手続きの重要性:「悪魔にすら法律の恩恵を与える」(トマス・モア)(1) | 舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

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 大衆民主主義社会において、ルールや手続きを無視することは全体主義への道を開くことにつながる。「民主主義とは手続き」と言ってもよい。

 ロバート・ボルトの戯曲『すべての季節の男—わが命つきるとも』(Robert Bolt, “A man for all seasons”,1960)は、『ユートピア』の著者、トマス・モアの生涯を戯曲化した作品である。この作品は、1966年には映画化されたが、この映画は、第39回アカデミー賞では8部門にノミネートされ、作品賞、主演男優賞など6分門で受賞した。ボルトも脚色賞を獲得している。

 モアは、1517年にチューダー王朝に召し抱えられ、大法官の地位にまでのぼりつめる。時の王、ヘンリー8世は、宮廷の女官アン・ブーリンに恋をし、王妃キャサリンと離婚し、この女官と結婚しようとした。当時はカトリックが国教であり、離婚は認められておらず、離婚には法王の許可が必要であった。

 ウルジー枢機卿から、法王が許可するようにモアがとりなすように求められるが、モアは拒否した。ローマ教皇と対立するヘンリー8世は、カトリックと絶縁し、イギリス国教会を作るが、モアはこれにも反対し、王の怒りにふれて断頭台の露と消えていく。

 そのモアに、ボルトがどのような言葉を語らせたのであろうか。以下、少し長くなるが引用する。

*       *       *

 ローパー:捕らえるのです、あの男を。

 アリス:それがいいわ!

 モア:なんのために?

 アリス:ほっとくと危険だからよ! 

 ローパー:侮辱したからです。あの男はスパイですよ。

 アリス:ほんとうにそう!捕らえなさい!

 マーガレット:お父さま、あの人は悪い人よ。

 モア:悪い人間だからといって捕らえねばならぬ法律はない。 

 ローパー:あります!神の律法です!

 モア:それならばあの男を捕らえるのは神にまかせればいい。

 ローパー:詭弁に詭弁をかさねるだけだ!

 モア:そうではない、ごく単純なことなのだ。法律だよ、ローパー。わたしがこころえているのは、なにが正しいかではない、なにが法律上認められるかだ。そしてわたしは法律を守りつづけるだろう。

ローパー:それは人間の法律を神の律法の上におこうとするものだ!

モア:いや、はるかに下だ。しかし忘れてもらっては困る—わたしは神でないという事実を。善悪の逆巻く流れを、きみは簡単に乗りきれると見ているようだが、わたしは舵をとって進むことはできないのだ、わたしは船乗りではないから。しかし法律の森にあっては、わたしは立派な森番だぞ。そこではわたしと並ぶものは一人としていないだろう、ありがたいことに・・・・(最後の台詞をひとりごとのようにいう)(続く)。