マックス・ヴェーバー『職業としての政治』と現代日本(2) | 舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

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 マスコミの存在は、政治家にとって水や空気のように所与のものであり、それをいかに活用するかは、最重要課題の一つであり、もちろん私も政治家として、そのことを十分に認識して行動してきた。たとえば、厚労大臣のときは、年金記録や薬害訴訟などの問題をかかえ、政治的敵と対抗するためにマスコミも大いに活用した。

 しかし、それは政治的結果を出すためであり、不公正な形でのメディア戦略とは一線を画したものであった。むろん「悪魔と契約を結ぶ」こともせざるを得なかったし、「善から悪が出たり、悪から善が出たり」することを痛感させられたものである。

 ツイッターは2008年4月から日本語のサービスを開始したが、それは私が厚労大臣のときであり、2009年9月に政権交代によって大臣を辞めた後に、ツイッターも日本で次第に普及していった。大臣として、ツイッターで発信した記憶はない。

 ネット社会、ツィッター社会は、思考を単純化させ、社会の政治的小児化を促進している。論理よりも感情が、知性よりも心情が人々の思想と行動を律するような社会は、閉塞感に満ちているのみならず、一朝有事の危機には対応できない。論理的に自明であることが、感情によって覆されていくようでは、有能な指導者であっても危機管理は不可能となる。

 物量的に劣っているのに「神風が吹く」と言い続けた大日本帝国陸軍の失敗が、今また繰り返されようとしている。しかし、「政治的な子供」たちは理路整然と不利な状況を説明するリーダーよりも、「神風が吹く」というデマゴーグのほうを好む。だから、「政治的な子供」で一杯の社会は、やがては滅亡していく。

 ヴェーバーが『職業としての政治』というタイトルで講演してから20年後、ヒトラーをトップに戴くドイツは、第二次世界大戦を引き起こし、破滅への道を歩んでいく。日本人は、いつになったら「政治的な大人」になるのであろうか。

 もちろん、政治家として、私は、論理のみならず感情も重要であることは百も承知しているし、有権者の感情に訴えることも行ってきた。しかし、いつ大地震に襲われるか分からない国にあって、危機管理を行うときには、正確な情報に基づいて緻密なプランを立て、理路整然と対応せねばならない。感情に流されていたのでは、人々の生命と財産は守ることができなくなる。

 『東京防災』という危機管理のマニュアル本を作って、都内の全家庭に無料配布したのは、そのような認識からである。