1971年12月30日 尾崎充男立ったまま緊縛・中村愛子が榛名ベースへ |   連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ殺人事件、新聞記事)

(中村愛子は総括されなかった)

連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ殺人事件、新聞記事)-連合赤軍・中村愛子顔写真

 尾崎は、夜通し立って総括することを命じられた。吉野は一晩中、尾崎の見張りについていた。


■「もう縛る場所がない」(永田洋子)

 翌朝の彼(吉野)の報告によると、尾崎君は吉野君のところに歩いて来て、その場に座ったり、寝転んだりしたことが10回近くあり、その都度、吉野君が、「ちゃんと立っていろ!」と言って叱責したという。報告を受けた森君は、「よし、縛っておけ」と言って緊縛を指示した。この時、彼は、「加藤や小嶋が縛られているのに自分はしばられていないと思い、厳しく総括要求されていることが分かっていないのだ」とも言っている。
(坂口弘・「あさま山荘1972(下)」)


 私は非常に驚きあわてた。しかし、私も、尾崎氏が少しも総括しようとしていないと思ったので、はっきりと反対することができず、「だって、もう縛る場所がない」と曖昧な表現で反対した。(中略)
森氏は断固とした調子で「縛れるのだ!」といった。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 寝る前に、森が、「まず尾崎を殴ろう」といって、指導部メンバーだけで、尾崎を殴った。このときの殴打はそれほど長い時間ではなかった。


 森君の指示に基づき、森、私、山田、吉野の4人は、尾崎を戸口のところに連れて行き、立ったままの姿勢で鴨居にロープを渡して縛り付けた。それは座ったままの加藤君よりも一層凄惨であった。
(坂口弘・「あさま山荘1972(下)」)


 永田さんがトイレから戻り、戸口を開けて小屋に入った途端、尾崎君が2度よろけて彼女にぶつかった。永田さんはびっくりして、「何すんのよ!しっかりしなさいっ!」と叱りつけた。彼は、この後も何度か永田さんや他のメンバーの名前を呼び、その都度、われわれから叱責されているが、その声には助けを求める響きがあった。
(坂口弘・「あさま山荘1972(下)」)


■「食事のことなど考えず総括に集中しなければならない」(森恒夫)
 永田は、縛られている加藤の食事を気にしているメンバーがいたので、それを森に伝えた。


 森氏は、「ナンセンスだなあ!」といったあと、「食事のことなど考えず総括に集中しなければならない。だから、食事を与えないことを気にするのもナンセンスなのだ」といった。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 その頃、縛られている加藤氏の様子を見てきた森氏が、オロオロしながら、「加藤の手に水泡ができた。大丈夫だろうか」といった。私は何で今頃こんなことをいうのかと思った。森氏の態度が加藤氏を殴ったときとあまりに対照的だったからである。

 森氏は、山田氏と何か話していたが、再び断固とした態度に戻ると、「たとえ腕の1本や2本切り落とさなければならなくなっても、革命戦士になったほうがいいのだ」といった。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 森は、現実に直面して、たびたび動揺するのだが、その都度、それを乗り越える理論を唱えて、断固とした態度をとるのである。


■「私には総括することがあります」(中村愛子)
 全体会議の途中で、岩田と前澤が中村愛子を連れて戻ってきた。中村は、12・18集会 のあと、意見書に署名し、「意見書の問題 が解決するまで山へ戻らない」といっていた。


 全体会議が終わったとき、中村が、「ちょっと待ってください。私には総括することがあります」といった。


 私は、中村さんの前に座り、「それでは聞こう」といった。中村さんは、「私は取調べ中に出されたココアを飲んだり中華ものの食事をしたりしたけど、完黙したとしか報告しませんでした。これは、共産主義化が必要な今では間違っていました。自己批判します」といった。(中略)


 私は、「それでは、今晩私と一緒に見張りをし、その自己批判をしっかりやればいい。そうしよう」といった。中村さんは、「はい、そうします」と答えた。これで中村さんの自己批判は終わった。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


■「厳しくあたらなければならない。それが同志的援助なのよ」(永田洋子)

 私は、中村さんに、共産主義化 の位置づけ、赤軍派と革命左派の歴史の若干の総括、新党の確認加藤氏らへの暴力的総括要求 などについて話した。


 しばらくすると、尾崎氏が何かいった。私と中村さんが、「黙って総括しろ!」というと、尾崎氏は、「はい、総括します」といった、私は、中村さんに、「総括要求されている者には厳しくあたらなければならない。それが同志的援助なのよ」といった。中村さんはうなずいていた。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 そのあと、中村さんはメモしながら考えていた。(中略)そのとき、尾崎氏が再び何がいった。私は尾崎氏のところに行き、「総括に集中しろ」といって、お腹を2~3回殴った。尾崎氏は、「は、はい・・・」といった。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 永田は、森が主導しなくても尾崎を殴った。そして、尾崎が言わんとすることに耳を傾けることは決してなかった。


■中村愛子はなぜ総括要求されなかったのか?

 中村愛子は、殴打され縛られている加藤と同じ経緯をたどって、榛名ベースへやってきた。すなわち、是政アジトで逮捕 され、取調べで「完黙」して釈放された後、12・18集会に参加し、意見書に同意して署名した。そして、「意見書の問題が解決するまで山へ戻らない」といっていたのである。


 岩田と前澤が、どのように説得して中村を連れてきたのかよくわからないが、ともあれ中村は、加藤のおかれた状況の説明を受けた上で、それでも榛名ベースへやってきた。だから中村は、先手をうって自己批判したのである。


 中村は加藤と同じ運命をたどってもおかしくなかった。だが、、、


 永田の中村に対する態度は大甘で、加藤に対するそれと比べて著しく不公平だった。中村は永田のお気に入りといわれているが、好き嫌いの感情が関係しているのであろうか。


 森も、加藤に対して執拗に追及したこと(取調べに対する対応)を、中村に対しては追求しようともしなかった。森の総括要求には永田の感情が反映しているのであろうか。


 もしそうだとすれば、「共産主義化」の看板を裏返すと、「私刑」と書いてあることになる。