かしこは一時、福岡県の南小倉に住んでいた。
当時私を預かってくれる幼稚園だか保育園だかは一ヵ所しかなく
結果、カトリック幼稚園に通っていた。
ここでの1年間は本当に楽しく、何某かの創作をさせてもらえる毎日は輝いていて
今、「ものづくりが好き」な私があるのも
きっとここのお陰。
初恋の人、トウ シュンイチ 君ともここで出会った。
※ FB でヒットなし? 誰か探して(笑)
クリスマスには盛大な生誕祭を行ったし、賛美歌も歌った。
お弁当の前には必ず、
「天にまします我らの父よ、願わくば・・・」※ ここまでしか覚えていない
という食前の祈りをささげたものだ。
しかし当時は神の存在というものも分からず、よって信仰心も育まれることなく
10年前まで、カトリックとプロテスタントの違いも知らなかった。
神社大好きっ と言いつつも、宗教や宗派を超え
今でも私の(顕在神に対しての) 無信仰は一貫している。
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だが、
卒園式に頂いた目鯛 メダイ は今でも大切にとっていて
40年経ち、ふと目に留まった、マリア様の周りの文言。
※ 実際のメダイを拡大撮影 ↓
「何て書いてるんだろう?・・・」という訳で本題。調べてみた。
だそうである。 更に今こうして見返すと、日本語が分からない。
「依り頼む (よりたのむ)」とは?
再び検索・・・
聖書に於いて、文言について言及があった。
詩編62編 8節~9節
「神を避難所とすることである」
神を避難所とする とは、
苦難に直面した時に、神に頼るということです。
そして、また神に依り頼むとは、
神の御前に、祈りによって自分の心を注ぎ出すことです。
単に信じて頼る、という訳ではなさそうだな。
「自分の心を注ぎ出す」って、益々意味が分からん日本語だな
要は、このメダイの文言に限っては、マリア様を讃えつつ
貴女に依り頼っている私達の為に
マリア様よ、(神に) 祈って下さい
と? 自分の祈りを、神様に取り次いでもらう??
・・・ いずれにせよ
祈りを捧げる方
新興宗教やカルトではない宗教や、神仏 (日本だな~!) に頭を垂れる方
その方々の謙虚さに、心から敬意を表します。
私は信仰心を否定してはおりません。 今日はここまで!
. エイメーン