独裁者と都市計画:ヒトラー、ムッソリーニと日本の軍国主義者 | 舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

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 あと2年で東京五輪、聖火リレーは1936年のベルリン大会のときに、ヒトラーが始めたものである。ヒトラーは「ゲルマニア計画」というベルリン改造計画も立案していた。ムッソリーニもまたローマ改造計画を実行に移そうとした。

 ヨーロッパ人と比べて、日本人は、建物の持つ政治的効果について鈍感なようである。それは、「石の文化」と「木の文化」という違いも関係しているのかもしれない。

 戦前の建築について、面白い日欧比較がある。ムッソリーニ(イタリアのファシズム)もヒトラー(ドイツのナチズム)も、その政治的権威の確立と大衆動員のために、巨大な建造物を建設したり、大胆な都市計画を企画したりした。しかも、その計画は、戦争が始まっても維持された。

 たとえば、ヒトラーは40万人を収容する巨大なニュルンベルク・スタジアムを建設しようとした。巨額な経費について指摘されると、ヒトラーは「最新鋭のビスマルク型戦艦2隻よりも安い。戦艦などじきに壊れる。しかし、この建物は何世紀も立っている」と喝破したという。

 ヒトラーが美術や建築が好きだったということを割り引いても、このような発想は軍国主義日本の指導者にはなかった。

 当時の日本では、鉄材を軍需に廻すために、1937年10月、政府は「鉄鋼工作物築造許可規則」を公布し、鉄材を50トン以上使う建設を禁止した。その結果、役所などの建物も軒並み木造バラックになっていった。

 

 「ムソリーニもヒトラーも、ともに権力の簒奪者である。支配の正当性はもちあわせていない。その不足をおぎなうためにも、彼らははったりめいた劇場型政治へ傾斜した。だが、日本の戦時体制に、そういうユートピア色は希薄である。戦争のもたらすきびしい現実ばかりが、強調されてきた。・・・(中略)・・・けっきょく、『日本ファシズム』は都市と建築をつうじて、清貧の徳をうったえた。夢のない戦時リアリズムを、都市民におしつけた。その点で、偉大さや新しさをしめしたヨーロッパのファシズムとは、ちがっている。」(井上章一『夢と魅惑の全体主義』、文藝春秋新書、2006年、237~249p)

 

 今日の日本は、戦時中のような統制経済とは異なり、自由で繁栄を享受している。都市計画や建築が、人々に夢と希望を与える側面について、また都市の品格を高める点について、もっと認識を深める必要があるのではあるまいか。東京が世界一の都市を目指すのなら、なおさらのことである。