美しく伸びやかなその白い羽で
大空を自由に羽ばたき、
水上を華麗に舞う白鳥。
日本に様々な鳥がいる中で、
その姿をみるだけで、
人はなんとなく安心感を覚え
そこにいるだけで、
圧倒的な存在感を感じる
そんな鳥ですよね。
ちなみに、
「優雅に泳ぐ白鳥も水面下では激しく足を動かしている」
とよく言われていますよね。
このセリフ、
何気なく試合をしているだけに見える
プロスポーツ選手たちや、
毎日楽しく遊んで暮らしているように
見える芸能人たちも、
実は人から見られていない場所で
懸命な努力をしている・・・
そういったことの例えとして、
大人が子供たちに努力をうながす時の
定番といってもよいものですが、
実はこの白鳥のエピソードは、
漫画『巨人の星』の作中で
登場人物のセリフとして語られた
作り話
であり、実際の白鳥は、
それほど水中で激しく
足を動かしているわけではないそうで、
白鳥が水面に浮かぶ原理は、
白鳥を含む水鳥には
尻に油脂腺というものがあり、
そこから分泌される油を
羽つくろいの間に羽に塗りつけて、
水をはじかせることで
羽毛の間に空気を溜め、
この空気が浮き袋の役目を
果たしている
・・・というものだそうです。
とはいえ、
白鳥は空を飛ぶ鳥の中では
最大級の重量であり、
(オオハクチョウでおよそ10kg)
それだけの体重を抱えながら
シベリアと日本の間の
およそ3000kmの距離を毎年
往来しています。
10kgのお米の袋を抱えた時の
あのずっしりとした感覚、
思い出すことができますか?
あの重さ、もしかしたら
「勘弁して」と思っていませんか?
あの重量を抱えて、
私たちから見たら
きゃしゃで小さなあの体で
3000kmを飛び続けるのです。
そんな白鳥は、やはり
見た目の美しさだけではなく、
ただ毎日を優雅に遊んで
過ごしているだけでもない、
努力をしながら一生懸命生きている鳥、
そう言って間違いないでしょう。
この白鳥は、
その美しい姿と立ち居振る舞いから
古くから日本人に親しまれている鳥であり、
日本の神話の中で有名なあの人物は
死後に白鳥になった
・・・そう語られています。
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「ずっと恵まれてみえる人は
みな必ず努力しているんだ。
例外なくね」
(志村けん)
2020年3月29日
お笑いタレントの志村けんさんが
亡くなりました。
生前、彼は
はるか3000kmの彼方から
飛来した後、
何事もなかったように
水面を優雅に華麗に舞う
白鳥のように、
こんなことを言っていたそうです。
「仕事に限らず
何でもそうだけど、
『俺、頑張りました』
ってところが
見えてしまうようではまずい。
頑張ったとか、
努力したということを、
ことさら強調する奴がいるけど、
それって手品で、すぐさま
タネあかしをしてしまうのと
同じじゃないのか。
いとも簡単にやっているようで、
実はその裏で
血のにじむような努力と
完璧な準備があるからこそ、
金を取れるモノに
なるわけなんだから」
1968年2月、18歳の時
ザ・ドリフターズのリーダー
いかりや長介さんの自宅に押しかけ
弟子入り志願。
付き人などの下積み生活をした後、
1974年4月1日にザ・ドリフターズの
正式メンバーに抜擢された彼は、
テレビの中で見せる
面白おかしい態度とは全く異なり、
コントを作る時には常に、
「お笑いみたいなものでも、
常識を知らないと
本当のツボというものが
わからない。
常識は基本線で、
お笑いはその常識という
基本線をひっくり返すところで、
コントとして成り立っている。
だから、笑えるワケよ。
お笑いに限らず、
常識をバカにする奴に、
常識を超えたことは
絶対に出来ない」
「誰もが思いつきそうなことを、
人より鼻の差ぐらい
先を見越して、
現実化すればいいんだ。
『鼻の差ぐらい』がポイント。
それ以上先でも、
それ以下でもダメ」
そう語り、
ほんの一挙手一投足にまで
真剣にこだわったと言われています。
だけど、
「それを人に語るのも煩わしい。
だってそれがプロの仕事だから。
そしてそれが自分の人生だから」
そんな彼のプロとしての言葉、
聞こえてきそうですね。
「なんの仕事にしても
そうだと思うけど、
本当に嫌だったら辞めればいい。
でも、辞めないってことは、
自分が好きで選んだ道だ
ということだし、
やり遂げる責任も
負うことになる。
だから、少々嫌なことや
つらいことがあっても、
それは自分が我慢すれば
いいことじゃないかな」
18歳で付き人になり、
以後、亡くなるまでの
およそ52年間もの長い年月、
浮き沈みの激しい芸能界を
彼は歩き続けました。
テレビの中に
彼の姿をみるだけで、
人はなんとなく安心感を覚え、
そこにいるだけで、
人に圧倒的な存在感を感じさせる
そんな彼にも、
人には見せないところで
たくさんの我慢があったのでしょう。
それでも
自分はこの場所で生きていく。
それがその道を選んだ
自分に対する責任であり、
自分を応援してくれている
ファンたちに対する責任でもある。
きっと彼はそう考えていたのかも
しれないですね。
「自分自身の絶対条件が
クリア出来れば、
その他の項目には目をつぶる。
人間の欲望や要求にはきりがない。
『三割満足で十分』でいけば、
世の中腹の立つことも
少なくなるだろうし、
けっこう丸く収まると思う」
自分が心の中に描いた
「これ以上、絶対に譲れないもの」
それさえ満足できれば、
あとのことは3割も満足できたら十分。
うまくいかなかったこと、
思い通りにいかなかったことも、
「ムダなことでもなんでも
知ってた方がいい。
知らないと損をすることは
あっても、
知ってて損することは
ないから」
そう考えて、
「貴重な経験」という、
自分の財産として受け入れる。
それは、
生き馬の目を抜くような
浮き沈みの激しい芸能界を彼が
優雅に楽しく生き抜く秘訣でもあり、
なかなか自分の思い通りには
なっていかないこの世の中を
生きていかなければならない私たちに
志村さんが伝えてくれた英知でもある。
そう言えるかもしれませんね。
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「いろんな人たちを
遊びの場で見てきた。
思うのは、
人生は不公平だってこと。
若いときから
ずっと恵まれている人もいる。
急上昇して急降下する人もいる。
人生の後半に
ピークを迎える人もいる。
ずっと恵まれない人もいる。
人生というゲームの勝ち負けに
一定の法則がないことは、
これを見ても明らかだろう」
人は公平ではない・・・。
それもまた、
人が誰も受け入れなければならない
真実なのかもしれません。
自分は恵まれているのか、
どこが自分の人生のピークだったのか?
それとも
自分の人生のピークはこれから来るのか?
そんなことは、
時が過ぎて、
自分の人生の終わりになって
はじめてわかることなのでしょうし、
全ては
自分が判断して決めること。
そういうものでも
あるのかもしれませんね。
だからこそ、
「最初から全力でいかない奴は、
その時点で先がない」
彼はそう言うのだと思います。
「自分の一生なんだから、
自分が好きなことを
思い切りやればいいと思う。
売れるか売れないか、
先のことは
誰にもわからないけど、
自分が納得いくまでやれば、
それでいいんじゃないか」
この言葉は、
まさに彼の歩んだ人生を
表わしているのでしょう。
まだまだやりたいことも、
やるべきこともある。
そう思っていたのかもしれません。
だけど、
「3割うまくいけば十分なんだし、
好きなこと、思いきりやったよ。
納得いくまでやったと思うよ」
そう考えて、
ゆくっりと休んで欲しいと思います。
およそ50年もの日々の間、
彼が私たちに与えてくれた
「笑い」という心の豊かさと、
彼が私たちに残していってくれた全てのもの、
いつまでも忘れません。
そして私たちが忘れない限り
彼の思いはいつまでも生き続ける。
そう信じていたいですね。
志村さん
お疲れ様でした。
そして
ありがとうございました。
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日本では古代の頃から
親しまれている鳥、白鳥。
「日本書紀」の中では、
能煩野(のぼの)という土地で
亡くなった
日本武尊(やまとたけるのみこと)
は死後に白鳥になって、
大和を目指して飛び去った。
・・・そう記載されているそうです。
【最後に】
幅広いジャンルの音楽好きだったと言われる
志村さんにこの曲を送りたいと思います。
志村さんのご冥福を心よりお祈り致します。