西国観音霊場三番の札所 粉河寺 | あき&みっちゃんの好きなことを好きなように好きなだけ

あき&みっちゃんの好きなことを好きなように好きなだけ

神様の言霊・神様イラスト・神様アート
神社仏閣巡り・神様カードリーディング・占い
料理・紅茶・お菓子作りや二人の日常など
好きなことを好きなように好きなだけ綴るブログ

ようこそ!!

神様の言霊メッセージ、

産土神様鑑定、神様ヒーリング。

キャラクトロジー心理学、ヒプノセラピー。

ヒーリング&クリエイティブサロン

「ことほぎ」主宰新地亜紀と、
同居人みっちゃんです。

 

*・・・*★*・・・*★*・・・★*・・・*

 

紀三井寺の次に訪れたのは、
西国第三番札所 厄除観音 粉河寺でした。

粉河寺は、幼少の頃に訪れた記憶があります。
何となく、見覚えのある所もあり、
懐かしく思ったのですが、
やはり、保育園とか小学校入ったばかりとか、
そんな時だったので、ほとんど覚えていませんでした。

正式名称は、風猛山 粉河寺
ご本尊は、千手千眼観世音菩薩
ご利益は、新仏・水子・各家先祖代々諸精霊のお供養
       諸願成就(家内安全・交通安全・厄除け等)

 

鬼子母神のご利益は、安産・子授け




大門の横を通り、駐車場に車を停めると、
まず、不動堂や、本坊が目に入ります。
本坊横の童男堂には、童男大士が祀られています。



粉河寺の縁起によると、
河内国の長者の家に、長患いをしていた娘がいました。
身体が腫れ、膿んでしまい、あらゆる手を尽くしましたが、
どうにも癒すことが出来ません。
ある日、童行者が娘を訪ねてきます。
千手陀羅尼を唱えて祈祷をすると、
たちどころに、回復することが出来ました。
そのまま去ろうとする童行者に、
長者が、お礼に宝を。と申し出るのですが、
全て断られてしまいました。
ただ、娘が捧げた提鞘ーさげさやーと紅の袴は受け取られ、
名を告げることもなく、
「わが住まいは、紀伊國那賀郡粉河だ」
とだけ告げて、去っていきました。

どうしてもお礼を。と思った長者一家は、
翌年、那賀郡を訪ねるも、
誰に聞いても、
「粉河」
という場所を知っている人がいませんでした。
疲れ果て、川のほとりで休んでいると、
川を流れる水が、粉を溶かしたように白いことに気が付きました。
これこそが、「粉河」に違いないと、
川の上流を遡ると、小さい庵があり、中には、
娘が捧げた提鞘と袴を携えた、千手観音像が安置されていました。
娘を助けた童行者は、千手観音の化身であったのかと、
一同は、その場で剃髪して仏に仕えることにし、
お堂を建立したのです。

この縁起から、童男大士( 童行者 )のご利益は、
病気平癒となっています。



また、粉河の名の由来となった川が境内を流れていて、
参道は、この川に沿って作られています。
現在の名前は、長屋川と言い、
昔は、白い水が流れる川だったそうですが、
現代では、普通の水が流れる川でした。

仏足石や太子堂と並んで、何故か、
阿弥陀如来が祀られていたりして、
「え?! なんで? 」
と不思議だらけでした。



と言うのも、西国三十三か所札所なのですから、
当然、観音様が祀られているのですが、
本尊は秘仏で、開帳されることはありません。
本尊が秘仏の場合、
「お前立ち」
とも呼ばれる、
秘仏の身代わりの前立仏ーまえだちぶつーがあるのですが、
粉河寺の場合、これすらも秘仏となっています。

本尊の両側には、侍者として二十八部衆、
内陣の背面には、裏観音の千手観音像、
東に鬼子母神、西に不動明王、
大日如来、閹魔大王、弁財天、十六羅漢像、
風神、雷神に、左甚五郎作の野荒らしの虎などが祀られていました。

そして、粉河寺は、和歌山には珍しい天台密教系。

(現代、正確には、粉河観音宗)
その割には、天台密教の本尊 釈迦如来が、どこにも祀られていません。
なのに、真言密教の本尊 大日如来や、
浄土宗・浄土真宗の本尊 阿弥陀如来が祀られているのです。

奈良時代創建の古刹なので、
時代と共に、いろいろな宗派変えがあったのかもしれませんが、
頭の中のクエスチョンマークが止まらない仏様の並びでした。

 あらためて天台密教の事を調べてみたら、
 天台密教の本尊は、釈迦如来ですが、
 他の如来、菩薩は、全て釈迦如来が変化したものなので、
 各寺院の由来によって、様々な仏が祀られている。
 特に、浄土宗・浄土真宗では、立像にするとしている
 阿弥陀如来を本尊とする場合は、必ず座像とする。

 との事でした。



四天王が門番をしている中門を通り抜けると、
本堂前の広場に出るのですが、
まず、枯山水観賞式蓬莱庭園と呼ばれる
「粉河庭園」
に目を奪われます。
広場と本堂には、3mの段差があり、
そこに巨石を豪快に配して造られており、
他に類を見ない庭園となっています。



西国三十三か所の中で、最も大きい本堂を有する粉河寺は、
鎌倉時代には、七堂伽藍、五百五十ヶ坊、
東西南北共に4km余りの広大な境内、
寺領四万余石を有していました。
江戸時代には、一万石あれば

「大名」

と呼ばれていましたので、
粉河寺は、寺でありながら、大名クラスの力を有していたことになります。

しかし、織田信長や、豊臣秀吉の紀州攻めに遭い、
全てが、灰燼に帰してしまいました。



というのも、紀州は、仏教への信仰が強く、
高野山、粉河寺、根来寺、熊野三山、そして雑賀衆と、
寺社仏閣の協力なしには、政が成り立たないほど、
それぞれが、強大な勢力を持ちながらも、
絶妙な均衡を保ち、共存をしていました。
 

粉河寺も「粉河衆」と呼ばれる一大勢力を築き、
強力な兵力も有していました。

 

しかし、戦国時代になると、天下人に従うことを良しとせず、
各地の一揆や、反対勢力に力を貸すようになり、
天下統一を目指していた織田信長や、豊臣秀吉にとっては、
目の上のたんこぶとなっていったのです。



織田信長が行った、1000人を超える高野聖の処刑は有名ですが、
粉河寺もまた、根来衆に加担し、豊臣秀吉の紀州攻めに遭いました。

廃寺となりかけた粉河寺を助けたのが、紀州徳川家で、
幾度も火災や、兵火に遭いながらも再建を繰り返し、

現在でも、かなり大きな規模の境内を有しています。

改築を繰り返したせいか、本堂は、一重目の礼堂と、
二重目の正堂が合体しており、
とても複雑な屋根の形をしています。
こちらも、他に類を見ない建築様式だと言われています。



境内も広く、他では見られないものが一杯で、
粉河寺の散策は、思った以上に時間が掛かりました。
内陣も内覧出来たので、とても近くで、仏様を見ることが出来ました。
内覧の金額ですが、私達が行った時は、
一人400円以上という、ちょっと変わった金額設定でした。
二人で1000円払おうとしたら、200円お釣りを渡され、
「じゃあ、400円と明記しておけばいいのでは・・・」
と思いましたが、少し前までは300円だったようなので、
また変わるかもしれません。

そして、昔の名残りなのか、
お寺の境内の中に、思いがけず、
大きな神社があったので、そちらにも参拝することにしました。

 

和歌山の方言には、尊敬語がありません。
小さい頃に、
「和歌山には、地域をとりまとめて治める人がいなかったから、
敬語が発達しなかった」
と親に教えられ、
「あれ? でも、紀州徳川家があるやん?」
と、幼いながらに疑問に思っていたのですが、
紀州徳川家の成立も、江戸時代以降の事なので、
それまでの時代に、天下人の存在を許さない気風があったからなのですね。
今回、紀州の歴史を調べる機会を得て、
やっと、合点がいきました。
 

そりゃ、神武天皇も強行突破出来なくて、
八咫烏に案内をしてもらわないと進めなかった地ですもんね。

 

 

 

 

◆ご提供中のサービス
~神様、スピリチュアルセッション~
・浄化ヒーリングとメッセージ
・産土様鑑定
・カスタマイズセッション
・カードリーディング
~心理セラピー~
・SAS(トラウマ癒しセッション)
・CCT(ジャッジメント解除セッション)
・ヒプノセラピー(催眠療法)
~心理学講座~
・キャラクトロジー心理学®ベーシック
・恋愛キャラクトロジー
・SASレベル1
~その他講座~
・直感を鍛えるカードリーディング講座
・自分のスピリチュアルタイプを知るセミナー