おはようございます。
特に平安朝の生活文化に詳しい、日本古代史家のトリです(ヘイアンジダイ、サムイ、ジゴク!)。
前回の記事で、紫式部を中島みゆきに見立てた。
どこが、と思われているだろうから、今回はそれについて書いてみたい。
どこがどう似ているか、といわれるなら、その気質及び創作の本質的な部分だという他ない。
よく知られていることだが、紫式部は超絶な漢文オタクであり、非常に息の長いロマンの書き手であった。
中島みゆきも、その本質は根暗なオタクであることは間違いなく、彼女の歌はどれも、ある一つの長い物語の一部を切り取ったものだという見方ができる。
中島みゆきは、シンガーソングライターではなく、ロマンシエールであるというのが、この見立ての根拠である。
「糸」も「わかれうた」も「地上の星」も「麦の歌」も「ルージュ」も「ひとり上手」も、すべて『時代』という大長編小説の一章を成すものであり、時代は回る、というテーマの周辺をめぐる物語なのである。
中島みゆきの作品群だけが唯一、「もののあはれ」という情感を基調として、光る君と関わって不幸になって行く女性群像を、あらゆる角度から驚くべき緻密さで描いた、『源氏物語』という大河小説に匹敵する。
とまあ、そういう大きな話はこのくらいにして、『紫式部日記』を少し眺めてみたい。
その文章を読んでいると、中島さんがラジオで語っている口調が乗り移ってくるから不思議である。
こういう具合だ。
先ずは適当な部分の原文を掲げる。
「しはすの二十九日にまゐる。
はじめてまゐりしもこよひのことぞかし。
いみじくも夢路にまどはれしかなと思ひいづれば、こよなくたち馴れにけるも、うとましの身のほどやとおぼゆ。
夜いたうふけにけり。
御物忌におはしましければ、御前にもまゐらず、心ぼそくてうちふしたるに、前なる人々の、
『うちわたりはなほいとけはひことなりけり。
里にては、いまは寝なましものを。
さもいざとき履のしげさかな』
と、いろめかしくいひゐたるを聞く。
としくれてわが世ふけゆく風の音に心のうちのすさまじきかな
とひとりごたれし。」
以下、中島みゆきのラジオ風超訳。
「はいいー、始まりましたー、むらさき、式部、でございます。
十二月のね、二十九日になっちゃいましたわね。
わたくし、はじめて宮中にお勤めしましたのも、この同じ頃でございましたのよ。
あの頃のことは、夢の中のような、おぼろげな思い出ですけど。
今はもうお勤めにも慣れちゃったんだけど、なんだかつまんない人に、なったような気がするんですよね。
はいい、夜も更けてまいりました。
物忌期間中のことでございますから、中宮の御前にも行かなくていいんですけど、なんかヒマだわねって思っているうちに、まわりの女房たち、こんなことを言い出すんですわ。
『内裏の方が、何だか騒がしいわね。
お里にいれば、もう眠っている時分ですのに。
もう、靴の音で寝てらんない』
なんてもう、みんな黄色い声なんか出しちゃって。
あの、靴音っていうのは、内裏に方の局に男たちが通っていく靴の音のことなんですわ。
もちろん、こっちの方に来る男なんて、いやしませんがね。
わたくし、ひとりで、
年が暮れて(年を取って)私の世(夜)が更けていく風の音を聞いていると、心底嫌な気分になるんだわ。
と、つぶやいてみたりしちゃったので、ございますよ。」
『紫式部日記』は、大体こんな具合に、ちょっとした自虐を織りまぜながら、わりとお上品なお話が続いていく。
※プロジェクト、エーックス!かーぜっのっなっかっのっ、すーばるー!
