韓国に口髭が朝鮮総督だと批判されたハリス駐韓米大使:口髭といえばヒトラー | 舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

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 文在寅政権の対北朝鮮政策を批判したハリス駐韓米大使に対して、韓国は大使が日系であることは侮辱だとし、また大使の口髭が植民地時代の朝鮮総督を連想させると非難した。失笑を禁じ得ない。

 口髭と言えば、何と言ってもヒトラーである。髭のないヒトラーは想像できないくらいに、彼のちょび髭はトレードマークになっている。ヒトラーは、鼻の下がやや長めであることと、鼻が横に広がっていて鼻の穴が大きいことを気にしていた。髭をはやすと、それがカモフラージュされたように目立たなくなる。そこで、青年になって髭が生え始めると、そのまま伸ばしたようだ。17歳のときに友人が描いたヒトラーの横顔のデッサンが残っているが、それにはすでに髭がある。

 最初はカイザー髭、つまり森鴎外のような髭をはやしていたようである。第一次大戦のとき、イギリス軍の毒ガスから身を守るためにドイツ軍兵士は防毒マスクをつけたが、従軍したヒトラーは、その装着にカイザー髭だと邪魔になるので、左右を切り落とし、真ん中だけ歯ブラシのような形に残したそうである。

 そして、このちょび髭スタイルを生涯守り続けたことはよく知られている。

 

 ところで、このヒトラーに心酔したのが、私の故郷、福岡の戦前の政治家、中野正剛である。中野の演説は人気があり、木戸銭を払ってでも聞きたいという大衆が長蛇の列をなしました。私は、彼の著書や演説集を何冊も持っているが、大衆の心を掴むのがうまかったようだ。

 中野は、1937年秋にドイツに行き、1938年2月1日に遂にヒトラーとの会見に成功する。30分の予定が50分にも延び、国際情勢について議論をしたそうだが、すっかりヒトラーに心酔した中野は、「ヒットラー総統はドイツの非常時が生みたる一大精神的英雄である。哲人である」と述べている。

 そして、反ユダヤ主義については、「そのユダヤ人排撃の如き、ドイツ民族の血を濁らし、国家の危急に臨みてはドイツに敗戦主義を宣伝するこの不良分子を一掃せざれば万事駄目であるという固き信念から出発したのである」と語っている。

 帰国後、日比谷公会堂には中野の帰朝演説会を聴こうと、傘を差して何百メートルもの長蛇の列を作る人々の姿があった。

 中野は、自分の政治団体のメンバーのためにナチスのような制服を作り、ヒトラーと同じようなちょび髭を蓄えた。

 中野は、翼賛体制に反対し、東條英機に反旗を翻し、1943年(昭和18年)元旦の『東京朝日新聞』に、「戦時宰相論・・誠忠・絶対に強かれ」を寄稿する。自分を批判するこの論文に怒った東條は、この新聞を発禁処分にし、10月21日には中野を逮捕し、議会から締め出して弾圧する。そして、中野は釈放直後の10月27日、自宅で割腹自殺という悲劇的な死を遂げるのである。

 因みに、周知のように、東條もまた立派な口髭を蓄えていた。

 

参考:拙著『ヒトラーの正体』amzn.to/2lQ2GVq