厚労大臣として2009年の新型インフルエンザにどう対応したか(2) | 舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

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  私が会見で重視したのは、検疫の方法や水際対策の中身ではなく、「即座に必要な情報を提供する」ことだった。

 これは、津波警報と同じだ。津波は、実際はこないかもしれない。だからといって、来るか来ないか確実にわかってから情報を出すのでは遅い。少しでも「来るかも知れない」と思える根拠があるならば、その情報を開示する。それが危機管理の基本だ。

 いちばんまずいのは、「何も発表しない」ということだ。憶測は、とんでもない流言飛語を生み出す。ましてや今はネット社会だ。噂は瞬く間に日本中に広まってしまう。

 私は、4月末から8月までの間に、計9回の緊急記者会見を開いている。

 2度目の会見は、4月30日午前7時。1度目の会見からわずか2日後のことだった。WHOがフェーズ4から5へ格上げされたことを受けてのものだ。フェーズ5とは、「複数国で人から人へ感染が進み、世界的大流行の一歩手前」という状況を指す。

 さらに、3度目はその会見から24時間と経過していない5月1日深夜1時35分。カナダから帰国し、横浜市の衛生研究所の遺伝子検査で「感染の疑いあり」と報告された男子高校生の存在を発表したのである。しかし、検査の結果、このケースは陰性であった。

 最初の患者発生は、カナダ帰りの高校生たちだった。5月9日の土曜日、朝8時30分。4度目の緊急記者会見だった。

 「ただいまから発表致します。昨日5月8日、アメリカ合衆国デトロイト経由で帰国した3名についての新型インフルエンザ、インフルエンザAH1N1ウイルスが検出されましたので、ご報告申し上げます。まず患者に関する情報ですが、カナダのオークビルに滞在された40代の日本人男性1名及び10代の日本人男性2名です」。

 大阪府内の高校の教諭と生徒だった。大阪と、近隣の神戸では感染者が拡大。それから10日も経たないうちに、100名を超える規模になっていた。

 橋下徹知事からは直接、携帯に電話がかかってきた。「どうしたらいいか」という。

 私は言った。

「これ以上、感染を拡大しないためには、一斉休校しかない」。

 だが、橋下知事は、「教育委員会が納得しない。各市の教育委員会のなかには、私のいうことを聞かないところもある」という。

 それなら、私が命令を出すまでだ。

「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」=感染症予防法は、感染予防のための各種措置を、一義的には都道府県知事に求めているが、こと新型インフルエンザに関しては、形式上は地方自治体を通じてではあっても、国、つまり厚労相である私に、強い権限を認めていた。

 こうして大阪府、兵庫県では、5月18日から小中学校の一斉休校が決まった。

 インフルエンザ対策とは、突き詰めていけば感染者と非感染者の接触を絶つしかない。学校という場所は、教室での授業しかり、クラブ活動しかり、一般社会と比較しても濃密な接触が起こりやすい。クラブ活動でのペットボトル回しのみで、感染が拡大したとの報告もあった。