ハンナ・アーレントと『エルサレムのアイヒマン』 | 舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

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 2013年、ドイツのある州の首相と会ったとき、ハイデガー、ヤスパースなどの哲学者のことが話題になった。そして、両者の後輩でもあるハンナ・アーレントの政治哲学について論じ合ったが、彼女の書いた『全体主義の起源』をはじめとする著作を再評価すべきであるということで一致した。

 民主主義は、ナチスのような全体主義にどうして道を譲ったのか。強制収容所とガス室は、「人間の無用化」そのものであり、個々の人間の性格や自発性を破壊する。「民主主義の基礎は、人間の多様性(複数性)である」というのが、アーレントの主張である。

 彼女は、ナチスからの迫害を逃れるためにドイツから脱出し、アメリカで思索の日々を過ごす。戦後もアメリカに留まり、現代社会についての鋭い分析を行っていく。1961年から始まったアイヒマン裁判を傍聴し、『エルサレムのアイヒマン』を執筆するが、ユダヤ協議会がナチに協力したことなどを指摘したために、多くのユダヤ人から批判を浴びてしまう。

 しかし、彼女はユダヤ人やユダヤ国家のために書いたのではなく、人類、そして民主主義の敵であるナチズムの本質を明らかにしようとして裁判を傍聴したのである。アーレントに言わせれば、アイヒマンは悪魔ではなく、凡庸で「つまらない男」である。その男がユダヤ人の大量虐殺を遂行したのである。

 世界で極右のポピュリズムが台頭しているとき、この20世紀の哲学者の重要性を再評価すべきである。戦後の日本では、戦前の軍国主義への反省から、全体主義に関する著作が広く読まれたが、最近ではあまり話題になることもない。ヘイトスピーチが平然と行われ、排外主義が台頭しつつある今日、現代の独裁について、皆がもっと深く考察する必要がある。

 その意味で、アーレントの著作は、もっと読まれてもよい。特に若い人たちに熟読してもらいたいと思う。