私の読書ノート(5) | 舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

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小野寺史郎『中国ナショナリズム:民族と愛国の近現代史』(中公新書、2017年)

 

日本を抜いてGDPで世界第2位となり、政治的にも国際社会で大きな重みを持つ大国となった中国はどこへ行くのか。習近平が唱える「一帯一路(シルクロード経済圏構想)」は、世界にどのような影響を与えるのか。そのような問いに答えるためにも、中国の歴史を振り返ってみる必要がある。本書は、ナショナリズムという観点からその課題に取り組んだものであり、中国近現代史を概観するのに役に立つ。

 かつて佐藤春夫の『支那雑記』(大道書房、1941年)という本を読んだとき中国人の伝統的な物の見方について、日本人とは全く違うことにいたく感じいったものである。6年前、辛亥革命100周年記念に『孫文:その指導者の資質』(角川書店、2011年)という本を書いたが、孫文を支援した玄洋社や黒龍会に集ったわが故郷・福岡のアジア主義者たちの活動についても研究した。内田良平もその1人であり、彼の著作『支那観』(1913年)は中国民族に対する深い洞察に満ちている。

 たとえば、内田は「支那では政治社会と普通社会が完全に分離しており、支那の革命を人民の発意による西洋の革命と同一視するのは間違いだ」と言い切っている。国民性については、「支那には元来読書社会(政治社会)、遊民社会、農工商社会(普通社会)の三つがある。読書社会とは官吏の上流社会で、権力財産のみを求めて国家人民に一念もなく、自分より優れた者への嫉妬と排除にやっきとなる。今回の政府建設では南北の軋轢、暗殺、格闘など、党派抗争はその極に達し、列強から圧力を受けても恬として反省しないのも、この国民性のためだ」という。

 小野寺は、中国が伝統的国家観から、近代国際関係の中に組み込まれていき、ナショナリズムが生じてくるのは、日清戦争敗北後だとする。清末の康有為や梁啓超らの取り組み、そして孫文の辛亥革命を経て、漢・満・蒙・回・蔵の「五族共和」が公定ナショナリズムとなる。列強の中国進出、そして1915年の日本による対華21箇条要求が中国ナショナリズムを刺激する。国民党と共産党との勢力争い、そして日中戦争の過程で、中国人は国家意識、国民意識を高めていく。

 戦後1949年には中華人民共和国が成立し、民族意識も次第に確立していく。文化大革命という混乱の後、鄧小平による改革開放政策で中国は豊かになっていく。その間、周辺諸国とは領土問題が懸案事項となり、日中関係では、それに加えて靖国神社参拝、教科書などが歴史認識の相違としてクローズアップし、これもナショナリズムを高揚させる。日本人から見れば過剰とも言える中国の反応の歴史的由来も解説してある。たとえば、「現行の国際秩序や法体系自体に対する中国の強烈な不信や不満」(238p)がそうである。

 本書は中国における近代ナショナリズムの形成を概観しているが、先に引用した内田の中国論をどう見るのかの答えは出されていない。檀上寛は、その著『天下と天朝の中国史』(岩波新書、2016年)の中で、「中国人の発想あるいは思考パターンの中に、伝統的な天下観が色濃く残っている」(276p)という。そのような主張も含めて、中国ナショナリズムについては、さらに多角的、複眼的分析が不可欠なように思う。