キリスト教のアメリカ(2) | 舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

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 インディアナ州ではバプテスト教会の信者たちと一緒の機会が多かったが、アーミッシュの人々も私を囲む会に出てきてくれた。アーミッシュの生活ぶりについては、ハリソン・フォード主演の「刑事ジョン・ブック目撃者」(1985年公開)に描かれているが、信仰の自由こそアメリカの真骨頂である。そして、信仰が生活の基盤をなしている。ピューリタンのPilgrim Fathersから始まる建国の歴史を持つアメリカでは、プロテスタントが主流である。

 伝統社会の日本で、仏教が魂の救済に役立つどころか、単なる「葬式仏教」となってしまっているように、私が若い頃住んだフランスでは、カトリック教会が宗教本来の機能を十全に果たしているとは言えない状況にある。日曜に教会に集う人々の比率も低下している。これに対して、アメリカでは教会の日曜礼拝は今なおコミュニティで重要な役割を果たしている。

 私が実践したアメリカのキャンパスの移動教授は、各地を説教して回る牧師に似ている。今日ではテレビ伝道も盛んであるが、私の脳裏には開拓時代のアメリカがある。新天地を開拓していく人々にとっては、まさに命がけの日々であり、心の支えが不可欠であり、それがキリスト教の信仰であった。新しく開かれた町々を巡回しながらやってくる牧師を、皆が大歓迎したのであった。大学で、皆が神に、「極東から友人を連れてきてくれた」ことに感謝の祈りを捧げる姿には感動したものである。

 このようにキリスト教の信仰が根付いているアメリカに、私が自然に溶け込むことができたのは、子どもの頃の愛読書に開拓時代に関するものが多かったからである。マーク・トウェインの『トム・ソーヤーの冒険』(1876年)や『ハックルベリー・フィンの冒険』(1885年)、ローラ・インガルス・ワイルダーの『大草原の小さな家』(1935年)、アーネスト・トンプソン・シートンの『シートン動物記』(1898年〜)などがそうである。これらは、アメリカ大陸を東部から西部へと開拓していく人々の愛と苦労の物語である。自然と格闘する逞しい開拓者たちの姿と神への篤い信仰に心を打たれたものである。