● 筋弱化の対策
こんにちは、山崎です。
「筋弱化が起こっています。だから、弱っている側の筋肉をつけ、筋力バランスを整えましょう」
というプラス志向は、日本でもアタリマエになった感じがします。
例えば、太ももの裏側(ハムストリングス)の柔軟性を測定して、右側の方が柔らかく左側の柔軟性が低いとしたら、柔軟性の低い左側の筋力をつけよう、という発想を思い付くのが一般的です。
でも、こういう風にも考えられます。バランス低下の要因は、
筋弱化ではなく「筋緊張」である。
こう考えると、
ハムストリングスの柔軟性が低く、しかも筋力も弱い理由が筋肉の「過緊張」からくるもの(要因)だとしたら、筋力をつけて左側の筋を緊張させると更にバランスが悪化する。
このような悪循環が生まれます。
実際、僕は筋弱化という状態は、筋の過緊張からくるものであり、筋力不足だから「筋肉を鍛えたらいい」という発想はしません。
筋肉を鍛えたら、逆効果(弱化の促進)だと思っています。
廃用性萎縮が起こっている場合は、鍛えるではなく、感じる(感じて動かす)でOK。
感覚を「鍛える」というのであれば異論はありません。
基本的には、筋緊張を減らす(マイナス志向)ように仕向けることで、バランスを保とうと試みます。
未だ流行っている「体幹トレーニング」についても同じです。
筋肉を「鍛える」というのは西洋的発想(プラス志向)です。
筋肉を鍛えて「増やす」のではなく、筋緊張を「減らす」という日本的発想(マイナス志向)へと転換した方が、身体は快適さを取り戻すのです。
首にコルセットが巻かれている状態をイメージしてください。
こんな緊張状態で、能力をフルに発揮することは不可能ですから、まずは、コルセットを外す(緊張を外す)ことが大切です。
緊張を減らすと、心も体も快適な状態へと導かれますね。
心が弱い人、挫ける人は、心の筋肉が足りない人ではありません。
本来性の「素直さ」は備わっているのに、彼の素直を打ち消すような原因が過去にあったのです。
その過去と向き合って、心の緊張を「減らす」作業を行うのです。
そうすれば、本来性の「素直さ」を取り戻せるようになります。
素直な人と一緒にいると、「お互い」が楽しくなれますね。
どちらか一方が楽しいわけではなく、「一体感」が味わえるような充実感があります。
一体感とは、抽象度の高い言葉で、学校では学ばないでしょうが、現実世界に於いて僕たちはこの「一体感」を求めて生きています。
一体感は、二元性の超越の後に起こる状態。
・自分と他人の二元性の超越
・心と体の二元性の超越
・東洋と西洋の二元性の超越
・アートと科学の二元性の超越
・新人とベテランの二元性の超越
・善と悪の二元性の超越
・道徳と経済の二元性の超越
・触る人と触られる人の二元性の超越
・教える人と教わる人の二元性の超越
・過去と未来の二元性の超越
・欲望と使命感の二元性の超越
など。
バラバラなまま互いが対立しあったままだと、僕たちは心も体も疲れてしまいます。
ですから、バラバラなものを融合(抽象化)し「一つ」にまとめ、一体化させたいわけです。
バラバラだと、何の「繋がり」もなく互いに関係が生まれません。
孤独だと寂しくなりますね。
ですから、価値観の合う人や、同じような「志」を持っている人と出会えると、人生の充実感を味わうことができます。
ここで言う充実感というのは「エイエイオー」という興奮系の一体感とは違い、浸透するような、じわーっと味わえる「繋がり」のこと。
身体の使い方でも、究極的に求めているのは「一体感」です。
例えば、歩く動作では、足裏が地面と接地することで、足裏と地面に関係が生まれますが、この時、僕たちは地面と対立してしまいます。
となると、身体は緊張し、負荷が掛かり、身体を痛めてしまいます。
そうではなく、足裏が地面に対してやさしく触ることができれば、足裏と地面が「一体感」を味わうことができ、歩くという動作が心地良くなります。
僕たちが志す身体の使い方とは、こういうところにあるわけです。
これら一体感とは「見えないもの」なので分かりにくいですが、人間は心の奥底では、この「一体感」を求めているのです。
メルマガやブログでも書き手と読み手が「分離」している状態から、極力「一体感」のある方向へと向かっていきたいと思っています。
お互いが積極的に歩み寄った状態。
知恵と知恵が融合し、場に一体感を生み出し、次なるステージへと進化していきたいわけです。
進化とは、積極的受動性による「アイデアの交換」なので、こういう交換が起こせて、共に進化ができると嬉しいですね。
それでは、今日はこの辺で。
ありがとうございました。