まだ見ぬ未来、

 

それは光の中を

はるか先まで続く道。

 

その先に何が待ち受けているのか、

その先で何が起こるのか、

 

それは誰にもわからないものだとしても、

 

 

人は、

時間という時の流れの中を

歩き続けていかなければ

なりません。

 

 

季節はすぎ、

月は去り、星は巡り、

 

いつか自分が

その道から去る日が来る

ことは知りながら、

 

 

それでも

 

その思いをあとから

歩いてくる若い世代に託して・・・。

 

 

「人間は、

鎖の一環ですね。

はるかな過去から

未来にのびてゆく鎖の。」

(司馬遼太郎)

 

 

そう、

私たちの一生とは、

 

先人たちからの思いを

受け継ぎ、

 

いつか

 

そうして受け継いだものと

自分たちの思いを

後から来る世代に託しながら、

 

「大いなる鎖の環(わ)」

を作っていくようなもの

 

 

・・・そういうもの

なのかもしれませんね。

 

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『竜馬がゆく』、『燃えよ剣』、

『坂の上の雲』

 

などの歴史小説で知られる

司馬遼太郎さん (1923~1996)は、

 

『街道をゆく』

をはじめとする多数のエッセイも

残しています。

 

 

そんな彼が残したエッセイの中に

『二十一世紀に生きる君たちへ』

というものがあります。

 

これは彼が初めて子供、

特に小学生程度の年齢層を意識して

平易な文章で書いたもので、
 

彼自身、

「一編の小説を書くより苦労した」

と語ったそうです。

 

 

1996年に亡くなった司馬さんは、

自分が21世紀を迎えることが

できないであろうことを予見して、

 

自分の思いという 「環(わ)」を

やがて21世紀を担っていくであろう

子供たちに向けて託そうとした・・・

 

このエッセイには、

彼のそんな思いが受け取れる、

力強いメッセージが

込められています。

 

 

そしてそれは、子供たちだけでなく、

今、現在21世紀を生きている、

 

そして新元号の「令和」の時代を

生きていく大人の私たちも

 

受け継ぎたい「環(わ)」

 

・・・であると思います。

 

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「君たちは

いつの時代でもそうであったように、

 

自己を確立せねばならない。
・・・・自分に厳しく、

相手にはやさしく。

という自己を

 

そして、

 

すなおでかしこい自己を。


21世紀においては、

特にそのことが重要である。
21世紀にあっては、

科学と技術がもっと発達するだろう。

科学・技術がこう水のように

人間をのみこんでしまってはならない。

 

川の水を正しく流すように、

君たちのしっかりした自己が

科学と技術を支配し、

よい方向に持っていってほしいのである」

(司馬遼太郎/『二十一世紀に生きる君たちへ』より)

 

 

人の生活を豊かにし

人類の可能性を広げていく

科学と技術。

 

それは、

 

人が使いこなしていくべきもの

であり、

 

人を支配するもの

にしてはならないもの。

 

 

人間、一人一人が

 

何が正しいことで、

何を守って生きていくべきか、

 

それを考え、答を導き出し、

実行していくことのできる、

 

優しさ、厳しさ、賢さ

 

人としての「智」に支えられた

自己を持って、

 

科学と技術を使いこなしながら

発展していく世界

 

 

まずは私たちがそれを

創っていかないといけませんね。

 

 

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「自然物としての人間は、

決して孤立して生きられるようには

つくられていない。
このため、助けあう、

ということが、

人間にとって、

大きな道徳になっている。


助け合うという気持ちや

行動のもとのもとは、

いたわりという感情である。
 

他人の痛みを感じることと

言ってもいい。
やさしさと言いかえてもいい。


『いたわり』
『他人の痛みを感じること』
『やさしさ』

 

みな似たようなことばである。
この三つの言葉は、

もともと一つの根から

出ているのである。
 

根といっても、本能ではない。

だから、私たちは訓練をして

それを身につけねばならないのである。
 

その訓練とは、簡単なことである。

例えば、友達がころぶ。

ああ痛かったろうな、と感じる気持ちを、

その都度

自分中でつくりあげていきさえすればいい」

 

 

人が生きていくために必要な

 

『いたわり』
『他人の痛みを感じること』
『やさしさ』

 

の心。

 

それはあの孔子が論語で説いた

 

「仁」

 

の心に通じるものだと思います。

 

 

単純な本能としてだけでなく、

「大切なもの」

としての意識を持って、

 

自分の心の中に

「仁」の心を作り上げていくこと、

 

そして持ち続けること。

 

「仁」の心で人と人との

「環」をつないでいくこと。

 

 

私たちもあらためて心がけたいですね。

 

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「鎌倉時代の武士たちは、
『たのもしさ』
ということを、たいせつにしてきた。

 

人間は、いつの時代でも

たのもしい人格を

持たねばならない。

人間というのは、男女とも、

たのもしくない人格に

みりょくを感じないのである。


もう一度繰り返そう。

さきに私は

自己を確立せよ、と言った。

自分に厳しく、

あいてにはやさしく、

とも言った。

それらを訓練することで、

自己が確立されていくのである。

 

そして、

“たのもしい君たち”

になっていくのである」

 

 

理想の人物、

「頼もしい人物」とは・・・。

 

 

智恵のない強さは

蛮勇にすぎず、

 

優しさのない強さは

暴力にすぎず、

 

強さのない優しさは

弱さにすぎず、

 

強さのない智恵は

机上の空論に過ぎない。

 

そして

 

智恵のない優しさは

人に利用され、

 

優しさのない智恵は

この世に破壊をもたらす。

 

 

・・・そんなものでしょう。

 

だから、

 

「たのもしさ」

とは智恵と優しさと強さを

あわせ持つことであり、

 

「たのもしい人」

とは智・仁・勇の心を

あわせ持つ人、

 

智・仁・勇の環を自らの中に持つ、

そのために努力し続ける人。

 

 

「人間は、いつの時代でも
たのもしい人格を持たねばならない」

 

私たちもそう心がけて、

 

 

そうなるよう、

 

そして

 

そうあるよう、

 

 

努力していく必要がありますね。

 

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「以上のことは、

いつの時代になっても、

人間が生きていくうえで、

欠かすことができない

心構えというものである。


君たち。

 

君たちはつねに晴れあがった空のように、たかだかとした心を持たねばならない。


同時に、ずっしりとたくましい足どりで、大地をふみしめつつ歩かねばならない。
 

私は、君たちの心の中の

最も美しいものを見続けながら、

以上のことを書いた。
 

書き終わって、君たちの未来が、

真夏の太陽のように

かがやいているように感じた」

 

 

司馬遼太郎さんが見たもの、

 

それは子供たちの中にある

人が持つべき理想の要素、

無限に広がる可能性、

 

そして

 

それらは人の未来を作る上で

必要不可欠なものであると共に、

人の心の中にある最も美しいもの

 

そういうことだったのでしょう。

 

 

それを、それと知る彼が、

 

未来を生きる子供たちに

託そうとした、

 

「環(わ)」。

 

 

彼が見ることのできなかった、

21世紀の世界を、今、生きている、

 

そして

 

「令和」の時代を生きていく

大人の私たちも

 

その環(わ)をしっかり受け継いで、

 

 

晴れ上がり澄み切った高々とした

空のように、

 

雨風に負けずに

地面を踏みしめる力強さを持って、

 

生きて、

 

 

真夏の太陽のように輝く

未来にむけて

 

どこまでも続いていく鎖、

 

「大いなる環(わ)」

 

をつないでいきましょう!!

 

 

 

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