人生は登山のようなもの。
目を奪われるような見晴らしのいい
なだらかな道も歩めることもあれば、
どの道を選ぶか迷うこと、
この道を進んで本当にいいのか悩むこと、
その道を進むことが怖くなること、
そんなこともあると思います。
迷い・悩み・恐れて
立ち止まりながら
その道を歩き続けていくことも、
長い人生では
必ずしも無駄な経験ではなく、
時には必要な経験かもしれません。
でも、
その状態から抜け出したいなら、
歩みを進めていきたいなら、
自分の力で、迷わずに正しい道を選んでいくために、
この言葉を思い出すといいかもしれません。
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子曰、知者不惑、仁者不憂、勇者不懼
「子曰く(のたまわく)、
知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼れず(おそれず)」
(孔子 「論語」子罕 第九・三十より)
【現代語訳】
先生が言われた。
知恵のある者には迷いが無く、
仁の徳がある者には憂いが無く、
勇気ある者は、恐れることが無い。
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紀元前551年~479年
中国の春秋時代に生きた儒教の始祖、
孔子
とその著書
「論語」
は非常に有名なので、既にご存じだと思います。
貧しい母子家庭に生まれた孔子は
勉学に励み政治を志したものの、
世に名を知らしめだしたのは
実に50歳代になってから。
さらに、それもつかの間、
政治闘争に敗れた彼は
10年以上の亡命生活の中で
その教えを弟子たちに説き続けたそうです。
孔子の言葉が口先の理屈だけでない
世の中の真実を表す重みを感じさせるのは、
それが波乱万丈の苦難の人生を
乗り越え続けた、
彼自身の生き様を反映した、
「魂の言葉」
だからなのかもしれませんね。
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「知者は惑わず」
「知者」とは、頭がよく理解力の高い人。
困難にあたったり、
複数の問題が重なっても
膨大な情報量と、
自分自身の幅広い知識や経験から、
物事を整理して考え、
その本質を見極め、
正しい道を選択できる人。
そういう人ならば
「迷わず道を選択できる」
というわけです。
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「仁者は憂えず」
「仁」は、
「自他のへだてをおかず、
一切のものに対して、
親しみ、慈しみ、情け深くある、
思いやりの心」
をあらわす言葉。
孔子は
「私の生涯は仁のみで貫く」
とまで言っていたように、
人が持つべき徳目の中でも
孔子が最も重視していた気持ち。
それが「仁」。
他人を大切に思い、
相手を思いやることのできる
「仁」の徳を持つ者は、
自分のことについて、
余計なことを考え憂えることなど無いもの。
逆に自分のことで憂いているような者は
仁者ではない。
それが孔子の主張ということですね。
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「勇者は懼れず」
ただ単に、何物も恐れることの無い者。
その本質を見極めることなく、
周りのものや自分への
その後の影響を考えずに、
イノシシのように真っ直ぐ突き進むだけの者。
孔子はそのような人物を、
「勇者」とは呼んでいません。
それが困難であることを知り、
懼れる心は持ちながら、
その心を乗り越えて行動できる者。
それが孔子のいう「勇者」であり、
「懼れない者」
なのです。
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どの道を選ぶか迷うこと、
この道を進んで本当にいいのか悩むこと、
その道を進むことが怖くなること、
そんな気持ちにとらわれてしまった時、
「知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼れず」
心の中でそっと
つぶやくといいかもしれません。
そうすれば、
真実を見通し、
何物にも迷わない
「知」の心、
人を愛し、
自らのことに憂いることの無い
「仁」の心、
懼れずに
困難を乗り越える強い意志である、
「勇」の心、
あなたの心の中に
きっと見えてくることでしょう。
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