AIについて 無用庵茶話0318 | 宇則齋志林

宇則齋志林

トリの優雅な日常

おはようございます。

生成AIの研究開発をしている、IT企業社長のトリです(AIどころか、スマホも使いこなせていません)。

 

波はあるが、ここしばらくAIの話題が人気である。

NHKの朝のニュース番組でも「最新のニュースを、AIによる自動音声でお聞きください」というコーナーがある。

同番組には何人ものアナウンサーが出演しているのに、どういうつもりなのか理解できない。

 

最近、有名な文学賞でも、AIを使った部分のある小説が受賞していた。

それについて、どうこういうつもりはない。

しかし、そういう試みが「新しい」と思われて、人気を博すということの意味がよくわからない。

 

ある医者が手術の事例などをAIに尋ねると、研究論文をでっちあげて、架空の症例を出してくることがあった、という話を聞いたことがある。

どうしてそういうことが起こるのかよくわからないが、「聞かれたから答えた」とAIは言うのだろう。

そういえば、インドで道を尋ねると、その場所を知らなくても、ものすごく親切に教えてくれる、という話がある。

知らないことを知らないというよりも、「聞かれたことに何とか答えるのが親切だ」というのである。

なんとも迷惑な話である。

 

少し前、話題の生成AI、チャットGPTを試してみようと思って、無料のアプリを入れてみた。

実際には無料ではなく、「利用5回が無料」とかで、所定の回数を超えて質問したら、金をとられるシステムであった。

で、そのAIに、「仏教における悟りとは何か」みたいな質問をしてみると、まあ、恐ろしく詳細に答えてくれた。

 

素人には絶対に言えないような、深い(と思われる)内容にも踏み込んだ回答となっており、これはすごいと思いかけたが、それが本当に本当の答えであるかどうかは確証がない。

そこで、「その回答を構成するために使用した参考文献、経典などを挙げてほしい」と質問してみたら、なんと「ネット上の意見の総合であり、特定の参考文献はありません」ということであった。

 

「それ自体で単独な個人の意見」というものは存在せず、いかなる意見にも必ず依拠した文献があるというのが、学問の常識である。

突飛なことを言っているように見えても、根拠があれば納得できるからだ。

「『史記』孔子世家によれば」とか、「ハイデガー『存在と時間』に、こういう考察があるから」というような前置きがあれば、その文献にさかのぼって、意見の是非を判断できる。

であるからして、どういう文献から引用して、その意見を構成したのかを教えてもらえない限り、AIの回答を使うことはできない。

現時点では、そこがAIの限界であろうか。

 

ちなみに、AIが人類を支配するとか、仕事が奪われるとか、著作権が問題だとか、暗黒の時代が来るようなことを言う人もなかにはいる。

そういうのは、みんな「陰謀論」のような、エンターテインメントの類だろう。

インターネットや携帯電話、スマホが登場した時にも、同じような懸念を示す声があった。

しかし、今のように生活に溶け込み、一般化してしまうと、もう誰もそのものの存在を疑わなくなる。

 

だから、AIもそのうち「あたりまえ」になり、陰謀論のネタにもならなくなる日が来るだろう。

つまり、人はそのくらい飽きっぽいということである。

私など、たかだか数回、無料のチャットAIを使っただけで、もう飽きてしまったほどである。

※なぜか昼寝だけは、飽きが来ない。