国際政治学講義㉘:(4)20世紀の意味 ②社会主義の世紀・・⑫ | 舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

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 なぜ、社会主義は資本主義に負けたのか。経済システムとして大きな欠陥があったからである。

1917年のロシア革命の成功によって、体制としての社会主義が地上に実現したが、レーニンはNEP(新経済政策)を国作りの切り札として計画経済を遂行していった。スターリンの下でも計画経済は成果を上げ、軍需産業も花開き、第二次大戦に勝利した。

 戦後は、宇宙開発の分野では世界をリードするまでになり、それが世界初の人工衛星スプートニクの打ち上げにつながった。ソ連邦の時代に、『今日のソ連邦』という広報誌があったが、そこには科学技術大国、宇宙大国の姿が写真で紹介されていた。

 このように、軍事や、いわゆる重厚長大産業ではソ連は優秀な技術を持っていた。広大な国土に適した巨大な建設機器や輸送機器などがそうである。しかし、軽薄短小産業の分野では、西側に差を開けられることになる。特に半導体が産業の米と呼ばれ、コンピューターが先端産業として発展して行くと、ソ連の立ち遅れは致命的となった。

 日本の東芝機械とノルウェーの企業が、潜水艦のスクリューをコンピューターでデザインする技術をソ連に輸出したとして、1987年にココム違反に問われたことがあったが、これは、コンピューター分野でいかにソ連が西側の後塵を拝していたかを如実に示す事件である。

 1976年のミグ25の函館着陸事件から10年、真空管で驚いた西側は、CAD(コンピューターの助けを借りた作図)やCAM(コンピューターの助けを借りた物作り)の分野で、またソ連の遅れを痛感したのである。コンピューター時代の到来は、産業技術のみならず、国民の消費生活でも、東西間に大きな格差を生むことになったのである。

 情報産業、コンピューターが発展するためには、言論や表現の自由が不可欠である。ソ連型社会主義の全体主義独裁体制では、その自由が保証されていないために、情報機器を自由に使うことができない。情報機器に対するニーズもない。

 こうして、1980年代には、社会主義が資本主義に対して優位を誇ることのできる分野はほとんど無くなっていった。先端技術の開発競争でも、豊かで自由な社会作りでも、資本主義社会に敗退したソ連型の社会主義は消え去るしかなかった。