時計を作るということは | 手作り時計のJHA 時計作家 ks の時計ブログ

時計を作るということは

 時を計る計器。



 篠原康治(時の作家)


 このブログは時計や時間に興味があり、いずれ近いうちに、できれば自分も時計を(ムーブメントを)作ってみたいという方々のためのブログです。


 私が最も興味があるのは時計そのものより、なぜ人間は時間を知る必要があり、その計器を作るために、なぜこれほどまでに情熱を傾けてきたのか、です。




こんにちは、ど~も。篠原康治と申します。1986年頃から、時計を作っています。正確には、もう少し前からだったと思いますけど、JHAの前身である時計工房ラコータ(有)を設立したのが1986年でした。


 はじめは金型のケースにシルクスクリーンなどで印刷した文字盤やムーブメントを組み込む量産型の時計の製作から始めました。その手法のほとんどは当時、香港と日本を行ったりきたりしながら習得し、香港で沢山の時計産業と出会い、多くの友人に助けられながら、日本で時計工房を開くことが出来たのです。セイコーさんにも大変お世話になりました。 


 1989年に初めてのハンドメイド時計、ペーパークラフト・ウォッチをリリースし、それが大好評になり、以来、手作り時計を中心に腕時計を作り続けてきたわけです。


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当時、初めて作った手作り腕時計。ペーパー・クラフト・

ウォッチです。 リリースするまでは長い長い試行錯誤

の時間が必要でした。 



この間に、時計教室も開催し、私以外の若い時計作家たちも世に送り出しました。私が初めて手作り腕時計をリリースした頃は、特に腕時計好きの方々は本当に仰天し、私の手作り時計は徐々に浸透して行きました。その後、真鍮やシルバーなどなど様々な素材の時計を作り続けてきました。



 今では数多くの時計作家たちが活動し多くの人々にご愛用いただいき、世の中に定着しているようです。沢山の雑誌やテレビでも発表され、社名もJHAに変更しました。



 本当に様々なことがありましたが、この間のことはいずれエッセイか漫画にして発表する計画です。


 さて、私の考えた手作り腕時計は主に彫金の技法を使い、ケース本体や文字盤を製作し、既成のムーブメントを組み込むというのが主な手法です。



 これによって比較的低単価で、作り手の個性が発揮し易い、温もりに溢れた、云わばハンド・クラフト時計が生み出されるわけです。



 そんな風に腕時計を作り続けながら、私は一方でムーブメントの不思議、と云いますか、その原理、そしてその歴史、さらには時間そのものについて非常に強い興味と好奇心を持ち、探求してきました。


 ここでは「時間とは何か」について語るつもりはあありませんが(ホントは語りたいのですが、あまりにも哲学的になってなしまうので、いずれ・・・)、その探求の足跡の一部をを、少々皆さんに知っていただければと筆を・・・いえ、キーボードを叩いています。


 その間では、ほとんどのものは実際にまだ商品化はしていません。一部は実際に商品化しましたが、その一例が日時計です。私はこの日時計も大好きで、一時はヨーロッパから数多くの文献を取り寄せながら夢中で勉強しました。


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ペンダント式の日時計です。昔々、貴婦人たちが待ち歩いたんですねェ・・・・・


 日時計を勉強することは、天文学を学ぶことであり、日時計はまさに自然科学そのものといっても言い過ぎではないと思います。


 これが紀元前の、つまり古代から使用され、人類に計り知れない恵みをもたらしたことを想うと、思わず胸が熱くなってしまいます。(ついつい、熱く語ってしまう・・・) 


 さて一方で、人間にとっての時間に革命的な影響を与えたのが、機械式時計の出現です。私は機械式時計の革新に貢献した数多くの偉大な職人や時計師の名前は知っていますが、この世で誰が初めて機械式時計そのものというか、その概念を考え出したのか、今だに分かりません。


 ただ時計発展の歴史の背後には、「名も無き天才」の存在が時々見え隠れするのです。その謎めいた「名も無き天才」たちは、私にとって憧れです。


 その憧れの気持ちを抱きつつ、私は十数年前から、手作り腕時計製作のかたわら、最もシンプルな構造の機械式時計の製作を続けてきました。それは結局、ムーブメントそのものの製作に他なりません。



 古代から中世に生きた人々は、どのような手法で時間を計ろうとしたのか・・・・・?



 次回は、その具体例も公開しながら、製作の過程の話しを始めたいと思っています。



 今日は、ここまで・・・