春よ来い | フラワーライフ☆自分らしく輝く

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結婚、妊娠、出産、子育て、更年期...女性の多様なライフステージ毎にお花のパワーやエネルギーを借りて、また、チベット体操や現代霊気、言霊ヒーリングを通して、開花していくフラワーライフのご提案

 

心と身体と両方から

癒しを起こし開放する
波動調律セラピストの
真水です。

3月も後半、
もうすぐ
新学期、
新しいシーズンの
始まりですね。

訪れてくださり
ありがとうございます。

鉱石が好きで、一時期
かなり購入していたことがありました。

最近は、
あまり購入していなかったのですが、
久しぶりに
目に留まった

画像でひとめぼれした
ブレスレットの
ご紹介です。

最近知った作家さん
鈴丸祥子さんの作品です。


鈴丸さんの作品は、
石の解説から伝わってくる
鉱石の大好きさとその文章の
美しさがとても素敵です。

 

 

一目ぼれしたブレスレット。

作品名 
淡き光立つ6月の庭~雨に濡れた天然ブラシオライトのブレスレット

この題名と作品を見たときに
もうこの人にぴったりではないかと
私の敬愛する人
(といっても自分の子供くらいの年齢なのですが)
その人の雰囲気やもっている品性や優しさ、
たおやかな強さのようなものが同じだなと
即、決めました。

SNSより画像お借りしました。

三浦春馬さんは
薔薇でいうと
淡い紫の

クラシカルパープルのイメージ。
芯がしっかりしているけれど
優しく愁いのあるイメージ。
ギラギラの原色ではなくて
淡い薄紫色のイメージ。

雰囲気が似ていませんか?

(そう思わない方、あくまで私の感性なのでお許しを)

ケニアのバラ。クラシカルパープル
番組で春馬さんが仮の名前として
オーセンティック・ケニアと
命名したバラとのこと。


以下
鈴丸さんのこのブレスレットの説明文を抜粋します。


ユーミンの「春よ、来い」という曲がありますよね。

日本語の美しさを余すことなく表現した歌詞のまさに冒頭の

淡き光立つ俄雨……

その光景をブレスレットにしました。組み込んでいるのはこれでもかと
いうほど素敵な石たちですよ。
まず、雨に濡れた紫陽花のようなはかなさが美しい天然のブラシオライト。
(中略)
全体的なイメージは雨の季節のまどろみのようなファンタジーなイメージですが、
やはり前に進む要素は入っています。
私の中で美しい石の集まりを究めようとするときに、必ず強さを意識します。
強さとはもちろん他に対するというよりは自分自身の軸の話です。このブレスを
手にした人が、美しさに心をときめかせ、これまで乗り越えられなかったものさえ
乗り越えられるような特別な気持ちになってくださったら、六月の俄雨に光立つ
小さな庭の光景が、やがて持ち主様の希望へとつながっていくことができたなら、
その時にこのブレスレットは完成するのだろうと思います。

~ここまで抜粋~
鈴丸さんの鉱石の対する愛情をとても感じます。


強さとは自分自身の軸、
美しさに心をときめかせ、乗り越えられなかったものを
乗り越えられる、
俄雨に光立つ小さな庭の光景が
希望へとつながっていく
静謐であり
強靭である
光立つ和の人


『明るみになることが清いのか,明るみにならない事が清いのか…』
by 三浦春馬さん
snsより画像お借しました。
淡き光立つ俄雨…
芯の強い優しい人でした。

<追記>
ここに載せることが適切がどうか考えましたが
通ずるものが流れていると思い
忘備録として置くことにしました。
数日前に見たある方の文章です。

2022年7月18日の命日とされる日に

書かれたものです。
以下転載します。

『最初で最後の観劇となってしまったあの日、雪降ってたんだよな…。
出演俳優に興味は無くあのロシア文学が舞台としてどう再構築されるのか?
自分の興味はただその一点のみだった。
そもそもあのラスコーリニコフを人間の役者が演じられると思っていなかった。
だから最初からそこに期待はしていなかった。
けれど幕が開いて驚いた。約3時間、ただただ圧倒された。
三浦春馬という俳優を自分は知っているつもりで何も知らなかったんだと初めて気付かされた。
彼は単なるイケメン俳優ではなかった。
狂人のようで狂人ではない複雑な心情と究極の苦しみから解放されるまでを
全身全霊で見事に演じて抜いていた。
終演直後の彼は全てのエネルギーを使い果たし、
立ち上がる事すらやっと…といった感じだった。
パタンと腰から折れたおじぎ。両腕ぶらぶらで上半身脱力したみたいな。
本当に全ての力を出し尽くしたんだなと思った。
しかもあれをほんの短期間の稽古で作り上げたという事を
後に知って更に驚いた。
「この役を演じてもらいたいと思う俳優は
世界中どこを探しても彼の他には考えられません」と
演出家のフィリップブリーン氏も言っていたけれど、
自分は春馬ファンというより
『罪と罰』の読者としてその言葉に深く共感する。
ローラ役だけじゃない、この役を演じられるのも三浦春馬しかいなかったと思う。
あの難役に挑む彼を見て感じた事は、
頭の良さと集中力と運動神経を合わせ持った上に
並外れた努力家なのだろうという事。
とても強い人だという事。
何をやっても彼はもはや誰にも追い付けないレベルに達していたと思う。
卓越しすぎていて日本では
正当に評価される事が難しかったのではないか?とも思う。
陳腐なラブコメで終わるような人じゃなかった。
やっぱり海外へ行かせてあげたかった。
この先どんな素晴らしい舞台に立ってどんな美しい花を咲かせてくれるのか、
ずっと先まで見ていたかった。
自分の事だけでなく、いつでも周りの仲間やスタッフや
子役の子供達を気遣う優しさと余裕を持っていた。
国際的に活躍する事でアジアの国々の友好の架け橋になろうともしていた。
このような彼の人間性も相まって、彼は様々な作品を通じて
多くの観客を魅了し世界中の人々から慕われ愛されたのだろう。
そんな彼が自らの命を投げ出すなんて、
家族や多くの人々を傷つけるような行為をするなんてありえない。
本当なら今頃は海外へ拠点を移していたんだろうし
未来の可能性に期待していたのは誰よりも彼自身だったと思う。
こんな事になって凄く悔しいだろうなと思う。
彼の無念を想像するといたたまれない。
長年のファンだった訳でもない自分が
彼の為に怒ったり悲しんだりし続ける事になるなんて思ってもいなかった。
たまたまドストエフスキーを読んでいた事が
運命の分かれ道だったなと思う。
もしあの舞台を見ていなければ彼を知らずに終わっていたし、
ここまでの違和感を持つ事も無かったかもしれない。
真実を明らかに出来るのか分からないし、
明らかになったところで彼は帰っては来ない。
でも何度考えてみてもこのままで良いとは思えない。
彼への尊敬の念と共に
彼がどれだけ悔しい思いで旅立ったかという事を
自分が生きている限り忘れずにいようと思う。
それが自分なりの彼への祈りの形だ。
どうか今この瞬間、
春馬くんの魂が暖かな光と温もりと良い香りに包まれていますように。
神という存在があるならば、どうか春馬くんをお守りください。
三浦春馬さんのご冥福を心からお祈りします』