戦前日本:選挙権・被選挙権もあった内地居住の朝鮮人(3) | 舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

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 戦前の朝鮮人の選挙権・被選挙権についても、火野葦平の『美しき地図』(1941年、{昭和16年}刊)を読めばよく分かる。次のような下りがある。

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 さっき、李健学君が来た。ふだんは、無論、半島人といふやうな考へは全く持たず、隣組の一員として、内地のひととちつとも変らず交際してゐる彼には、僕も感心してゐるのだが、今日は、すこし困ることがあるといふような、そわそわした態度だった。・・・(中略)・・・

李「選挙のことですが、困りました。」

僕「どうしたかね」

李「わたし、青地さん入れるつもりでした。困りました。」

僕「入れられなくなったのかい。」

李「さうてす。入れられなくなりました。困りました。こらへて下さい。わたしも隣組、青地さん出て貰ひたい、皆さんといつしょ、青地さん決めました。ところが、今度、朝鮮のひと、候補に出る。きまりました。仕方ありません。」

僕「半島の人は二人出るんだね。」

李「三人出ます。悪い思ひます。三人も出たら、なんぼ半島人たくさん居っても、みんな落ちます。困りました。」(改造社、1941年、286〜287p)。

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  偏見に満ちた歴史書よりも、この会話のほうが、はるかに当時の日本人と「半島人」との関係をよく示していると言えよう。上記の引用の中で、「青地さん」は、実は、私の父がモデルではないかと思える。立候補の事情、選挙の様子、朝鮮人支持者のための選挙ビラ、得票数などを考慮すると、そう推測できるのである。歴史家にとっても、葦平作品は多くのヒントを与えてくれる宝庫なのである。

 以上のような在日朝鮮人参政権の実情については、日本でも朝鮮半島でもあまり知られていないが、それは強制連行、弾圧、抵抗といった視点ばかりが強調され、戦前、とりわけ日韓併合(2010年)から強制連行までの在日朝鮮人の実態について、資料も研究も足りないからである。

 日韓関係後の大日本帝国で、在日朝鮮人は過酷な差別を受けた。しかし、同時に、1920年以降は、たとえ「融和策」であるとしても、彼らが参政権を享受したこともまた歴史的事実である。