ネットの時代(1):「加藤の乱」・・匿名の支援 | 舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

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  「法の支配」の形骸化に拍車をかけているのが、ネット社会である。

 技術の進歩は社会を大きく変える。私たちが大学生の頃は、400字詰め原稿用紙にペンや鉛筆で文章を書いて、それを郵便で送るのが一般的であった。飛脚が郵便に代わったとはいえ、江戸時代とあまり変わらない。

その後は、ファクシミリという通信手段も大いに活用したが、原稿用紙は愛用していた。しかし、ワープロの普及とともに、読みにくい手書き文章は敬遠されるようになっていった。今では、スマホやパソコンを使ってインターネットで世界中に発信するのが当たり前になった。

書籍にしても、紙から電子へと変わっていっている。ITの進歩は、ビジネスモデルや人々の日常生活を一変させるだけのインパクトを持っている。

 電子社会、ネット社会は政治にも大きな影響を与える。2013年4月に公職選挙法が改正され、インターネットを利用した選挙運動が可能になり、同年7月の参議院選挙から実際に展開された。しかし、SNSの利用をはじめとする電子社会はまた、様々な問題もはらんでいる。

 故加藤紘一衆議院議員は、2000年に森喜朗首相に反発し、いわゆる「加藤の乱」を引き起こしたが、その企ては失敗に終わった。その後、加藤は、全国65カ所を巡って、メールをくれて応援してくれた人々と話し合ったという。

加藤が「反乱」に踏み切った背景には、全国から押し寄せる支援のメールの存在があった。メールを読んでいると、本当に自分は全国民から支持され、「反乱」は成功すると思ってしまう。しかし、それは「幻影」であった。

 親しくしていた加藤が、私に直接語ってくれたことを今でもよく覚えている。「お詫び行脚のつもりで、メールをくれた人に連絡をとり、それぞれの地域で自分の支援者を集めてくれないかと頼んだ。しかし、これが簡単ではない。メール支援者は、孤立していて、引っ込み思案で、人々を動員する能力などない人が多い。伝統的な後援会に集う人々とは全く違っていた。メールで自在に意見は述べるが、その意見に責任を持つ類いではない。そのような人々が送ったメールを判断基準にしたことが大きな間違いであった。」

 「加藤の乱」から15年以上が経過した今日、インターネットはさらに普及し、状況は大きく変わった。しかし、加藤のコメントには、ネット社会の一面を浮き彫りする。匿名の意見陳述が横行し、その内容が真実かどうかも分からないまま、その情報が増幅されていく。公の場で、姓名を名乗って意見を開陳する勇気も機会もない人々が、ネットで呟いていく。その匿名性こそが問題である。

 日韓関係の改善に努力してきた私に対して、ネット上では私が在日韓国人であるという書き込みがなされている。私の妻も、韓国人や中国人にされている。我が家の菩提寺には、徳川家光時代からの舛添家の過去帳が残っている。また、私の妻の実家は鎌倉時代、源頼朝から家名をもらった旧家である。

東京に韓国人学校を増設する手伝いをしたところ、「舛添要一は韓国人だ」という卑劣なデマがネット上で拡散していった。そして、それを多くの日本人が信じてしまう。これこそが、ネット社会の恐ろしい一面である。