フラッシュバック | 風が吹く日も、雨の日も

風が吹く日も、雨の日も

着物と子どもと「おいしいは正義」の日々。街歩きや美術館なんかも好きです。

 私が今勤めている会社は、私が以前参加していたプロジェクトで外注先として協力して戴いた会社です。
 その時は、私は今の会社に対して仕事を出す立場にいました。

 当時のプロジェクトチームへは、そのリーダと個人的に知り合いだったことがきっかけで参加しました。
 いろんなことが不思議な程上手くいかない、プロジェクト当たりが悪い私にとってもワースト3に入るプロジェクトでした。

 その時私は30代の半ばを少し過ぎて、大きな転換期の中にいました。
 それまでの考えや行動基準ではもう無理が来ていて、いろんなところにひずみを感じていました。
 心療内科とカウンセリングに通いながら、家事育児をし、仕事を引退して坂を転がり落ちるように弱くなる母の世話をし、仕事についてはその取引先との関係や自分の技能について悩んでいました。

 さて、当のプロジェクト。
 参加するに当たって、当初それほど過酷なことになるとは思っていませんでした。
 一次と二次があったのですが、一次でも結構大変で、二次になるともう、仕事しに事務所に出たらいつ家に帰れるか判らない、家に帰ってもそのまま徹夜で仕事なんていう状態でした。

 残業して夜遅くに帰ったある晩、玄関先で鬼のような形相をした母に激しく責められたことがありました。
 すると、そんな母を責める元夫が出てきて、三つ巴の騒ぎになってしまいました。
 私はとにかく母を落ち着かせることを優先したかったので、元夫を振り切って母と話をし、その間に元夫が表に走り出て行って何か叫んでいました。
 リビングで寝ていた子供が物音で起きて、激しい恐怖で布団の中に逃げ込んで泣き出しました。

 なんでこんなことになるのか?
 何をどうすればいいのか?
 私にはさっぱり判りませんでした。

 今回、私が今勤めている会社が先述のプロジェクトのリーダのやった仕事の手伝いをすることになりました。
 ひどい仕事になって火を噴いているので、見かねた代表が火消しに入ることを決めたのです。

 私はその仕事には入らないことになっていたのですが、先述のプロジェクト・リーダが自社に来て作業する段取りになり、とても対面出来ないと思われた私は当分出勤せず在宅作業をするように指示されました。
 しかし、在宅の私が孤立感を感じているのではないかという話が社内で出たそうです。
 そして社内の作業を私に手伝わないかとの話が来て、私に対しては「手伝ってもらえるとありがたい」という言い方だったので私は拒否出来ないと思い引き受けました。
 その時点で、よくない下地が出来ていたのだと思います。

 一日かけて手伝いをして、夕方ほぼ定時で作業を終えました。
 夕飯を作ろうとしていた時に、会社から連絡が入りました。
 明日大事なレビューがあるので、その為に出来てない作業を今晩中にしなければならない。私に対してもこれこれの作業をしてもらえないか。何時までに出来そうか。
 しかし、私は子供に晩御飯を食べさせなくてはなりません。
 他にご飯つくりを頼める人もいません。
 急遽お弁当を頼むべき?
 そんなことより、家のことに頓着しない電話の声に、私のトラウマのスイッチが入ってしまったのです。

 あのひどいプロジェクトで、やってもやっても終わらない、判らない、ひどい責め、説教。
 家に帰ればまた責められ、眠れず、食べれない。
 誰に何を言われたか、その時のその人の顔まで浮かぶ恐ろしさ。
 自分でも、これほどの恐怖が自分の中に残っていると思ったことはありませんでした。

 電話で聞いた作業は、結局社内でやるとの連絡がありました。
 私はいつも通り晩御飯を作って、片付けをして・・・でも、涙が出て止まらないのです。
 頭の中には辛い時の、残業して帰ったあの時の騒ぎや、仕事場での絶望感が繰り返し再生されます。止められません。
 怖くて怖くて、涙が次から次へと溢れてきます。

 仕事の指示の言葉がひどかった訳ではないのです。
 ただ、あまりにも状況が揃い過ぎて、過去の記憶のフラッシュバックが起こってしまいました。

 昼間、あのひどいプロジェクトを彷彿させる、あのリーダの書いたプログラムを私は見ていました。
 そして、またプロジェクトは火を噴いて緊迫した状態だったのです。

 夜になって、自社の代表から手伝いのお礼と翌日も手伝って欲しい旨のメールが来ました。
 しかし、すでに私は恐怖から逃げることしか考えていませんでした。
 こんな大変な仕事を抱えた時に、その仕事を拒否するなどど大それたことをするのがまた恐ろしく、かと言って手伝いを続けることはとても出来そうにない。
 私は代表に宛てて休職を願うメールを出しました。

 代表からは、その後メールと電話でフォローがあり、翌日の夜には自宅近くで面談を行いました。
 私のフラッシュバックが治まるのに、24時間以上かかりました。
 (今でも、その時の話題になると涙が出てきます)

 自分の中にこんな爆弾があったことを、この時まで全く自覚していませんでした。
 代表が気づかなくても仕方のないことです。
 よく聞くPTSD(心的外傷ストレス)かと調べたりしましたが、日常生活に支障が出るというものではないので、その名前には当たらないようです。
 厳密に言えば、軽度のそれに当たるのかもしれません。

 代表との面談で、私は休職せず無理のない内容の仕事をするということになりました。
 目下、この火を噴いたプロジェクト以外に自社では仕事が殆どない状態なので、とりあえず何か出来ることを探してのんびりやる感じです。
 仕事が取れたら、今までのようにやっていきます。
 ちゃんとスケジューリングをして、定時時間内で。
 
 お払い箱にはならなかったし、自分の古傷に気づけてよかった。
 その生々しさにはびっくりしたけれど、気づいたので何か上手い手当ての方法が探せるかもしれない。
 その傷を治す為にも、もっと自分を大事にしてあげないとな。
 そんなことを考えます。
 それにしても、自分のことなのに自覚が出来ないものなんですね。
 今回のことがなければ気づかないままだったでしょう。
 自分で自分に隠していたのかもしれません。

 何が自分にとって一番いいことなのか。
 それも考えれば難しいことです。
 でも、傷は治ってほしい。治せるなら治したい。
 健康になりたい。
 体も、気持ちも両方。
 ぼちぼち、大事にします。