はたらかざる者 無用庵茶話0603 | 宇則齋志林

宇則齋志林

トリの優雅な日常

おはようございます。

若者の就労支援団体を主催している、社会活動家のトリです(お前が働け、と言われ続けています)。

 

これまで、自分はわりと働き者だ、と思っていた。

ブログも毎日更新していた時期があったし、仕事も丁寧にやっている自信がある。

しかし、最近、そうでもないかもしれない、と思うようになった。

 

ゆっくりぼうっとしているのが性に合っていて、人の役に立ちたいというような、おこがましい考えも鳴りを潜めた。

よく考えると、人の役に立たない奴がいるから、役に立つ人が際立つのである。

だから、私のような役に立たない者が、役に立つ者を生かしているのだ。

はたらかざる者が、はたらく者を支えているんである。

 

これこそ、まさに「無用の用」ではあるまいか。

コップは、中の何もない空間が重要であり、窓はそこだけ空いている穴が窓本体なのであり、伸びていないところを「伸びしろ」という。

 

日本の経済界は、不況になるとすぐにリストラをする。

人員整理くらいしか思いつかないバカが多いということかもしれないが、「いらない」人員を整理して「必要」な働き者ばかり集めることのリスクを分かっていない。

「無用の用」が分かっていないのである。

 

はたらかざる者に給料を出す余裕はない、と言われるかもしれない。

短期的には、人件費が減った分、儲けが増えるだろう。

しかし、それはコップを上げ底にするとか、窓を覆うとか、伸びしろを切り捨てるのに似た行為である。

 

このように、はたらかざる者を排除することは、自分の首を絞めるような、自殺行為に近いことであるのに、なぜか社会的には働き者の方が優遇されている。

はたらかざる者を優遇せよ、とまでは言わないが、もっと感謝されてしかるべきである。

それでは、ベーシックインカムのようなものを導入せよというお話かといえば、そうでもない。

 

また、「はたらかざる者」とは、一部の資産家などのような、「働かなくて良い者」のことではない。

十分な資産や資金などないくせに、働くことが苦手な者のことである。

現代の価値観として「自分らしく生きる」ことがよく言われるが、「ぶらぶらしているのが自分らしい」とはたらかざる者が言うと、白い目で見られる。

 

そこがおかしい、と言うのである。

世の中は、かくも矛盾に満ちている。

にもかかわらず、「資産がないのに、はたらかない」という矛盾は許してくれない。

※「ぐうたら」の元祖。