20世紀文明論(12):生活革命②長寿社会・・・❼ | 舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

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 貝原益軒が「おしむ」ことを勧めるのは、江戸の人々が「欲望の限界への自覚」を持っていたからである。立川氏は、この点について、江戸の人々が「自分たちが生きている世界の限界、たとえば自分の家の分限、自国の領地の限界、あるいは300万町歩で3000万人が生きていかなければならない日本の国土の限界」をよく分かっていたと述べている。

 このような鎖国の徳川時代の発想は、必要な資源は他国を植民地にして簒奪するという帝国主義の時代の考え方とは異なる。

 今日、1億2650万人の人口を抱える日本が鎖国することは不可能であるが、今後も人類が生存を続けるためには、皆が地球の資源について、「限界への自覚」を持つことが肝要である。

 江戸時代の日本人が日本国土について持っていた限界への認識を、今や地球大に広げることが不可欠である。たとえば、エネルギー問題を取り上げてみよう。

 石川英輔氏の『大江戸えねるぎー事情』(1993年、講談社文庫)は、江戸時代のエネルギー消費がいかに少なかったかを実証した労作であるが、それによれば江戸人は現代人の実に100分の1のエネルギーしか消費しなかったのである。石川氏は、江戸時代には「人間の都合に合わせて環境を変える代わりに、人間が環境に合わせて生活しようとした」ことを強調する。

 そのような生き方こそ、実は地球資源の有限性を意識した生活に他ならないのである。

「万の事、皆わがちからをはかるべし。ちからの及ばざるを、しゐて、其わざをなせば、気へりて病を生ず」という益軒の教えもまた、自然との共生の思想につながる。

 そして、「養生」が健康な、そして楽しい「老い」をもたらすとすれば、長寿化に対して悲観する必要もなくなる。江戸の文化をお手本にして発想の転換を図ることは、新しい長寿文化を構築することにつながるであろう。

 健康寿命を伸ばして、仕事や趣味を楽しむ、「引退後こそ本当の人生」という考え方もある。江戸時代には、多くのヒントが隠されている。