パンとサーカス | 舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

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 「パンとサーカス」とは、大衆を満足させ、政権を批判させない手段であり、衆愚ということである。今の世は、パンには満ち足りている。ホームレスが糖尿病になる時代である。

 現代のサーカスとは、出世した人のスキャンダルであり、他人の不幸を皆で笑うことである。まさに「他人の不幸は蜜の味」というわけで、愚かな大衆がその甘い蜜を吸っている隙に、人目に触れない所で巨悪が利権を貪っている。この国は三流国に転落し、破滅の道を歩んでいく。

 「寛容と多元主義」については、他人の言説について、昨今は寛容さが無くなっている。先進民主主義国において、移民排撃など排外主義的なナショナリズムが台頭し、極右が勢力を伸ばしている。多元主義が失われれば、民主主義の将来は危うい。ヴォルテールこそが、今の時代に再認識されねばならない。彼は、「私は、あなたの意見には反対だが、あなたがそれを言えるように、私は最後まで戦う」と言った。

  極右の台頭は由々しい事態である。近年、ヨーロッパ諸国において極右が台頭しているが、それは、第一に68年の5月革命が、先輩たちのように「反ファシズム」の概念に頼らなくなったために、それが参照基準にならなくなったからである。

  また、第二に「知識人たちがウルトラナショナリズムの定義を転換したことにもあった。実際に彼らは外国嫌いと不寛容とを、自由民主的な普遍言語の表現へと置き換えた。」具体的には、少数民族の差別化、自由主義とナショナリズムとの結合、レーガン・サッチャー革命による新自由主義・新保守主義の台頭である。(ケヴィン・パスモア『ファシズムとは何か』、岩波書店、2016、pp157〜165)。

  外国嫌いと不寛容という点では、今の日本の極右も同様ではないか。「極右は・・(中略)・・グローバル化と文化多元主義を構築している者こそが、国民ごとの差異を瓦解させる者として真の人種差別主義者だ、と主張する。」(同書、p.187)。この指摘は、現代日本にも当てはまる。

「外に敵を作る」ことにも注意が必要である。中国や韓国の政府は、日本批判を強め、そこに国民の注意を集中させることで、自らに対する国民の不満を解消させようとする。

  しかし、我々が同じことをする必要はない。反日、嫌韓、嫌中、いずれも、国家間の関係改善に資することはないからである。儒教について学問的研究すら行ったことのない者が、中国、韓国を非難する日本万歳の本を書いてベストセラーになっている。

  このように、最近の「外国人嫌い」は商業主義でもあり、それで部数や視聴率を伸ばすことを目論むのみで、国際関係への配慮など、全くない。他国との良好な関係は、地道な努力の上にしか成立しない。ナチス・ヒトラーの「反ユダヤ主義」に対する反省の上に、第二次世界大戦後の民主主義があるのではないのか。

 

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