岩倉具視の実像に迫る | 舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

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 NHKの大河ドラマ「西郷どん」で、笑福亭鶴瓶が演じる岩倉具視が活躍している。鶴瓶のイメージが先行するせいか、岩倉の実像が浮かびにくくなっている。

 岩倉具視は、つかみ所の無い「姦物」として、「ヤモリ」として、偏見を持って見られることがよくある。しかし、歴史資料からは、全く異なる実像が浮かび上がってくる。

 岩倉具視は大政奉還(1867年)直後まで5年間の幽居を余儀なくされたが、この時期の岩倉について、徳富蘇峰は次のように書いている。

 「公(岩倉)の不幸は、固より不幸であったが、蟄居は公の歴史に取りて、確に精神的涵養の天地であり、又実に心膽的修錬の世界であった。公が此間に於て、国家盛衰興亡の由る所を察し、日本将来の大策を講究したのも、此の時代であった。

 古人は『天の大任を是人に降さんとするや、必ず先づ其の心志を苦め、其の筋骨を労し、其の体膚を飢やし、其の身を空之にし、其の為す所を仏乱す』と云ふてゐる。然らば即ち、河野蟄居は天の大任を是人に降さんが為に、与えられたる艱難の地では無い乎」(蘇峰 徳富猪一郎編述『岩倉具視公』、民友社、1932年、95p)。

 朝廷に返り咲いた後の岩倉の活躍については、よく知られている。佐々木克は、岩倉について、「権力の座を求めない、しかし責任感の強い、そして私利に恬淡」と評している。

 そして、「岩倉は自分の意見を無理押しするようなことは決してなかった。ほかの意見の耳をかたむけるバランス感覚にすぐれた柔軟性のある現実政治家だった」と記す(『岩倉具視』吉川弘文館、2006年、4p)。

 さらに、永井路子は、著書『岩倉具視、言葉の皮を剥きながら』(文藝春秋、2008年)の中で、岩倉の功績として、公家政治の改革、つまり摂政・関白制度の打破を挙げる。

「12世紀から始まった幕府を打倒した事だけが、クローズ・アップされているが、具視は9世紀以来続いて来た千年の摂関制度を打破(うちこわ)したのである。もし摂関制度が明治以降も続いていたら?と想像するとき、やはりこのときの彼の大業にもっと注目すべきだと思うのだが」(192p)。

 東大に入って以来幕末維新史を研究してきたが、十分に精査した資料を基に維新史を飾る人物の研究が進むのは嬉しいかぎりである。