多事争論(時事所感) -37ページ目

母の知る中国・・⑤【時事所感・番外】


最後まで道案内兼通訳を買って出てくれた従業員とも別れたのち、
山を下り海へ辿り着きました。
近くの港には日本へ帰るための船が無く、
船を探し海沿いに歩きます。
途中で同じく日本へ帰る家族や日本兵に出会い、
帰国するための船を見つけることが出来ました。

港には日本人家族や日本兵が沢山集まり船を待っていました。

数日して大きな船が港に着くも、
瞬く間に人で一杯になりました。
それでも次から次へと人が乗り込んできて、
溢れんばかりに甲板にも沢山の人々で
鮨詰め状態だったそうです。

沢山の日本人を乗せて船が出港しました。
船内は人混みで蒸すような暑さで、
日本海の波は荒く、
幼少の母は船酔いしそうになり辛かったそうです。
船酔いを紛らわせるために、
船外の空気を吸いたくても、
剰りの人の多さになかなか外の甲板へ出られなかったそうです。
隙を見て人混みのなかを掻き分けて甲板へ出られた時、
悲しい現実を目の当たりにします。

乗船中に怪我か病気がもとで力尽き亡くなった人がいたようで、
布で包まれた亡骸が日本海へ放たれる様子でした。
日本まで幾日かかるのか判らない。
疫病の可能性や遺体の保存状態を考えれば、
海へ放つしかなかったのでしょう。
祖国日本へ連れて帰ってやりたい、
その悲しみをこらえながらの日本海への海葬です。



船内は人混みの暑さと荒波の揺れもあってか、人々のストレスは凄まじかったようです。

皆、押し黙った船内。周りの人達に迷惑を掛けまいと、泣く赤ん坊や子供を必死にあやす母親達の姿を見たそうです。

何日かかったのか正確な日数は定かではないが、揺れる窮屈な船内で我慢した時間は長く感じたそうです。


(大陸からの大勢の日本人引き揚げの様子)


船が日本へやっと着き、帰国を果たしました。

下船すると、引き揚げした同胞日本人のために、
地元のボランティアらしき人達が待っていてくれたそうで、
無事に故郷へ帰られるように、最寄りの列車の停車場まで案内してくれていたそうです。





私の母は2~3歳程で家族と共に中国へ渡り、
北京で終戦を迎えて、大陸からの引き揚げを経験していました。

夏の終戦記念日が近づくと、
新聞やテレビ等メディアで戦争に関するニュースやドラマが流れるたびに目を潤ませて涙をこらえていたのを思い出します。

現在は無くなってしまいましたが、
「中国残留日本人孤児」
の番組がテレビ放送された時は、
ずっと泣いていました。

ひとつ何かが違えば、母も残留孤児になっていたかもしれない。

日本人残留孤児が実の親や肉親を捜して映し出される姿は、
他人事ではなく、その悲しみや苦労が理解できる故に、
目を赤くしてひたすら泣いていました。



まだ私が小中学生の頃にそれを尋ねても、あまり教えてくれず、
色々と語るようになったのは、私が
成人して以降です。

母は数年前に他界したので、
何かの形で残しておくべきと思い、
この場をつかい書き残します。















母の知る中国・・④【時事所感・番外】



祖父は幼少だった母を連れていることもあってか、
日本へ帰るために汽車を少しだけ利用することにしました。

乗車している間、家族は皆、日本語を使ってはいけないと予め決めていたので無言に徹していました。

祖父は母からやや離れた場所にいて、その祖父に隣の中国人乗客が話しかけ始めました。
祖父は沈黙したまま次第に話しかけにくいような強面の仏頂面に変わっていくにつれ、その中国人も話すのを止めたそうです。

離れたところでそれを見ていた幼少の母に、次は目の前の中国人のおばさんが話しかけてきました。

離れて乗車していた家族は皆、心配した面持ちで見守るなか、
喋ってはいけないと厳しく言い付けされていたため、どうしてよいか分からずに沈黙したまま我慢していたとき、
母付きの中国人家政婦さんが機転を利かせて間に入り、そのおばさんと会話し始めて、何とか難を逃れることができたそうです。

あとで聞いた話では、うちの子は人見知りで無口だし気難しいんですよみたいな話をして誤魔化し、話をたわいも無い日常会話に逸らしてくださったそうです。



日本人であることを悟られないように、沈黙を貫いた列車から下車します。
山林の近い場所でした。
明るいうちは山の林の中で家族や従業員、家政婦さん達は周囲の見張りを互いに交代しながら仮眠したそうです。
日が落ちるのを待ち、徒歩で山中の道なき道を歩き続けます。
この時に、日本を目指して引き揚げたものの途中で引き返してきた日本人家族何組かに出会います。

何故引き返してきたかを尋ねると、
「朝鮮半島には行ってはいけない。暴行、略奪、強姦の標的になって恐ろしいことになっていた。慌てて引き返してきた。」
と皆、口々に言っていたそうです。
この後も何度か引き返してくる日本人や半島から来た中国人から話を聞き、
朝鮮半島経由でのルートを断念、列車の利用は止めて、
殆ど徒歩で幾度も山越えすることになりました。

剰りにも険しい道程だったため、
同行してくれている中国人従業員や家政婦さんに申し訳なく思い、
ある程度道が進むごとに、
祖父は家政婦さんや従業員を一人ずつ北京へ帰るように説得し、
互いに別れを惜しみながら離れたそうです。
最後まで同行してくれた従業員一人も、
山林を抜けて山の上から海が見えたところで北京へ帰すために別れたそうです。

ようやく日本へ帰ることができると思い、
山を下りて日本行きの船を探し始めます。


日本行きの船に大陸からの引き揚げに多く日本人を乗せた様子



State of Jap/倭人省【時事所感65】

細かい法律や手続き等の話は抜きにして、

もし仮に、

日本が米国の51番目の州になることを希望したら、
日本は米国51番目の州になれるのか?

どうでしょう?


もし仮に、

日本が中華人民共和国(中国)の24番目の省になることを希望したら、
日本は中国24番目の省になれるのか?


どうでしょう?


例題米国51番目の州になれるか?の問いの答えは、

「なれません。」

例題中国24番目の省になれるか?の
問いの答えは、

「なれます。」


違いはお分かりでしょうか?


これを人に問うても、答えられない人が多いことに驚きました。

答えても、
「小さい領土だから欲しがらない」
「資源の無い国だから欲しがらない」
等。

外的多要素や予測の難な要因は別として、
簡潔な回答と解説をすれば、

米国51番目の州になれない理由は、
日本人の人口です。
現在約1億2千万人です。
米国の人口は約3億3千万人。

日本を米国へ併合すると、
米国の総人口は約4億5千万人。
米国人口の約3割が日本人、
選挙や国政が根底から覆されかねない程の影響力になってしまうから、
米国側から願い下げで拒否されます。

米国側にとって最も良いのは、
プエルトリコや北マリアナ諸島のような、
「合衆国未編入・保護領」
であれば可能でしょう。
グアムやヴァージン諸島等も保護領・自治領です。


因みに30年後頃には日本の人口は、現状の出生率で計算すると、
約8千万人を割ろうかという人口になります。
これだけ日本人の数が減少すれば、
そのときの米国大統領やホワイトハウスの中枢が考えてくれるかもしれません。

一方、中国24番目の省になれる可能性がある理由は、
やはり日本人の人口です。
中国の総人口は約13億9千万人。
日本が中国に併合されると、
総人口は約15億1千万人、日本人は中国人口の一割にも満たない7%程に過ぎない。
また中国共産党による言論の統制や政治体制や選挙制度もあって、
米国に比べれば影響力は小さいでしょう。

あとは地政学上からしても、
日本列島が中国に併合できるのは
大変重要です。





因みに日本が併合されたら、
名称はどうなるのでしょうか?

色々な意味合いを込めて、
「State of Jap」
「倭人省」

としておきます。

今回はこの程度で。