の度に猟官制度(spoils system)が機能し、政策も大きく変わる大統領制のアメリカでも、その基本は維持されている。型破りのトランプ政権下であってもである。

 ところが、議院内閣制の日本で、内閣総理大臣に権力が集中する現象が顕著になっている。2014年5月30日に内閣人事局が設置され、幹部官僚の人事を首相官邸が握るようになって以来、忖度行政の度合いが強まっていったのである。

 とくに、官房長官として全官僚機構に睨みをきかす菅氏の存在を役人は恐れざるをえなくなった。それは、菅氏の意向に反して左遷された官僚の例を間近に見ているからである。出世を望まない官僚はいない。

 国会議員として、また大臣として、「省あって国なし、局あって省なし」と言われるような縦割り行政の弊害に直面してきた私は、内閣人事局構想に賛成であった。しかし、実際に設置してみると、小選挙区制と同じように、弊害のほうが目立つようになってきた。

 その背景には政権交代がないことがあるのは当然だが、首相のポストも、官房長官のポストも同一人物が8年近くも務めることが多くの問題を生んでいると言えよう。

 自民党政権の閣僚経験者として、今こそ政治刷新が必要だと訴えたい。