私のアルバイト遍歴①高校時代 | イライラ母と2024私立中進学の娘

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私立中に通う中1娘のことでいつもイライラしてばかりの母ですが、娘のことや自分のことなどについて吐き出していきたいと思います。
仕事はフルタイム勤務。
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承認は限定的ですがご理解ください。

少なくとも中学の間は、公立含めもちろんアルバイトはできないでしょうけど、高校生になっても私立校ではアルバイトが禁止されていることが多いですよね。


私立校にいる限り、娘はたぶん大学生になるまでアルバイトはできないんだろうなという感じですが、私は公立高校だったので、中学を卒業してからすぐにバイトしてました。


高校生になってアルバイトができなかったら、親からもらってたお小遣いだけでは、洋服とか好きなものが買えなくて困っただろうなと思います。


娘が高校生になったら、アルバイトで稼げない分、多めにお小遣いを渡す必要があるということかしら?


私の高校生当時のバイト代は確か1-2万円/月くらいだったかと。そんなに余計に渡すってこと??


そんなことを思いつつ、私のアルバイト遍歴を記しておきたいと思います。(皆、興味ないでしょうけど)


まず、高1になって初めてやったバイトは、


丸レッド小◯寿し🍣


でした。


中学時代の友人が先にそこでやっていて、バイトしているところを見に行った後、紹介してもらって私も遅れて入った感じです。


たいがいのアルバイトは最小年齢が「16歳以上」としばりがあったので、まだ15歳だった私はすぐにアルバイトを見つけられずにいたのですが、そこは15歳でもバイト可能だったのです。


結局、私が入ってわりとすぐにその友達はやめてしまったのですが、若めの男性店長とパートの主婦たちに混ざって、たぶん数ヶ月やっていたと思います。


バイトをはじめてすぐに寿司の握り方を教えてもらって初めて寿司を握ったのですが、ちょっとびっくりしたのは、初めて作ったそのへなちょこな寿司も店頭に並べて売ってたことですびっくり


練習で作った分は食べさせてもらえるのかと思ったら違いましたあせる


それが売れたときは嬉しかったけど、それを食べたお客さんは大丈夫だったかしら?という感じでしたよね。


そんな風に、そのバイトで寿司の握り方や巻き寿司の作り方を教わったので、ウチで手巻き寿司をするときは、一応手で握ったのも作ったりします。(ほとんどやらないけど)


そこをどうして辞めたか覚えていませんが、そのうち16歳になって、わりのよい他のバイトが選べるようになったからだったかしら?


確か、当時、時給は580円だったと思います。

今と比べるとだいぶ安いですよね。


そういえば友だちが辞めた理由は、手が酢臭くなるから嫌だっていうことだったかも。


私も、確かにバイト後は臭くなるとは思ったなあ。


たぶん次にやったバイトは、


丸レッドカフェ☕️


だったかと。


新規オープンでドトールコーヒーみたいな個人経営の小さなお店。


当時は珍しかったベーグルパンのサンドイッチを扱ってました。


面接時にオーナーに気に入られて、仲の良い友人と一緒に採用されたものの、短い時間(部活後に1日2時間程度)しかシフトに入れない私たち高校生は、一緒の時間にはシフトを入れてもらえず汗


それもあってか友だちはすぐにやめてしまったし、私もここで全部の仕事(レジ、コーヒー作り、ベーグルサンド作り、ホットドック作りなど)を手際よく習得するところまでは続かなかったなあ。


部活後の18時くらいからの時間帯に2時間程度しか働けなかったので、あまりシフトに入れてもらえなかった(週1-2くらい)こともあり、別の友だちがやっていたバイトを並行して始めることに。


丸レッドマクドナルドハンバーガー


です。


繁華街にあったこのお店は、当時、高校生の募集をしていなかった(18歳以上での募集)ようですが、友人に紹介してもらったので、16歳でしたがあっさり採用してもらえました。


友人も同じ歳だったのに、そもそもなぜ友人が入れてたのかしら?


ともかく、周りのスタッフは大学生以上の歳の人たちばかりだったので、1番年下の私たちは可愛がってもらえたし、楽しいバイトでしたウインク


たぶんここのバイトが高校生時に一番長く続いたと思います。


時給は、確か600円か620円くらいからスタートだったような?


お客さんから、ときどき

「スマイルください!」(→0円)

って言われて、自然に笑っちゃったりしてね。


繁華街だったから、ときどきガイジンさんも来るので、簡単な英会話のマニュアルもありました。


そこで、英語で、ポテトは「フレンチフライ」ということや、持ち帰りは「テイクアウト」ではなく、「テイクアウェイ」だと教えてもらいましたね。


基本、女子はカウンターでの接客だったけど、普段は男子がやるポテトなどの裏方も希望したらときどきやらせてもらいました。


ポテトは揚げる時に入れるカゴが結構重くて、女子には大変だったけど。


高1で入って、受験のため高3に入るくらいのタイミングで休んでしまったけど、大学生になってからも、長期休みのときとかにときどきシフトに入ってました。


ですが、受験で1年くらい休んでいる間に、可愛がってくれていた先輩方が結構いなくなってメンバーが変わってしまって、居心地があまりよくもなくなって、そのうちフェードアウトしてしまいました。当時住んでいた場所からもちょっと遠かったし。


でもでも、ここで接客の基本は教えてもらったと思います。


あと、並行して知り合いから頼まれて単発バイトもやってました。


丸レッドスクールの受付


これは、仕事終わりの社会人などが3ヶ月だったか6ヶ月だったかのクールで行うスクールの初回週だけのバイトですが、当時はスクール代を現金で払う人が多く、代金徴収とテキスト渡しのお手伝いをしてました。


このバイトは、知り合い価格もあってか、割りがよかった(たぶん1-2時間程度で5000円とかだったかと)上に夕食(普段は弁当)付きで、最後の日は高層ビルの上層階のいい店とかで食べさせてもらったりしていました。


フレンチのコースは、ここで初めて食べさせてもらったかも。


時期がくると友人も誘って喜んでアルバイトさせてもらっていて、大学卒業するまで続けていました。


高3になって、大学受験が終わってからは、


丸レッド伊豆のリゾートホテルの住み込み♨️


を2週間くらいやりました。

これは曰く付きだったなあ。


実は、春休みまでの塾講師のバイトを決めていて、数日の見学研修の後、翌日から講師としてスタートっていうときだったんですけど、先にその住み込みバイトに行っていた友人から、どうしても一緒に来てほしいと頼まれて行ったバイトだったのでした。


日程的にまだ受験が終わってない人がほとんどで(たぶん2月末とかだった)、他に空いてる友人がいなかった彼女は、他のバイトがあるからと私が何度断っても諦めてくれなかったので、仕方なく塾講師を直前に断って行くことに。(塾には悪いことをしました…)


彼女は、喧嘩ばかりしている両親がいる自宅から逃げ出すために、その住み込みバイトに行ったのですが、帰って来いと言う親を説き伏せるまではできなかったようで、彼女の親を安心させるために私が呼ばれた感じでして。


そんな風にかなり無理して行ったバイトでしたが、現地でその子とけっこうな喧嘩をしてしまい、散々な感じでしたキョロキョロ


それまではその子とかなり仲良かったのですが、私はそのときの彼女の言動が許せなくて、バイトから帰って大学に入った後も、皆で会うことはあっても自分から彼女に連絡を取ることはなくなりましたね。。。


さて、肝心のバイトの内容は、職員のまかない作りの手伝いが主でした。


まかない作りといっても、調理する人は別にいて、私たちは皿に漬物をひたすら並べるなどの単調な仕事でした。


2週間しかいない高校生にやらせられる仕事は限られていただろうし、振り返ってみるとあまり役にたった感じではなかったですよね。


布団の上げ下ろしも一回くらいはやったけど、その後はやらされなかったし、教え込ませるまではなかったんでしょう。


寮に滞在していましたが、高校を卒業して就職したばかりの同じ歳の同部屋の女子と仲良くなっていたので、先の友だちと喧嘩した後はその子と一緒にいることが多かったかも。


短期間だったけど休みの日もあったので、そういう日はみかん狩りとかに行ったりしたなあ。


時給はいくらだったかしら?

たぶん日給で、8−9時間労働で5千円とかそんな感じだったと思います。


交通費は、特急料金はもらえなかったけど、電車賃は出してもらえたので、4時間くらいかけて普通電車で伊豆まで行った覚えがあります。


30年以上前の話ですが、いろんなことを思い出しましたね。。。


高校時代のバイトは確かこれくらいでしたが、大学時代のバイトのことも、またの機会に記したいと思います。