変形性股関節症について(5) | 舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

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 睡眠不足や過労が股関節にとっても大きな負担となることを痛感したのが、選挙のときです。参議院選挙が行われるのは、いつも真夏で高温多湿との闘いとなります。街頭演説のときは、集まってくれた有権者には日陰の涼しいところにいてもらい、候補者本人は炎天下でマイクを握ることになります。夕方になっても、暑さは変わりません。体力がなければ乗り切れない過酷な戦場です。

 2001年の参議院選挙のときには、私は比例区なので全国を駆け巡りますが、神奈川県で遊説しているときに、左眼に閃光が走りました。外気38度Cの炎天下でしたので、直射日光のせいだと思い放っておきました。それまでに眼の大きな病気はしたことがなく、知識もありませんでしたが、実は網膜剥離が始まっていたのです。分刻みの選挙スケジュールをこなしているときで、眼科に行く暇もありませんでした。

 しかし、日が経つにつれて、モノが霞んで見えるようになる、数日後に静岡県で遊説しているときには、眼の前に靄がかかったような状態で、ほとんど見えないほど悪化しました。日が暮れてから静岡の眼科医に診てもらったところ、網膜剥離で、失明直前であることが判明し、翌朝、東京医大で緊急手術をすることになったのです。

 選挙期間は17日間、入院のため途中で1週間ほど戦線を離脱しましたが、最後の数日にはまた、左眼に眼帯をしたまま街頭に立ちました。私は当時52歳でしたが、過酷な選挙は自分の身体の弱いところを直撃したようです。学者でしたので、本を読むのが商売で眼を酷使してきたことは事実です。

 次の選挙は2007年で、さすがに眼のほうは注意していましたが、今回は股関節が直撃されました。しかし、私は腰痛が悪化したとしか思っていませんでした。実際に医者が診断して変形性股関節症と判明するのは5年後のことです。北海道から九州まで遊説する日々が続きますので、睡眠不足で疲労が蓄積してきます。そこで、「腰痛」も次第に悪化していきました。歩くのも辛いくらいで、左脚を引きずって歩くようなってしまいました。商店街などは「ねり歩き」して選挙運動をするのですが、仙台市では、歩行困難でこの手は使えなくなってしまいました。