参議院選挙が公示:野党は巨大与党とどう戦うか | 舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

 7月4日、参議院選挙が公示された。最近の世論調査を見ると、安倍内閣の支持率は高く、政党支持率でも自民党が群を抜いている。

 NHK世論調査(6月28~30日)を見てみると、安倍内閣支持率は45(+3)%、不支持率は31(−3)%である。政党支持率は、自民34.9(+3.3)%、立憲5.8(+0.1)%、国民1.1(±0)%、公明3.8(−1.0)%、共産3.4(−0.3)%、維新3.0(+0.8)%、社民0.6(+0.1)%でるが、無党派が38.3(−4.4)%もいる。

 政党支持率は、立憲民主党、国民民主党、共産党、社民党を足しても、自民党一党にすら遙かに及ばない。つまり、自民・公明連立政権は安泰で、政権交代など夢であるという状態である。

 ただ、世論調査の結果で注目すべきなのは、「支持政党なし」層が多いことである。メディアによってばらつきはあるが、自民党よりも多い調査が多い。単純化して言えば、この無党派層の支持を獲得できれば、政権交代は可能だということである。

 10年前の夏の総選挙のときがまさにそうで、「コンクリートから人へ」とか「政権交代」とういうスローガンが功を奏して、民主党が圧勝し、政権の座に就いた。

 政権交代を実現するには、自民党とは異なる、しかし現実的な政策を提示して、広範な国民の支持を調達する必要がある。単に自民党のスキャンダルを追及するのみでは、党勢の拡大は不可能である。

 参院選に向けて、野党は選挙協力を進め、32ある1人区のすべてで候補者の一本化を決めた。しかし、複数区は混戦となる。

10年前、非共産の野党は民主党という大きな塊となっており、これが非自民・非共産の政権党を生んだのである。実は、非共産というのも大きなポイントで、4月7日の大阪のダブル選挙で自民党が維新に敗退したのは、共産党と「野合」したことも原因だと言われている。そして、4月21日の衆院大阪12区補選でも自民党は敗れている。

 フランスでは、1981年に社会党のミッテラン大統領が誕生したが、そこに至る10年に及ぶ左翼政党の努力が参考になる。まず1971年、エピネィの党大会で、社会党は政策を現実化させる。翌72年には、社会党と共産党の間で「共同政権綱領」が採択される。これは、左翼全体の力を強めることを目的にしたものである。

 その成果が現れて、1973年の国民議会選挙、74年の大統領、78年の国民議会選挙と左翼が次第に勢力を伸ばしていく。1977年には、共同政権綱領の具体化をめぐって、社会党と共産党は決裂するが、78年の国民議会選挙では両党ともさらに勢力を伸ばし、1981年にはミッテラン政権が誕生するのである。そして同年に行われた国民議会選挙では、社会党は単独過半数を獲得し、共産党は勢力を減退させている。

 仏社会党の戦略を三段跳びに例えると、ホップ(社共共同政権綱領)、ステップ(共産党を切り離す)、ジャンプ(単独で政権)といった感じである。今後の日本の野党戦略を考えると、共産党に対する国民の警戒感・不信感をどのように払拭するかが大きな課題となるが、非共産野党と共産党との間の現実的な共同政権綱領を国民に提示することができるか。単なる数会わせという批判に真摯に答えるべきである。