「勇気」

 

・・・いい言葉ですよね。

 

 

思い浮かべただけで、

 

たくまくしく誇らしげな気持ちになり、

腹の底から力とやる気が

わき上がってくるし、

 

 

「ゆうき」

という言葉を聞けば、

 

「やろう!!」

という声とともに

心の中を軽快な鈴の音がりんと

響きわたるかもしれません。

 

 

そして、

 

「勇気」

という文字を見ていると、

 

七色の虹が天空高く

かかっていくように、

本当に勇気がわいてくる。

 

そんな気もしますよね。

 

 

人は誰でも、

心の中に燃え上がる

 

「勇気」

 

を心に感じ、

 

「勇気」

 

を持って生きていきたい。

 

そう思うものなのかもしれませんね。

 

 

だけど、

 

そもそも「勇気」とは、

どんなものなのでしょう?

 

 

私たちは、

 

どんな「勇気」を

持っているべきなのでしょうか?

 

 

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今回は

 

孔子

(紀元前552年~紀元前479年)

 

のお話です。

 

 

孔子が匡(キョウ)という地を旅した時、

その地の人たちに突然取り囲まれました。

 

孔子に似た人物に恨みを持っていた

彼らは、孔子をその人物と勘違いし

孔子を殺そうとしたのです。

 

ところが、

孔子はその場の出来事に

全く動じることなく、

 

琴を弾きながら歌を歌い続けていました。

 

 

その場に一緒にいた、

子路という弟子は孔子に尋ねます。

 

「こんな危険な状況の中で

なぜ演奏などしているのですか?」

 

孔子はこう答えたそうです;

 

 

「水行不避蛟龍,是漁父之勇;

陸行不避虎兕,是猟夫之勇;

白刃交於前而視死若歸,是烈士之勇;

知窮之有命,通之有時,

臨大難而不懼,是聖人之勇」

(『荘子』秋水篇より)

 

(日本語訳)

「水上で蛟龍(中国の竜の一種)を

恐れないことが漁師の勇気である。

 

陸上で野獣(虎や野牛)を

恐れないことが猟師の勇気である。

 

白刃が眼前で入り乱れても、

死を恐れないことが、

烈士 (自分の命をかえりみず

国や人を守る人) の勇気である。

 

苦境に立つのはそこに運命があり、

物事がうまく運ぶのは

そこに時の運がある、

ということを知って

 

大きな困難にあっても恐れないことが

聖人 (徳の高い理想の人物) 

の勇気である」

 

 

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私たちの人生、

うまくいっている時は、

 

そのまま、

その流れに乗っていれば

いいのでしょう。

 

 

ただ、残念ながら

うまくいっている時ばかりではない

 

それが人生であり、

 

その状況も、人により

さらには時と場合により、

様々なものでしょう。

 

 

場合によっては、恐れずに

 

困難が待ち受けると知りつつも

前進すること、

 

拳を振り上げて

困難に向かって戦いを挑んでいくこと、

 

・・・がそのまま勇気となる

こともあるでしょう。

 

 

ただし、

その行動に移る前提として、

 

私たちが知っておかなければならない

 

 

最も大切なこと、

 

 

それは、
 

目の前で起きている事実を、

 

怒りや恐れといった、

自分の感情による

 

「色のついたフィルター」

 

を通して見ることなく、

 

 

無色透明な

 

「事実」

 

だけを客観的にとらえて

受け止めること。

 

 

どんな時でも、何が起ころうとも、

どんなに厳しい状況に置かれようとも、

 

この世には、

 

運命や

時の運といったものがある

 

ということもまた、

心に受け入れた上で、

 

感情を乱さずに、

平然と構えていること。

 

 

その上で、

 

自分が取るべき

最善の行動を冷静に考え、

それを淡々と実行していくこと。

 

 

・・・であり、

 

 

それが

 

理想の人物が持つべき勇気

 

孔子の説いた言葉の意味は、

そう理解できそうですよね。

 

 

 

ちょっと、

想像してみて下さい。

 

 

あなたが実際、

とんでもない困難に直面したとして、

 

 

それでも

 

自分の気持ちを平静に保ち、

 

あなたの心の水面を

静かな鏡のような状態に

保たせておくには、

 

 

かなりの精神的なエネルギーが

必要ではないでしょうか?

 

 

今あなたが

必要と感じたエネルギー、

 

それは、

 

「困難に負けずに立ち向かうための

強い心のエネルギー」

 

 

であり、

 

 

それこそが

 

孔子が説いた、

静かで、そして気高い

 

理想の勇気

 

なのだと思います。

 

 

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私たちの感情というのは

表情や姿勢とリンクするもの

ですよね。

 

 

ためしに、

 

下を向いて、肩をすぼめて

猫背になって

 

「楽しいな」

 

と言ってみても、

 

楽しい気持ちには決して

ならないはずですし、

 

 

上を向いて、胸を張って、

 

「ああ、悲しいな」

 

そう言ってみたところで、

悲しみの淵に沈むことは

ないのではないでしょうか?

 

 

そうです。

 

表情や姿勢と感情は

リンクするのだから、

 

笑いながら、

 

恐怖に身がすくんだり、

怒りの炎を燃やしたり、

 

それは、

不可能なことなのです。

 

 

だから、

 

なかなかうまくいかない時や、

突発的なトラブルに見舞われた時、

とんでもない困難に直面した時、

 

 

そんな時でも、

 

「こんな時もあるね」

 

そう思って、

 

作り笑いでも

苦笑いでもいいので、

 

無理にでも一度、

 

ニヤリと笑うといいかもしれませんね。

 

 

そうしているうちに、

 

きっといいアイデアも思い浮かぶし、

状況も好転していく。

 

そう信じながら・・・。

 

 

そして、

 

そうしていれば、

 

誰の心の中にもある

心の弱さのかけらや、

 

うねり狂う怒濤のような、

運命や時の流れに

 

心を乱されることもない。

 

そう信じながら・・・。

 

 

 

孔子の説く、

 

「理想の勇気」

 

心の中心にいつも置いて、

 

 

「勇気」

 

と共に

 

今日から明日、そして未来へと、

歩みを進めていきましょう!!

 

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さて、

 

孔子の話の続きです。

 

匡という土地で突然囲まれた、

孔子と弟子の子路でしたが、

 

しばらくすると、

 

彼らを囲んだ土地の人々は、

自分たちが勘違いをしていたことに

気づいて孔子に謝罪をし、

 

事なきを得たそうです。

 

 

取り囲まれた時、

もし、孔子が

 

平静を失い、おろおろと、

釈明や命乞いをしようものなら、

 

土地の人々は孔子を

彼らが恨みを持っていた人物と

疑わずに襲いかかったかも

しれませんし、

 

 

あるいは、

 

「戦うことが勇気」

 

そう考えて行動していたら

無駄な血が流れ、

そのあげくには多勢に無勢で

 

孔子は無事では

すまなかったかもしれませんね。

 

 

ちなみに、このお話には、

 

「徳の高い人物がしめす勇気は、

武力を使わなくても、

その威光により、

戦わなくても敵を屈伏させ、

人徳によって

天下を治めることができる」

 

そんな意味まで含まれているそうです。