多事争論(時事所感) -39ページ目

中華・・・③【時事所感64】



第二次世界大戦後の1949年、
毛沢東の率いる中国共産党と蒋介石の国民党が対立、
中国共産党が勝利し、現在の中国人民共和国を建国宣言。

毛沢東は大躍進政策を行うも失敗し、大飢饉、処刑等によって多数の死者が出ます。
この後には文化大革命を先導。あの集団暴行や大量虐殺、人間同士の共食い等が起き、地獄絵図の様相を呈し、
中国国内は混乱しました。

中国がソビエト連邦(以下ソ連)と同じ共産主義国になり、
実際に中国はソ連から情報提供や技術支援を受けていたことで、
中国をソ連の従属的な後進弱小国と位置付け、
米国は中国を脅威となる国とは見なしていませんでした。


1960年代以降には国境の接する中国・ソ連の間で軍事的衝突が度々起こり始めます。

米国にとって最大の脅威だったソ連が、中国という同じ共産主義国同士で衝突するのは共に疲弊し共倒れとなれば好都合だったため、米国はこれには介入しませんでした。

中国も直接国境の接する大国ソ連は脅威だったために、
歴史上度々南下政策をとるソ連に対し牽制する必要があったのです。

※中ソ国境付近での中国の水爆(核)実験はそのため


ここで米中は一致します。

米国・中国共に脅威となる国は大国ソビエト連邦だったのです。

中国・米国は互いを利用する策にでます。

「米中の接近」 です。

中国側は米国のニクソン大統領を北京に招待したり、台湾問題への言及を避けることで米中間の友好的雰囲気を醸し出します。

米国側も中国をソ連の従属国で経済・軍事的に弱小国であり、脅威にはならないと見なしていたために、
中国の接近を受け入れます。



(写真)毛沢東とニクソン米国大統領


米国も1972年ニクソン大統領の中国電撃訪問に始まり、
中国・台湾間の海峡通過や周辺海域への米軍派遣を取り止めます。
更にはダライ・ラマへの援助停止。
米国は国連へ働きかけて中華人民共和国の代表権を認め、それまで国連安保理国だった中華民国(台湾)は追放。中華民国はこれを発端に国連脱退。
※アルバニア決議

米国と中国は1979年正式に国交樹立。
時の最高指導者・鄧小平は直接訪米。
文化革命解体から改革開放路線を打ち出し、温和な人柄・風貌から人気のあった鄧小平、
中国は米国から技術支援を取り付け、更には米国は多くの中国人留学生の受け入れます。

米国も軍事面で相当な情報や科学技術を中国に提供し、中国をバックアップしたのです。
そして中国とソ連は拮抗して、遂には立場が逆転する形になり、
その後ソビエト連邦は崩壊します。
「東西冷戦の終結」です。

※鄧小平の社会主義的資本主義導入はこの頃からで現在も継続





ソビエト連邦をはじめ東欧などの共産主義国が政権崩壊の道を辿るなか、
資本主義・民主主義体制の西側諸国の政権中枢や学者・評論家などはある予測をしていました。

政権崩壊なり変革なりが起こり、
中国も他の共産主義国家と同じように資本主義・民主主義国家に変わるであろう。
資本主義経済の恩恵により国が豊かになれば、中国は変わっていくはずだ、と。

このために米国や欧州諸国、日本も中国への経済援助や技術支援を継続していました。

しかしながら、これらは予測ではなく結果的には希望的予想だったといえるでしょう。

現在の中国をみると、中国共産党は益々その権力は強まり、国力をみても経済面・軍事面は更に巨大化して現在に至っています。

今や中国は米国の覇権を脅かし、その地位を取って代わろうとするほどまでになったのです。

正に「世界の中心の華」を再び開花させるかもしれません。

















中華・・・②【時事所感63】



「世界の中心の華」になった中国。


中国との交易はイスラム商人に依存していたため、
欧州諸国は新たな交易ルートの発見に乗り出します。

地球球体説が知られたのち、
欧州から西への中国・アジアルートを見つけるために、
航海に乗り出したのがコロンブスです。
しかしながらコロンブスが辿り着い
た地は、
アジアではなく、新しく発見したアメリカ大陸南東のバハマでした。

これをきっかけに、新たに発見したアメリカ大陸にスペインやポルトガルが先駆けて植民地支配を進め、
原住民を虐殺・奴隷化して発展。

これに乗り遅れたイギリスやオランダは、
中国・アジアを目指して東への航路を進み、インドや東南アジアへ進出。
アジア地域への植民地化が始まりました。

中国の持つ東南アジアや周辺国への大きな影響力は減少し、
欧州の列強諸国の植民地政策は中国にも及びます。

イギリスは中国(清)との交易の際、中国へ大量の麻薬アヘン(阿片)を流入させて国内を疲弊させたうえでアヘン戦争を起こし、
圧倒的な軍事力でイギリスが勝利します。
この敗戦により、中国・清は香港島を割譲、5港を開港させます。
さらに中国による外国人排斥事件が続発し(アロー号事件)、アロウ戦争(第2次アヘン戦争)が勃発。
イギリス・フランスの連合軍は天津や北京を占領。この戦争に勝利して、九龍半島を割譲、更に11港開港させます。
この後、日本を含めた列強諸国が中国へと進出。
ロシアは外満州(現在の沿海州)、
フランスはベトナムの宗主権、
ドイツは膠州湾、
日本は遼東半島や福建省、朝鮮半島と台湾の宗主権、など。
イギリスをはじめ、ロシア、フランス、ドイツ、ポルトガル、米国などの列強諸国による領土の割譲や都市の占領・租借、開港、不平等条約などにより、
中国は植民地化されていきます。

※以前の時事所感で触れた「租界」はこの頃から形成されます。


こうして数千年の長きに渡り続いた中国の王朝も終焉しました。


この後中国は新たに中華民国を設立。
最高権力者であった孫文は、袁世凱との権力闘争により国内政治に注力出来ず、
軍閥の対立や日本の介入もあり、中国は混乱状態が続きます。

欧米など列強諸国や日本の中国進出により、世界の中心は欧州へ変わっていきました。





特にこの時代、アヘン戦争以降の中国を現す言葉があります。


「百年国恥」
「百年恥辱」
「勿忘国辱」

我が国中国の約百年に渡る辱めを忘れてはならない

という言葉です。


この欧米列強や日本による中国への植民地政策により、
長きに渡る世界の中心としての中国の地位を奪ったことに対しての中国側の歴史認識や国民感情を現す端的な言葉でしょう。














中華・・・①【時事所感62】



「中華」



料理の話ではありません。



お隣の国・中国、
中華人民共和国の話。


この「中華」という言葉には意味があって、

昔の中国の「漢」という国の文字・漢字を使用する日本人なら
西欧の方々より分かり易いかと思います。


「中」・・・中央、真ん中の意味で、ここで用いられる「中」は、世界地理上だけに限らず、国際社会において世界の中心であることを意味しています。

「華」・・・花、これは麗しく美しく咲き誇る花というところから、
美しく麗しい、優れている、秀でていることを表しています。

「中華」

世界の中心の華、

世界の中心であり、一番である。


国家の正式名称に採用されているこの「中華」の意味、
世界史を通して中国をみると分かり易くなります。


ユーラシア大陸の中央から東部に位置し、広大な土地、農作に適した気候や水源、豊かな資源、多大な人口の集まり等の条件が満たされ、
文明が起こり発展します。


ここから多彩な文化が生まれていきます。

言語をはじめ
宗教
社会制度
芸術
そして食文化まで、


世界中に影響を与え、現在でもこれらの影響は色濃くみられます。


また発明品も数多く、

印刷
火薬
絹(シルク)
羅針盤
・・・等。

これらの文化や発明品を元に国力を増して、周辺の国々や民族を従属させて更に発展、強大な国になっていきました。

また欧州との貿易を通じ世界への影響力も増していきます。
欧州の国々も中国の物資や発明品を目当てに中国との貿易が盛んになっていきました。
欧州は中国の豊かな物資を得るための争いが数多く起こり、
中国の影響力は色濃くなっていきます。
欧州諸国は中国と遠く離れていて、
現在のように交通網・輸送手段がないこの時代、
中国から物資を得るには、
シルクロードにみられるように
イスラム商人による交易ルートに頼らざるえませんでした。

中国をはじめアジア地域を目指して、
大航海時代が始まります。


中国は正に、
世界の中心の華になりました。