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公式HPとFacebookページ開設

ずっとこちらに書いてませんでしたが、正式に公式HPFacebookページを解説いたしました。

今後は、そちらでご報告させていただきます。

県央八市議会議長連絡協議会 議員合同研修会報告

地方は変われるか
佐々木信夫氏(中央大学教授)

現状確認。議員は全国約40000人弱で、うち国会議員722名、都道府県議会議員2800名程度、市議会議員22000名程度、町村議会議員13000名程度。財政的影響は国、都道府県の広域自治体、市町村の基礎自治体がそれぞれ1/3ずつ。つまりそれぞれの行政サービス量も同程度と考えられる。世界的にみても日本の地方自治体の活動量は多い。しかし、意思決定力が弱い。望ましいのは、基礎自治体が50%程度で広域自治体が30%、国が20%程度ではないかと考える。そういった過程で、道州制基本法の議論も出てきており、行政サービスの枠組みを変えようという流れを作ろうとする動きがある。
現在、地方自治体の意思決定力が弱い理由として財源の移譲がなされていないことがある。そのわかりやすいものといて交付税制度がある。現在、交付団体は半数以上。本来仕組みとしては半数以下であることが望ましいがそうなっていない。仕組みが悪い。都道府県で言えば東京都以外は全て交付団体である。その東京都ですらよくわからないやり方によって交付団体化していることに注意。
そもそも改革を進める観点で考えるべきは見通しとして財政が大きくなることがないということ。GDPが増加しないと、増税してもたいして税収は増えない。しかし、ここ20年ずっと0成長。消費するという観点では、税と個人消費は対。作り出されるお金が同じなら、税でとって公共で使うのと税で取らずに個人で使うのとどちらが効果的かという話。そう考えると、自分のお金を自分のために使うのは効果が最大化するが、他人のお金を他人の為に使うのは所詮他人事。効果疑問。復興予算はまさにその好例。官と民の論理が違う。公務員給与の問題も経済や税収に関係なく一定だということがおかしい。佐賀県武雄市では税収連動で公務員給与を変動させる制度の導入を進めている。進め方としては面白い。
世界に目を向けると、欧州や米国(一部)では地方は議会しかない。二元代表制は決して普通ではない。2000年までの戦後の実態として議会は首長の諮問機関であり、首長は国の各省大臣が委任する機関という中央集権体制だった。知事や市長はそれぞれが大臣からの通達で動き、その仕事を補助する各地方自治体の職員という構図だったため、国、県、市という段階ができてきた。国は衆議院優越の原則から衆議院で過半数をとり政権を握った内閣により動かされてきた。そのため議会は予算提出権も修正権も認められておらずチェック機関という位置づけ以上のことをすることができなかった。いまもその名残がなかなか修正されていない。議会の招集権はいまだに首長が握っているが、本来は議長が握るべき権限である。また、定数や報酬にも根拠がない。そういった不完全な現状でもあるが、機関委任事務が色々と問題は残っているものの法定受託事務に変わったことで執行の主体が国から各自治体に変わってきている。そういった意味では、2000年以降議会の役割は大きく変わることができるようになっている。
役割として、決定者、監視者、立案者、集約者の4つが挙げられる。監視者は今まで通りのチェック機関としての役割であるが、決定者としては、追認ではなく情報を得てしっかりと決定する役割。立案者としては、ルールを条例という形でしっかりと立案できる役割。集約者としては、民意の吸収を議会としてしっかりと行う役割を担っていくべきである。そういった意味で、責任は非常に大きくなった。行動するとしたことをやったかどうかの説明責任であるレスポンスビリティではなく、結果について不満や不信を抱かせない、解消するための説明責任であるアカウンタビリティが求められる。
「政治家は、夢を語る、夢を演じる俳優である」

マニフェストって何?

選挙も終わって5日目となりました。世間は落ち着きを取り戻しています。落選した議員は議員会館からの引越しや挨拶回りなど忙しくしているようです。

さて、そんな中ですが、今回の選挙でも取り沙汰されたマニフェストについて書きたいと思います。

マニフェスト、公約、アジェンダ・・・

さまざまな呼び方をされますが一般的には有権者との約束と解されています。知事や市長といった首長と呼ばれる方々や、果ては県議・市議といった方々も作成するケースがあったりします。

そんなマニフェストですが、実際のところどういった意味があるのか?ちょっと整理したいと思います。

まずは、この問題。首長と議員との間で明確に区別されるべきものです。

地方自治体においては2元代表制をとっているため、行政の長として執行権限をもつ首長が掲げるマニフェストは個別の政策が実行性の高いものとなります。

しかし、議会の意思として条例制定権を持つ議員は、ひとりのマニフェストにはさしたる意味がないと言って良いのではないでしょうか。多数派を占めなければ、いくら声高に言っても実現できないからです。だからこそ、地方自治体議会においては会派が重要になってきます。会派を形成して、多数派を占めて合意形成を行なっていく。ただし、現状は、そこまでの体制はとられていません。

それを踏まえて、国政ではどうなのか?

国会議員は、議会の議員です。いくら与党になれば総理大臣を任命して行政を動かす権限を持つとはいっても、誰を総理にするのか有権者が選べるわけではありません。とすれば、国会議員を選ぶ選挙で個人のマニフェストには意味がない。個別に約束したとして、目指すことはできても実現することは難しいからです。だから、政党でマニフェストの作成が行われます。政党政治と言われる所以でしょう。

さて、そうなるとこのマニフェストは政党と有権者との約束であると同時に、各議員が政党から立候補をするにあたって守るべき最低限の合意事項となります。合意できなければ、その政党から立候補する意味がないはずです。当選したとすれば、それに同意しなければいけないわけですから当然です。

全ての国会議員は、傍目には期数の違いや知名度の違いはありますが法的には全て同列であり平等であるはずです。政党の執行部といえども、それぞれの議員の背後にある有権者を無視していいわけがないのです。

つまり、マニフェストは作成段階で関わるか、出来上がったものに合意した範囲内で国会議員も動かなければならないのです。そして合意した範囲外は、自らの政治信念に法って動くことになります。それができないのであれば、ただ信念がないだけです。政党のロボットと言えるでしょう。

だからマニフェストは、有権者との約束であると同時に議員間での約束事。そう考えると、実はマニフェストに書ける範囲というのは、非常に限定的なものになるはずです。何百人といる候補者の合意が得られるような個別の内容に限定せざるを得ないのですから当然です。基本的な理念などは大筋は合意できても、全く同じにはできない。それは、民主党も自民党も同じです。人が違うわけですから、多様性を考えれば出来なくて当然だし、出来ないことが望ましいと思います。公明党は出来るかもしれませんけどね。

しかも、現状の国政のあり方では中央集権が強すぎて国会議員が決定できる権限も強すぎてしまう。その結果、非常に広範囲の内容をマニフェスト詰め込まなければいけない訳です。だからマニフェストが総花的な内容になってしまうんでしょう。

で、それを見て選ぶ有権者はどうなのか?

今度は有権者側ですが、マニフェストの全てについて合意している人なんているでしょうか?

中にはいるかもしれませんが、大多数の人が、マニフェストを読んだとしても、そして概ね同意したとしても全てには同意できないという状況が生まれるはずです。なにせ総花的に様々な分野で政策を提示するわけですが、何千万人という有権者がいる中で、せいぜい政党分しかないマニフェストです。全ての人の選択肢を満足させるマニフェストなんて存在するわけがないんです。

結果、議員サイドはマニフェストを提示して選挙を行った結果なのだから、マニフェストを全て守ることが自分たちの使命だと思い込みますが、実はそうではないという現実に直面するわけです。

今回の選挙で、守れないマニフェストに意味はないとの論陣がメディア等で張られましたが、結局、マニフェストがそういった不完全なものであるという前提に立って、尚克それでも、選挙の選択肢を決める一助としてのマニフェストの有用性を伝えなければいけなかったんだろうと思います。

つまり、「議員と有権者」この二者をつなぐ政党(マニフェスト)というものが持つ意味を改めて考え、定義し直さなければいけない時期にあるのではないでしょうか?

因みに今回、政党と議員とをつなぐものとしてお金の問題もかなり大きいと実感しました。マニフェストだけじゃないんです。マニフェストに合意できなくても、政党から出たいと考える候補者も実際多いと思います。そういった問題点を孕む現制度を変えない限り、有権者の政治不信は収まらないのかもしれません。
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