おはようございます。
政府系シンクタンクにも出向している未来予測の専門家、トリです(実際には、一寸先は闇を地で行っています)。
人の運命はわからない。
今が楽しくても辛くても、いつか逆転するかもしれないし、しないかもしれない。
いずれにしても、「過去は変えられないが、未来は変えられる」というのが定説である。
しかし、本当にそうだろうか。
過去に起こったことは、ある意味「歴史的事実」であるからして、私が昨日食べた「チョコモナカチョンボ」(仮名)をなかったことにはできないかもしれない。
しかし、未来は変えられるというなら、昨日食べた「チョコモナカチョンボ」由来のカロリーを、無にすることができるというのか。
多くの人はそこで、「未来を変える」べく、運動をしたり、激しく脳を使う詰将棋などに没頭すれば、体脂肪として定着するはずだった「チョンボ」由来のカロリーを無効化できるはずだ、と言うであろう。
しかし、それで本当に「未来を変えた」と言えるのだろうか。
なぜなら、体脂肪が増えるかもしれないというのは、現時点での仮説であり、その仮説に従って運動したりなどして、結果的に数日後の体脂肪率が変わっていなければ、運動の効果が出たことがわかるが、その時には、すでに「未来」だったものは「今」になっているので、「未来が変わった」とは言えないはずだ。
もっと言えば、「チョンボ」のあとに運動することを選択したなら、その路線で時間が進むので、本人的には「未来を変えている」という自覚はない。
また、「チョンボ」ごときで体脂肪が劇的に増えるとも思えないので、運動しなくても、体脂肪率は変わらないかもしれない。
その場合、「未来を変えた」という実感は無論ない。
「未来が変わる」というのは、自分の行動が、既定路線を遮断し、別の結果を導入する場合に使われる言い方である。
ぐうたらな受験生が、夏休み後半から一念発起して勉強を始め、見事難関校に合格したようなとき、「未来が変わった」と言いたくなる。
しかし、勤勉な受験生が、三年間毎日まじめに勉強をして、なおかつ不合格だった場合、「未来が変わった」と言うだろうか。
私としては、こっちの事例の方が「未来が変わった」感が強いと思う。
ではなぜ、勤勉な受験生が落第したのか。
それは、神(仮)のプログラムのせいである(仮説です)。
神(仮)が、あらかじめ人の人生をプログラミングしていて、人はその通りにしか生きられないのである。
つまり、何をしても「未来は変わらなかった」のである。
これを、「決定論」とか「運命論」などという。
神(仮)のプログラムは精妙で、至れり尽くせりである。
どうあがいても、その路線から外れることができない。
ぐうたらな学生が急に勉強を始めても、「決定論」的にいえば、「そのとき勉強を始めるようにプログラムされていた」にすぎないからだ。
では、自由意思はないのか?
あるともいえるし、ないともいえる。
というか、あり、かつ、ない、というのが実情だろう。
例えば、ファミコンに「スーパーマリオブラザーズ」というゲームがある。
私が遊んでいて、3面でカメにぶつかって終わったとしよう。
それは、私の操作ミスであるが、実際には「そこでカメに当たったら終わる」というプログラムが書かれていたのである。
もっとうまく操作していたら、4面まで行けていたかもしれないが、行けたとしても「4面まで行ける」というプログラムが存在するから行けるのである。
だから、どこまで技術を向上させることができても、プログラムの範囲内の事であり、「5面クリアしたら、次はドラゴンクエストになる」という訳には行かない。
これが、神(仮)のプログラムのアナロジーである。
高3の夏までぐうたらしていて、それでも難関校に受かるという路線を進めば(そういうゲームをしていたら)、そうなるし、ずっとまじめに勉強してきて、なおかつ受験に失敗するという路線にいたら(そういうゲームをしていたら)、そうならざるをえない。
ゲームの場合、自分の好みで「ドラクエ」か「マリオ」かを選べるが、神(仮)のゲームの場合、自分が選んだという実感が持てないかもしれない。
しかし「自由意思」というのは、そこにこそ(そこにだけ)発揮されるので、実際には自分が選んだゲームを遊んでいるというのが実情であろう。
そしてこれはゲームであるからして、すべては仮設=虚構である。
画面に映し出されたマリオは、まるで生きているかのように動くが、実際には生きていない。
マリオもカメもその他のキャラや障害物も、みんなプログラムに過ぎない。
神(仮)のプログラムも、同じ構造である。
これから進学や就職をして、ワクワクしている人には申し訳ないが、過去と同様、未来も変えられない。
ただ、楽しく遊んで「よっしゃ、3面クリア」とかなんとか言っているうちに、年を取る、というゲームなのです。
※今日も昼寝するという運命から逃れられなかった。