日本に女性宰相は生まれるか  | 舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

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 パスカルの『パンセ』のなかに、「もしクレオパトラの鼻がもっと短かったら、地球の表面は変わっていただろう」という有名な言葉がある。これは、クレオパトラがいかに美人であったか、そしてその美にシーザーであれ、アントニーであれ、魅せられていったかを示す表現である。同じ様な意味では「歴史は夜作られる」という格言もある。    

 西のクレオパトラに匹敵するのが、東の楊貴妃であろう。玄宗皇帝の寵愛を一身に集めたこの美女には、白楽天の長恨歌がふさわしいであろう。楊貴妃自身は政治には介入しなかったが、楊一族の一人、楊国忠が宰相にまでなって反発を買い、安史の乱を機に楊一族は殺害される。結局は、楊貴妃の美貌が招いたドラマである。

 クレオパトラの場合、その美貌によって当時の地中海世界最強のリーダーを魅惑し、国際政治の展開に大きな影響を与えたのみならず、自らが為政者としてエジプトを治めたのである。彼女は、自国を守るために自分の肉体的魅力を存分に活用したといってもよかろう。その意味では、閨房外交の走りである。

 今日、ドイツのメルケル首相、イギリスのメイ首相などは、女性政治家として活躍している。政治の世界のみならず、他の分野でも、男だから有能で、女だから無能ということはない。また、「男は論理的だが、女は感情的」という表現も正しくない。

 ただ、西大后や毛沢東の妻で4人組として実権を振るった江青などを見ると、人間がここまで残酷になれるのかと思わざるをえないが、残酷といえば、ヒトラーやスターリンなど男の政治家も枚挙にいとまがない。要するに、女性はやさしいもの、かわいいものというイメージがあるからこそ、政治の世界で辣腕を振るうと目立つのである。

 古代では、わが日本の卑弥呼に代表されるように、祭政一致で、巫女さんが宗教の長として政治を牛耳るということもあった。この場合は、その女性が神から授かった宗教的権威が政治権力の源泉であった。しかし、近代になると、そのような例も稀になり、政治的能力そのものが問題にされるようになった。    

  伝統やカリスマではなく、法によって支配するのが、近代の政治であるとすれば、それにふさわしい知識や能力が必要なことは言うまでもない。官僚制が、その近代政治を支える歯車であれば、その歯車を動かす術も身につけなければならない。

 日本でも、女性が社会でその能力を発揮できる体制を作るべきであるが、女性宰相の登場にはまだ時間がかかりそうである。「雌鳥が時を告げれば、国は滅びる」という言葉があるが、これを死語とするためには、社会的条件の整備も必要であるが、日本の女性もそれなりの努力が必要である。