終戦の日に憲法改正を考える  | 舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

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 74回目の終戦記念日である。天皇陛下は、「深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを節に願い」と述べられた。右傾化する日本社会の中で、一服の清涼剤である。

  憲法は改正すべきであるが、9条について、自民党は、1項、2項は維持したまま、「9条の2」を新設して、そこに自衛隊を明記する方針にしている。しかし、これでは「陸海空軍その他の戦力」の保持や「交戦権」を認めないとする2項との論理的整合性がとれない。

 やはり2項は改正して、日本の平和、独立、安全を確保するために、軍隊(その名称は自衛隊でもよい)を保持するとすべきである。国の根幹を決める憲法について、論理的に矛盾があったり、曖昧な解釈の余地を残したりすれば、後世に大きな禍根を残すことになる。

 2012年4月27日に、自民党は「日本国憲法改正草案」(第二次草案)を決定しているが、それには驚くべき内容が含まれている。右翼とか左翼とかいったイデオロギー以前の問題として、憲法というものについて基本的なことを理解していない人たちが書いたとしか思えないからである。

 私は、2005年10月28日に発表した第一次草案の取り纏めを行ったが、その後自民党を離党したため、第二次草案の議論には加わっていない。第一次草案は、政権を担う与党、つまり草案を実現させる位置にいる者として、あらゆる角度から慎重に検討を重ねた。

 ところが、第二次草案は野党のときに作られたものであり、左の民主党政権に対抗するために、右バネ、野党バネを効かした無責任な内容であった。現在の欧州で台頭している極右のポピュリスト政党と同じような非常識な主張で貫かれている。

 小選挙区制で勝ち抜くには、右寄りの発言をしたほうが、票もカネも入り当選しやすい。そこで、本意かどうかは別として極右的スタンスを取る自民党議員が増えていく。とくに女性議員にこの傾向が強い。

 このような様々な背景で出来上がった第二次草案は、「憲法とは、国家権力から個人の基本的人権を守るために、主権者である国民が制定するものである」という近代立憲主義の原理に則っていない。中国のような「人の支配」ではなく、「法の支配」が必要である。つまり、法によって国家権力を拘束するのであるが、そのことを全く理解していない議員が書いたものとしか思えない。

「国家」の対極は「個人」であるので、現行憲法13条には、「すべて国民は、個人として尊重される」と規定してある。ところが、第二次草案では、「全て国民は、人として尊重される」と変えられている。「人」の対極は犬や猫のような動物であり、「個人」のような「国家権力」との緊張感はない。

「戦後の日本は、個人主義が蔓延して国民の連帯感がなくなった。だから憲法から『個人』という言葉を追放してしまえ」といった乱暴な議論の結果であろう。第二次草案のPR用パンフレットでは、「西欧の天賦人権説」まで否定している。

 このような第二次草案をそのまま国会に提案するならば、日本は世界の笑いものになってしまう。世界のネオナチや極右政党が、仲間ができたと自民党に握手を求めてくるだろう。