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 トランプ大統領は、西アフリカのナイジェリアで多数のキリスト教徒が殺害されているとして、アメリカが軍事介入する可能性を示唆した。ナイジェリアで何が起こっているのか、そして、トランプの警告の背後には何があるのか。

 

 ナイジェリアは、人口が2億3千万人とアフリカ最大で、石油などの天然資源に恵まれている。国土の面積は、日本の約2.4倍である。三大民族は北部のハウサ人、南西部のヨルバ人、南東部のイボ人で、宗教は北部がイスラム教、南部がキリスト教で、人口比率はほぼ半々である。公用語は英語である。

 1960年にイギリスから独立した後、宗教対立から、イスラム教徒がキリスト教徒を襲撃する事件が頻発してきた。2010年には、ベロムで2000人以上のキリスト教徒が殺害され、キリスト教会も破壊された。

 

 2020年12月、米国務省は、「世界で最も信教の自由が侵害されている国の一覧」を公表したが、ナイジェリアは「特に懸念のある国」とされた。

 共和党のクルーズ上院議員は、ナイジェリアを「信教の自由を侵害する国」に指定するように議会に働きかけを行ってきた。10月21日には、Xに投稿し、「ナイジェリアでは、信仰の故に世界で最も多くのキリスト教徒が殺されている。2009年以降、イスラム過激派は5万人以上のキリスト教徒を殺害し、2万以上のキリスト教の教会、学校などを破壊した」と述べている。

 それを受けて、トランプは、10月31日、ナイジェリアを「特に懸念のある国」に再指定した。そして、国防総省に軍事介入の準備をするように指示した。

 また、ナイジェリアへの援助も停止する可能性も示唆した。バイデン政権下の2023年には、アメリカはナイジェリアに10億ドル(約1540億円)の援助を実行した。2025年は、これまで2億5千万ドルしか援助していない。

 

 いずれかの国で、宗教対立から、キリスト教徒ではなく、イスラム教徒が大量に殺害されているとしたら、トランプは、今回と同じような対応をしたであろうか。答えは否である。

 

 信仰故に迫害されたイギリスの清教徒が、大西洋を渡り、作ったのがアメリカである。人工的な国で、日本やヨーロッパ諸国とは異なる。

 アメリカとは何か。それは、「キリスト教」である。プロテスタントが主流であるが、新天地を開拓していく人々にとっては、まさに命がけの日々であり、心の支えが不可欠であり、それがキリスト教の信仰であった。

 

 トランプは権力基盤を大衆に置くポピュリストの扇動家である。今日の政治は左翼と右翼ではなく、高学歴で自立した層と低学歴で集団思考の層との「対立図式」であり、後者は論理ではなく感情を優先する。

 キリスト教徒を殺害している国に対しては武力侵攻するというトランプの主張は、「キリスト教のアメリカ」では、多くの国民に支持されるであろう。

 

 アメリカが西部を開拓していくとき、それを正当化する標語が「マニフェスト・デスティニー(Manifest Destiny)」であり、「明白なる使命」、「明白なる運命」などと訳される。

  

 トランプは、今年の1月20日、大統領就任演説で、マニフェスト・デスティニーいう言葉を使い、保護主義を実行したマッキンリー大統領(在任1897~1901年)を模範としたのである。

「キリスト教のアメリカ」に加えて、「マニフェス・トデスティニー」は、今後、トランプ政権が世界各地で軍事介入するときの正当化に使われていくであろう。

 日本もヨーロッパも、この「異質な国」アメリカ、とりわけトランプ政権への対応に苦慮せざるをえない。

 

 

 トランプ大統領は、ガザでの戦闘を停戦に持ち込んだのに続いて、ウクライナ戦争を終わらせる努力を続けている。8月15日には、アラスカでプーチン大統領と首脳会談を行ったが、ウクライナのゼレンスキー大統領の主張とロシアの要求の妥協を図るのは困難を極めている。

 トランプの主張がコロコロと変化するので、ヨーロッパ諸国も頭を痛めている。プーチンに対して妥協的な態度を示したり、強硬姿勢を見せたり、日替わりメニューのような有様である。ある意味で、原則がない。

 トランプは、ロシアとウクライナの双方に、「現状の前線で停戦すること」を求めたという。しかし、トランプの要求通りにすれば、ロシアがウクライナ東南部を占領したままの停戦となってしまう。

 ところが、 トランプは、9月23日、ニューヨークでのゼレンスキーとの会談後、「ウクライナは、ヨーロッパの支援があれば、元の姿を戦って勝ち取る状況にある」とSNS に投稿した。プーチンへの不満からか、ウクライナ領土の一部をロシアに割譲することを示唆していた従来の方針を転換したような発言をしたのである。ところが、それから1ヶ月も経たないのに、また主張を変えている。

 今のトランプは、ロシアが戦争に勝っているし、経済も好調だという認識で、負けているウクライナが譲歩しなければ、ロシアによって滅ぼされると考えているようだ。

 トランプにとっては、条件がどうであれ、とにかく停戦することが大事だということである。

 トランプは、ゼレンスキーとの会談後、SNSに「私は、プーチン氏に強く促したのと同様に、ゼレンスキー氏に対しても殺戮を止め、ディールを結ぶときだと伝えた」と記し、さらに「戦争と勇気によって境界線がひかれた。現状のまま止めるべきだ。双方に勝利を認めさせ、歴史に判断を委ねよう」と書いた。

 しかし、ロシア安全保障会議副議長のメドベージェフ前大統領は、「双方に勝利を認めさせて停戦させろ」というトランプの主張について、18日、それは「我々のケースには当てはまらない」とSNSで反駁した。そして、ロシアの大衆紙「モスコフスキー・コムソモレツ」(電子版)は、20日、「プーチン氏がトランプ氏の条件を受け入れる可能性は低い」と伝えている。

 領土問題と並んで重要なのは、ウクライナの安全保障である。ロシアがウクライナに侵攻したのは、ウクライナがNATOに加盟することを阻止するためである。プーチンにとっては、ウクライナがNATOに加盟しないことが停戦の絶対条件である。

 トランプは、ウクライナをNATOに加盟させることはない。停戦を実現させるためである。

 それでは、ウクライナの安全をどうやって守っていくのか。

 9月4日にパリで有志連合の首脳会合が開かれ、「26ヵ国がウクライナへ軍隊を派遣するか、陸海空に展開すること」が、正式に合意されたが、まずは兵士の訓練や武器支援でウクライナ軍を強化し、その後、有志連合の部隊を派遣する。

 トランプは、米軍を派遣して直接関与させることは拒否している。要するに、ヨーロッパ諸国がウクライナを支援すれば良いという、いわば突き放した対応である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 10月10日に、ガザで停戦が始まった。

 

 1948年にイスラエルがパレスチナに建国して以来、イスラエルとアラブ諸国との間で4次にわたる戦争が繰り広げられてきた。パレスチナ問題とは、一つの土地について二つの民族が所有権・生存権を主張しており、その主張が両者とも正しいという問題である。

 

 古代のユダヤ人の歴史は『旧約聖書』に記述されているが、紀元前1500年頃にヘブライ人の最初の家長であるアブラハムが、カナーン(今のパレスチナ)に移住し、そこに約1600年住んだ。紀元66年、ユダヤ人がローマに対して武装蜂起するが、ローマに鎮圧され、ユダヤ人は殺害されたり、奴隷にされたりした。また、ユダヤ人はカナーンの地から追放され、各地に離散した(ディアスポラ)。

 

 第一次世界大戦のとき、イギリスは対戦国ドイツの同盟国オスマントルコを後方から攪乱するために、アラブ人の力を借りた。見返りに、戦後にアラブの独立を認めるとしたのである(「フセイン・マクマホン協定(書簡)」)。

しかし、1916年、三国協商を結んでいたイギリス、フランス、ロシアの三国は、戦後にオスマン帝国を分割して管理するという秘密協定を結んだ(「サイクス・ピコ協定」)。

 二つの協定が矛盾していることは明白である。

 

 さらに、1917年11月には、イギリスは、戦後、パレスチナにユダヤ人国家を建設することを認めるとユダヤ人に宣言した。これは、ロイドジョージ内閣のバルフォア外相が、ロンドンのユダヤ人財閥ウォルター・ロスチャイルドに書簡を送って記したもので、これを「バルフォア宣言」とよぶ。

 今日に至るパレスチナ問題の源は、以上のようなイギリスの二枚舌、三枚舌外交にある。

 

 第二次世界大戦後、国連は、1947年11月、パレスチナを分割してユダヤとアラブの二つの国家を作る決議(パレスチナ分割決議)を採択した。

 ユダヤ人は1948年5月14日にパレスチナにイスラエル国家を建国したが、その結果、居住地から追い出された数十万人のパレスチナ人は難民となってしまった。パレスチナ人にとっては、「ナクバ(大厄災)」の日である。

 

 その後、4次にわたる中東戦争が戦われた。

 エジプトのサダトは、1977年にイスラエルを電撃訪問し、クネセット(議会)で演説した。1978年9月には、イスラエルのベギン首相とエジプトのサダト大統領が、アメリカのカーター大統領の仲介によって、大統領別荘のキャンプ・デービッドで12日かけて会談し、エジプトはイスラエルを承認し、国交を開く、イスラエルはシナイ半島をエジプトに返還し、ヨルダン川西岸とガザ地区におけるパレスチナ人の自治について交渉することで合意した。キャンプ・デービッド合意である。

 

 1993年9月13日、ノルウェーの仲介で、オスロ合意が成立し、イスラエルのラビン首相とPLOのアラファト議長は、「パレスチナ暫定自治協定」を調印した。その内容は、両者は相互に承認し、PLOはイスラエルの生存権を認め、PLOはテロを放棄するというものであった。そして、暫定自治宣言によって、ヨルダン川西岸とガザ地区にパレスチナ暫定自治政府が樹立され、着実にパレスチナの自治の拡大へと進むことが期待された。これが二国家共存という解決策である。

 

 しかし、イスラエルでもパレスチナでもオスロ合意に反対する過激派が武器を置かなかった。そして、イスラエル軍の撤退が予定通りに進まなかったり、新規にユダヤ人の入植地が作られたり、ユダヤ人過激派がパレスチナ人を攻撃したり、イスラム過激派によるテロや民衆のインティファーダが頻発したりと、包括的和平への道のりは遠くなっていった。パレスチナではPLOの和平路線に反対する過激派のハマスが台頭し、自爆テロなどのテロ活動を繰り返した。また、イスラエルでもリクードなどの右翼の強硬政党が勢力を伸ばした。

 こうして、双方で二国家共存を否定する過激派が勢力を拡大し、オスロ合意は破綻してしまった。そして、2023年10月7日、ハマスはイスラエルを奇襲攻撃したのである。

 

 イスラエルとパレスチナの二国家が共存していく路線以外には、中東に恒久的な平和は訪れない。