ヒトラーはオリンピックをいかに利用したか | 舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

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 ドーピング問題で、ロシアは今後4年間、2020東京オリンピック・パラリンピックを含めて国際大会に出場できなくなった。五輪が国威発揚に使われているのは間違いない。

  また、1979年、ロシアはアフガニスタンに軍事侵攻したが、国際社会はこれを批判し、日本やアメリカは1980年モスクワ大会をボイコットした。五輪は国際政治にも翻弄される。

 オリンピックを効果的に政治利用したのがヒトラーである。

 1936年、冬季オリンピック大会がドイツのガルミッシュ・パルテンキルヘンで、夏季オリンピック大会がベルリンで開催された。これを成功させることは、ナチスドイツの国威発揚になるので、ヒトラーは大会の成功に全力をある。そのため、国際的な批判を受けやすいユダヤ人に対する暴行などを控えさせた。

 そこで、ヒトラーは反ユダヤ主義の実行を抑制し、「スポーツに政治を絡ませてはならない」と主張して、ベルリン・オリンピック開催に漕ぎ着けるのである。反ユダヤ主義のポスターも、ユダヤ商店のボイコットも全て消え、選手団にはユダヤ人も加え、まさに表面上はユダヤ人への迫害は止んだ。外交優先のヒトラーの方針が貫徹されたが、便宜主義そのものである。

 「ベルリン大会を史上最高のオリンピックにする」というヒトラーの指示の下に、全ドイツが組織化される。10万人収容の大スタジアムが建設され、1000分の1秒まで計測できるカメラも開発された。史上初のテレビ中継も行われた。

 大会日程も、過去の気候データを分析して、最も快適な気候の日を選んだ。アメリカのテレビ中継を優先させるIOCの意向で、選手にとっても観客にとっても過酷な真夏の時期に開催する2020東京五輪とは大きな違いだ。

 そして、五輪でドイツを訪れた選手や観客は手厚くもてなされ、これもナチスの対外的な名声に大きく寄与した。

 ベルリン五輪と言えば、元女優の女性監督レニ・リーフェンシュタールの記録映画『オリンピア』で有名だが、ヒトラーの開会宣言、そして大観衆の右手を挙げるヒトラーへの歓呼などは写真などでよく目にする。記録映画を作成することもベルリン大会が嚆矢である。

 リーフェンシュタールはナチス党員ではなかったため、戦後の裁判では無罪の判決を受けたが、ナチス協力者として批判され続けた。2003年に101歳で死去した。

 また、聖火リレーもナチスが始めたものだ。ギリシアのオリンピアでの採火式、そして聖火はブルガリア、ユーゴスラビア、ハンガリー、オーストリア、チェコスロバキアとリレーしてドイツに入る。これは戦争に備えた敵情視察も兼ねていたという説もあるが、単純にベルリン大会を盛り上げるための演出だったようである。

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