書評ブログ -6ページ目

福田和也研究会

 大学の福田和也研究会で小説を書いてくる課題を言い渡されて、書きました。この写真は他の生徒さんたちが書いた原稿。全員分の小説を読んできて、品評会を今日する予定だったのに、休講でした。月二回ぐらい休講なんだよな、福田研は。
 この課題で書いた小説をここにアップしようかしら。

三島由紀夫「愛の渇き」

 読了しました。米殿村という片田舎での杉本悦子と舅、そしてその家族により構成された話。そこで園丁三郎の肉体美に悦子が引かれながら、悩まされる日々が綴られています。なぜ悩まされるかといえば、女中である美代と三郎が恋仲になってしまうからですね。

 で、正直な感想を書くとこの作品は、なかなか読むのが大変でした。悦子の気持ちをよく理解できないのが、読んでいる上でつらかった。自分が苦しむのを許せないというたちの女として悦子は描かれているんですよね。そのせいで最後の悲劇が生まれるというか。それなら舅のもとになんか来るなよと、元も子もないようなことをいいたくなるような設定であるわけです。複雑な女心を持った悦子と、それを全く理解できない三郎という肉体馬鹿みたいな男による、別荘兼農園という閉鎖空間での不思議な騒動でした。

 だけどこの作品は、三島文学でも最高傑作との呼び声も高い作品であったりするので、ぼくのレビューはあまり参考にしないで、未読の人は自分で読んでみたほうがいいと思います。

 あとこの作品読んでから、もう電車とか外で文学を読むのはやめようと思った。気が散ったせいで、なんか悦子の肝心な心情の変化とか読み取れなかった気がする。もう、外出先での読書は雑誌とか軽いものにしとこう。

フランス

今年の夏にフランス旅行へ行ってきまして、そのときの写真となっております。


これは結構美しく撮れた写真で自信作。

「限りなく透明に近いブルー」

 読了しました。村上龍のデビュー作で、確かプロトタイプはすでに出来ていたのだけれど気に入らなくて、3年ぐらい掛けて推敲して世の中に発表したという作品です。

 しかし、もう読んでから10日ほど経過してしまって、どんな内容であったかのかが思い出せない。というより内容は暴力とドラッグの日常を淡々と描いた内容でした。が、最後の場面がどうなったかどうしても思い出せないですよね。もう、これじゃレビューにならないので違うところに書いた内容を転載しておきます。

ここから自分のレビュー引用。情けない。

 初めての村上龍の作品ということで、デビュー作からスタート。村上春樹の「風の歌を聴け」を読んだときみたいに、ちょっと読みにくかったというのが正直な印象。村上春樹が「暴力も死もない小説を書きたい」みたいな意気込みを「風の~」の登場人物に語らせていた記憶があるけれど、それとは真逆の道を進んでいるのがドラゴンの処女作でした。それが当時は新鮮だったんだな~という感じ。さらに24歳の大型新人ということでも注目されたらしいですが、綿矢りさ、金原ひとみの最年少コンビの引き起こしたアイドル・ブーム的な盛り上がりには及ばなかったのではないかと思ってみたりしました。まぁ、盗撮アイコラとかで盛り上がるよりはずっと正統的なものだったのは確かだったんでしょうけど。

 春樹も初期と中期ではだいぶ違って、「ねじまき鳥クロニクル」とかはかなり面白くてその後、好きになったので、ドラゴンの作品も読み進めていきたいと思います。買い溜めした三島はどうなったんだ。


 レビューになっとらんかも。

阿部和重

阿部和重さんの作品は「アメリカの夜」「ABC戦争plus 2 srtories」「インディヴィジュアル・プロジェクション」の3作品を読みましたけど、なかなか面白かったのでついでということで最近「映画覚書」を買いました。

 この本は色々な雑誌に書いた映画批評の原稿を寄せ集めて再編したものらしいですが、いきなり「年々映画を見る機会が減ってきていて、映画批評という企画に困っている」といった感じの始まり方をします。これで売れるんだからいいよな~と思わず唸りたくなるけど、彼は映画学校を出ているから、それなりに映画への情熱を持っているわけですね。

 それで、最近映画を撮りたいと各所で発言しているのを見ますが、いつ実行に移されるかは全くわからなかったりします。見てみたい気持ちもあるけれど、案外ヒドイ作品を撮りそうな気がしないでもないです。だって、ハロプロの小さい子たちを使いたいとか言ってますからね。

「日常生活の冒険」

相変わらず大江健三郎の「日常生活の冒険」を読んでますが、気がついたことをメモっておきます。

・一人称「ぼく」の多用が目立つ、意識的にやっているんだろう
・初期に多く出てくる「朝鮮人」がボクサーとして登場する
・「個人的な体験」に出てきた「卑弥子」がまた登場する
・「卑弥子」のモデルは大江の妻である伊丹十三の妹のような気がする

こんな感じです。あと半分ぐらいあるけど、今週中に読み終わるかしら。あと課題の小説書かないといけないけど、なにも構想が浮かばない、というか考えもいません。そろそろやらないとヤバイ。

火を吹くタバコ

火に包まれるタバコが落ちていた

蝋の黒煙が夜空に溶け込む

セミの幼虫が地を這っていた

読書日記

今は大江健三郎の「日常生活の冒険」を読んでいます。これは初期作品で後期の作品群に比べると、温度というかテンションが高めです。一人称で書いてあるし、主人公は小説家で大江健三郎自身のことがかなり投影されている人物像なんですよね。これからどんな展開が待っているか、楽しみです。

あと、時間があれば自作の小説でもアップしていこうかと計画中。だけど大学の講義でも小説を書く授業があるので、そんなに書くことができるかは不明です。とりあえず長期的なプランということで。

我が家のイヌ

9月の17日から書いてあった記事をすべて削除してしまって、なんか寂しい感じになってしまいましたので、うちのワンちゃんの写真でも。もっと写真を撮る技術を磨きたいけれど、外に出て写真を撮るのがちょっと恥ずかしかったりする小心者です。変なもの撮ってるのじゃないかと勘違いされるのが嫌なんです、って被害妄想入ってますね。

「午後の曳航」

「午後の曳航」を読了しました。この本はウィリアム・ゴールディングの「蝿の王」やコクトーの「恐るべき子供たち」といった本のように、少年たちの危険な思想や悪事がポイントとなる作品です。続きはあとで。
少年たちの危険な思想に基づいた犯行は、実は一番最後の場面の話であって、この本は航海士(=少年たちが羨望する「死と栄光」に向かって出発するものとしての象徴)が陸の上のバツイチの女に魅了されて結婚してしまうことで、少年たちの夢を壊して最悪の未来を見せ付けられたことに怒るまでの工程を描いてます。少年というのは当然バツイチの息子。航海士とバツイチの結婚話と少年グループの思想が二重構造になって話は展開するのだけれど、「死と栄光」に向かって出発する状態を放棄して善良な父親になろうとした航海士に対して、怒り狂った少年の属するグループのインテリ少年たちが最後の場面で航海士にコンタクトして、彼を二度と覚めない曳航に連れて導こうと睡眠薬を飲ませることで、この物語は幕を閉じます。

この息子である登が属している少年グループには「首領」というのがいるんだけれども彼の思想である「世界は単純な記号と決定で出来上がっている」という言葉は三島自身の考え方の一部だったのかどうなのかを知りたいです。まだ三島作品は「仮面の告白」と「永すぎた春」しか読んでいないのでわかりかねますけど、今後他の作品を読み進めていくうちにわかるかも。