世界で新型コロナウイルスの感染拡大が止まず、感染者数が遂に1000万人を突破した。死者は50万人である。とくに、アメリカやブラジルを含む南北アメリカ大陸、アフリカ諸国、そしてロシア、インドなどでは、まだ収束とはほど遠い。
しかも、今後は感染拡大の第二波、第三波が到来することが予想されている。
外出禁止や営業禁止の措置によって、世界経済はリーマンショックを超える痛手を受けており、1929年の大恐慌に匹敵する不況に陥ると見られている。
東京五輪の中止を回避するため、組織委と都は大会の簡素化を考えている。安倍首相は「完全な形」に固執し、「それが今年はできないので延期する」としたのが3月中旬。ところが、2ヶ月後には、来年に開催するためには「完全な形」に拘ることはないという都合のよい論法になってしまった。要するに、中止でなければ何でもよいということだ。
感染拡大を止めるには、ワクチンの開発しかない。世界中の官民が開発に鎬を削っているが、通常では1年半〜2年はかかる。SARSの場合、忽然と勢いが止まってしまったために、ワクチンの開発までには至らなかった。 MERSのワクチンも開発されていない。安全性の確認には時間がかかるし、世界人口、77億人分を供給するのは容易ではない。
五大陸から選手が参加してこそ五輪であり、多くの地域ではまだ感染の拡大期にあり、いつ収束するかの見通しは立たない。各国とも、選考のための競技会を行い、そこで勝ち残った選手が代表となるが、選考会そのものを開くことができない状況である。
無観客でのオリンピックはありえない。国境を越えて、選手と観客が一体となって競技会を盛り上げてこそ、平和の祭典の意味がある。テレビ放映のみで選手の活躍を見るのなら、東京で開催する意味はない。
感染防止対策を実行しながらの開催となると、体温測定、マスクの着用、座席間隔の確保、消毒など、たいへんな手間がかかる。選手には、全員PCR検査を課すことになる。コストもたいへんだし、観客数も3分の1〜2分の1になるので、販売済みのチケットの処理など膨大な作業をこなさなければならない。
そのような事情を念頭に置けば、IOCのコーツ調整委員長が言うように、10月には開催の可否を決めるというのは合理的な考え方である。開催か中止かであり、再延期はない。
コロナ対策のために、各国は大規模な財政出動を敢行している。それでも深刻な不況は避けられず、失業者も増えている。コロナ前の水準に経済が戻るには2〜3年は必要である。オリンピックに費やすだけの財政の余裕は、各国ともない。
開催都市東京もまた、厳しい財政状況となる。9500億円の「貯金」は、コロナ対策のために、ほぼ使い切っている。東京五輪の延期費用は数千億円に上る。どうするのか。この問題は、都知事選の争点にもなっている。
最後の決定権はIOCにあるが、既に中止のシナリオも書いている言われている。