おはようございます。
幸せの青いトリです(病弱で、顔色が青いだけです)。
世間を騒がせ続けている松本人志論争(もはや「論争」というべきだろう)は、とどまるところを知らない。
人のうわさも七十五日というが、誰もなかなか忘れてくれないところに、松ちゃんの人気具合がうかがえる。
人気者はつらいね。
などと、のんきなことを言っている場合ではない。
そういうことを言ったという情報のみ出て、まだ誰もそこを問題にしていないものが一つある。
それは、うそかまことか、飲み会の時に松本さんが言った(とされている)、
「今日はこの中の誰が、俺を幸せにしてくれるんや」
というセリフの是非である。
これが事実なら、大変悲しい。
仮にも、松本さんはプロの芸人であり、プロの芸人は、自分しかいない場合を除き、誰か他者とともにいる場合、その相手を幸せにする側の人であるはずだからだ。
その人が、「誰か俺を幸せにしてくれ」なんて、恥ずかしげもなく言うとは、どういう雲行きなのだろう。
また、もう一側面として、松本人志ほどの位人身を極めた芸能人にして、まだ「自分は幸せでない」と思っていたことが驚きである。
人気者で仕事も順調でお金持ち、飲み会で女性に迫れるほど体調もいいときたら、もう何も望むものはなさそうであるが、人知れぬ苦労や苦悩やストレスがあったのだろうか。
あったとしても、それを他人に押し付けて自分だけ幸せになろうだなんて、虫が良すぎる。
というか、すでに「幸せ」という言葉の意味を誤解している。
幸せというのは、本来自分一人でなるもので、他人の動向は無関係である。
「自分の機嫌は自分がとる」という言葉もあるくらいだ。
いかなる事態に際会しても、幸せであることはできると、達人はのたまう。
また、他人が関与している場合、その相手なりが「幸せ」だと思ってくれたとき、それが逆照射される形で、自分も幸せを感じられるという仕組みになっている。
家族や友人を強引に自分の好きなレストランへ連れて行き、誰もその料理に満足していないのに、自分だけ「うまいうまい」と言って食べて、満足だという人がいるだろうか。
自分の好みのレストランへ連れて行って、みんなも「おいしい」と言ってくれたとき、はじめて自分もうれしくなるのではないだろうか。
だから、そのとき本来なら、松本さんはこう言うべきだったのだ。
「今日は皆さんのおかげで、とても幸せな時間を過ごせました。ありがとう。さて、これから、俺と一緒に、もっと幸せになりたい人はいませんか?」
※楽しみは 真昼間から昼寝して ごろりちゃらりと夕を待つとき